〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
愁も伶も舞も、夏木十蔵の野望実現の道具に過ぎない。
「木崎さんは夏木十蔵の裏をどこまでご存知? 夏木会長とは付き合いが長いのよね?」
『母が夏木グループ傘下のホテルで働いていたので、子どもの頃から会長とは顔見知りでしたよ』
「従業員の息子を会長専属の秘書にまで引き揚げるなんて、ずいぶん可愛がられているのね。伶ではなくあなたが夏木グループの社長候補と言われているそうじゃない」
雨宮冬悟を殺した犯人は、蘭子の隣で何食わぬ顔をしてコーヒーをすする。空になったグラスの底を転がるオリーブを掬い上げた蘭子は、オリーブの実を品よくかじった。
「まぁいいわ。引き続き、伶と舞の様子は私に教えてちょうだい。あの子達の人生を見守ることが私の生き甲斐なの」
『それが蘭子さんの望みならば』
蘭子は子どもを産めない。若い頃に患った婦人科系の病気が原因で子を成せないのだ。
美夜のように、子を産める身体であっても妊娠を拒絶する女もいる。蘭子のように子を産めない身体になっても尚、子を欲する女もいる。
美夜の気持ちも蘭子の気持ちも、子宮を持たない男には一生わからない感覚だった。
ラウンジを出た先に敷かれた紅色の絨毯を、蘭子は軽やかに闊歩《かっぽ》する。マティーニの酔いの効果で彼女は踊るように歩いていた。
「舞には冬悟が伯父だと話したの?」
『いいえ。そろそろ隠しておくのも潮時だと思っています。俺も覚悟を決めないとならない』
「何の覚悟?」
『舞に嫌われる覚悟です。エレベーター呼びますね』
「待って……」
エレベーターホールの柱に愁の背中が触れた。柱に押し付けた彼の首もとに蘭子の腕が絡み付き、彼女の唇と愁の唇が接近する。
柔らかな接触が二度続き、蘭子の舌先が愁の唇を妖しげになぞる。軽くと深くを交互に繰り返すリップ音が両者の唇から奏でられた。
「酔って目が変になったのかな。今の木崎さんが舞の父親に見えてしまったのよ。おかしいでしょう?」
『言動が老けているとは言われますが、高校生の娘を持てる年齢ではありませんよ』
「木崎さんなら高校時代に作った隠し子もありえそうな話よ。本音を言うとあなたに本命さんが現れなければ、今夜は抱いてもらいたかった」
自《みずか》ら呼び出したエレベーターに乗り込んで、蘭子は愁の前から消えた。
美夜以外の女の唇に久々に触れた。美夜とのキスでは感じた全身から沸き立つ熱や、くすぐったくなる心の甘い痛みは蘭子とのキスでは感じない。
キスの流れであのまま蘭子の部屋でベッドを共にしても、その行為に愛はなく、精子の放出活動の意味しか持たない。
けれど今夜、蘭子とそうならなくて安堵する自身に愁は冷笑を返した。
こんな時にまで美夜の存在が心を占める自分に我ながら呆れ果てた。美夜以外の女を抱きたいとも思わない自分は本当に、どうかしている。
『舞の父親……ね』
蘭子と言い、三岡鈴菜と言い、男の内面の変化に女は目ざとい。それでなくても雨宮蘭子は鋭い女だ。
「木崎さんは夏木十蔵の裏をどこまでご存知? 夏木会長とは付き合いが長いのよね?」
『母が夏木グループ傘下のホテルで働いていたので、子どもの頃から会長とは顔見知りでしたよ』
「従業員の息子を会長専属の秘書にまで引き揚げるなんて、ずいぶん可愛がられているのね。伶ではなくあなたが夏木グループの社長候補と言われているそうじゃない」
雨宮冬悟を殺した犯人は、蘭子の隣で何食わぬ顔をしてコーヒーをすする。空になったグラスの底を転がるオリーブを掬い上げた蘭子は、オリーブの実を品よくかじった。
「まぁいいわ。引き続き、伶と舞の様子は私に教えてちょうだい。あの子達の人生を見守ることが私の生き甲斐なの」
『それが蘭子さんの望みならば』
蘭子は子どもを産めない。若い頃に患った婦人科系の病気が原因で子を成せないのだ。
美夜のように、子を産める身体であっても妊娠を拒絶する女もいる。蘭子のように子を産めない身体になっても尚、子を欲する女もいる。
美夜の気持ちも蘭子の気持ちも、子宮を持たない男には一生わからない感覚だった。
ラウンジを出た先に敷かれた紅色の絨毯を、蘭子は軽やかに闊歩《かっぽ》する。マティーニの酔いの効果で彼女は踊るように歩いていた。
「舞には冬悟が伯父だと話したの?」
『いいえ。そろそろ隠しておくのも潮時だと思っています。俺も覚悟を決めないとならない』
「何の覚悟?」
『舞に嫌われる覚悟です。エレベーター呼びますね』
「待って……」
エレベーターホールの柱に愁の背中が触れた。柱に押し付けた彼の首もとに蘭子の腕が絡み付き、彼女の唇と愁の唇が接近する。
柔らかな接触が二度続き、蘭子の舌先が愁の唇を妖しげになぞる。軽くと深くを交互に繰り返すリップ音が両者の唇から奏でられた。
「酔って目が変になったのかな。今の木崎さんが舞の父親に見えてしまったのよ。おかしいでしょう?」
『言動が老けているとは言われますが、高校生の娘を持てる年齢ではありませんよ』
「木崎さんなら高校時代に作った隠し子もありえそうな話よ。本音を言うとあなたに本命さんが現れなければ、今夜は抱いてもらいたかった」
自《みずか》ら呼び出したエレベーターに乗り込んで、蘭子は愁の前から消えた。
美夜以外の女の唇に久々に触れた。美夜とのキスでは感じた全身から沸き立つ熱や、くすぐったくなる心の甘い痛みは蘭子とのキスでは感じない。
キスの流れであのまま蘭子の部屋でベッドを共にしても、その行為に愛はなく、精子の放出活動の意味しか持たない。
けれど今夜、蘭子とそうならなくて安堵する自身に愁は冷笑を返した。
こんな時にまで美夜の存在が心を占める自分に我ながら呆れ果てた。美夜以外の女を抱きたいとも思わない自分は本当に、どうかしている。
『舞の父親……ね』
蘭子と言い、三岡鈴菜と言い、男の内面の変化に女は目ざとい。それでなくても雨宮蘭子は鋭い女だ。