〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
Act2.心恋涙雨
 夏木グループ傘下の五ツ星ホテル、赤坂ロイヤルホテル三十四階のラウンジで、木崎愁は約束の人物の姿を捜した。

薄暗く照明を落とした店内では、闇に煌《きら》めく都心の夜景を眺める老若男女が淑《しと》やかに酒を酌み交わしている。

 窓辺に面したカウンターに華奢な女の背中がひとつ。愁は迷いのない歩みで華奢な背中の隣席に腰を降ろした。

「先ほど警察に行って来ました。冬悟の人となりを根掘り葉ほり聞かれたわ」

 雨宮蘭子と木崎愁の姿が、空と同じ黒色に染まる窓に並んで映し出される。窓のスクリーンを通して視線を合わせた二人は、どちらも無表情だ。

京都の雨宮本家長女の蘭子は雨宮冬悟の従姉《いとこ》にあたる。本家の人間として、警察の聴取に応じた彼女の宿泊先に赤坂ロイヤルホテルを手配したのは愁だ。

『お手を煩わせて申し訳ありません』
「いいえ。むしろ謝罪は雨宮家からするべきよね。分家の一同も顔面蒼白でしたよ。冬悟には必要以上に紫音を溺愛するきらいはあったけれど、まさか紫音の娘と……」

 頬杖をつきながら蘭子はカクテルグラスの脚に細長い指を絡ませた。透明な液体に浸るグラスの底にはオリーブが沈んでいる。

「警察から夏木会長と紫音の関係は聞きました。でもあなたの口からちゃんと聞かせて。舞は夏木十蔵の養女ではなく、血の繋がった娘なのね?」
『ええ。舞の父親は夏木十蔵です』

愁の返答を聞いた蘭子は小さく頷き、グラスのマティーニを口に含んだ。足音もなく歩み寄るウエイターが、愁の席にホットコーヒーを置いて去っていく。

「男と女はわからないものね。私が知る紫音は、優しくて可愛い妹同然の存在だった。あの子の女としての顔を私は知らない。だけど、紫音に勝手にイメージを押し付けて幻滅すること自体がお門違いよね」
『人は過ごす相手によって自分を演じ分ける。男と女の関係はそれが顕著なだけですよ』

 愁が雨宮蘭子と密かに連絡を取り合っている事実を夏木十蔵は知らない。夏木が伶と舞を引き取って10年、愁は定期的に京都に住む蘭子に伶と舞の近況を報告していた。

夏に伶が恋人に誘われて出掛けた日本橋の美術館、アクアドリームで伶は蘭子を見かけている。あの時、自分が雨宮紫音の息子だと蘭子にわかるはずがないと伶は言い切ったが、蘭子は愁の報告書類で成長した伶の容貌を正しく認識していた。

「もしも今夜あなたも一緒に部屋に泊まってと私が誘ったなら、あなたはどうする?」
『蘭子さんが俺に本気であれば、相応の態度で失礼のない答えを表明しますよ』
「冗談は口にしない主義なの。私だって女ですもの。魅力的な男とこうして夜を一緒に過ごしているのに、用件が済んでサヨウナラなんて寂しいじゃない?」

 愁が蘭子と身体の関係を結んだ事実は過去一度もない。これまで彼女とは男女の甘ったるい会話ではなく、ビジネスライクなやり取りがどちらかと言えば多かった。
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