〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 妄想に焦がれる鈴菜の前に大きなコロッケが中央に居座ったAランチのトレーが現れて、一気に現実に引き戻される。

「木崎さん、やっぱり彼女いたんだね」
「あれ? 意外と落ち着いてるね。すずは騒ぐか落ち込むかのどっちかだと思った」
「夏に会長のお嬢さんの舞ちゃんが会社に来たでしょ。その時に舞ちゃんから、木崎さんに彼女がいることは聞かされていたの」

 Aランチのトレーを持って器用に人混みをすり抜ける鈴菜の後ろを、ハヤシライスのトレーを持つ架純が追いかけてくる。

「後輩ちゃんがお喋りな子だから木崎さんの彼女の噂けっこう広まってるけど、当の秘書課は平和っぽい?」
「うちの部署にはそんな噂まったく届いてないよ。秘書課の人達って、良くも悪くも上司以外への興味が薄い人が多いからかな。いただきます」

木崎愁の彼女の噂よりも、今の鈴菜はこの空腹をどうにかしたかった。熱いコロッケにかぶりつき、ほくほくのじゃがいもの味を幸せそうに堪能する鈴菜を見て架純は拍子抜けしている。

「すず……本当にもういいの? あんなに木崎さんに一途だったのに」
「彼女いるってわかった時から諦めモードだよ。私、前の彼氏に浮気されたじゃない?」
「ああ……あの二股野郎ね。アイツとすずを引き合わせた私も、あれには責任感じてる」

 鈴菜が2年前まで交際していた元彼と出会ったのは、架純がセッティングした合コンだった。

「浮気を知った時にね、彼女がいる人に平気で迫る女は、自分が彼女の立場になって同じことをされたらどう思うか、考えられない人なんだって思ったの。彼女の立場なら、彼氏が他の女に告白されたり迫られたりするのは嫌だよね。私は元彼の浮気相手の女と同じレベルに落ちたくない」
「前から思ってたけど、鈴菜はいい子過ぎるよ……」
「綺麗事だってわかってる。自分がされて嫌だと思ったから同じことをしたくないだけ。きっと会うことはないけど、木崎さんの彼女さんを嫌な気持ちにさせたくないの」

二つあるコロッケのひとつを完食して少し空腹が落ち着いた。
添えられた味噌汁は、実家の母の味に似ている。ホッとする優しい味だ。

「彼女さん美人って言ってたけど、どんな系統の美人?」
「黒髪色白の超美人。背は平均より少し高めで、腰も手足もスラッと細くて、髪はミディアムのストレート。もうちょっと伸ばしてロングヘアになったら日本人形みたいだよ。あれが本物のクールビューティーって言うのねぇ」

 日本人形、クールビューティー、背が高くて細身。木崎愁の好みは、やはり可愛い系よりも美人系だろう。

どちらかと言えばタヌキ顔で平均身長、クールビューティーとはお世辞にも言われない鈴菜の外見とはすべてが真逆だ。

「服装は黒のパンツスーツ。でも企業勤めでもなさそうなのよね。エリートのお役人っぽい雰囲気かな。木崎さんが“ミヤ”って呼んでるのが聞こえた」
「ミヤさんかぁ。名前も和風で綺麗だね。どこで知り合ったのかな」
「出会いが気になるよね。車から降りて彼女の名前を呼ぶ木崎さんの声が甘くて、後輩と叫びそうになっちゃった。ナンパしようか迷ってたメンズ達は気落ちしてたなぁ。相手が木崎さんじゃねぇ、敵《かな》うわけないもん」

 甘い声で名前を呼ばれるその女性は、木崎愁の特別な存在。
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