〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 勇喜の分析に美夜は概《おおむ》ね同意した。紺野萌子の本当の姿は、父親と兄が知る彼女とは別の人格。

決して多重人格ではない。父と兄の前では出さなかった負の部分を、彼女は学校という狭い世界で出してしまっただけ。

 十代中頃を過ぎた大抵の人間は、その発言をした結果の相手や周りの反応がどうなるかまで思考できる。場の空気を読みすぎて気持ちを内に抱え込み、鬱になる人間も多い。

 勇喜のいじめられる側が時に悪い論も、彼はSNSで発言すれば反論の攻撃に合うだろうと結果を予想できていた。
それなりの教養と人生経験を重ねれば、公《おおやけ》の場で言っていいこと、悪いことの分別はつくものだ。

分別のつかない人間が失言を繰り返すのだろう。

 萌子の場合は無邪気で無自覚、無意識な上から目線の言葉や人を馬鹿にする態度が、相手を傷付けていた。
それが嫌われる原因になるとは思わずに、他者へ言ってはいけないこと、してはいけないことが萌子には上手く分別がつかなかったのだ。

 部屋の壁半分を支配する書棚には、小説や参考書が詰め込まれている。
8ヶ月前に萌子と交わした会話の内容を、目にする本の背表紙と共に思い起こす。読書家の萌子は本の話となると目の色を変え、口調も饒舌に変わっていた。

 萌子の初めての性交渉の相手が陣内なら、考えられる仮説はひとつ。仮説を裏付ける証拠はこの本棚の中にある。

「……あった。殺人衝動」

 白手袋を嵌めた美夜の手がその分厚い本を引き抜いた。
本のタイトルは間宮誠治の〈殺人衝動〉。イギリスの切り裂きジャックに傾倒した陣内の犯行に酷似する内容の推理小説だ。

本の中間部のページにしおりが挟まっている。桜の花びらを押し花にした手作りのしおりは、萌子が失った人としての優しい部分。
この栞を手作りした時、萌子はまだ人の温かさや優しさを心に置いていた。そんな気がする。

 〈殺人衝動〉を鑑識係に手渡した。この本から陣内の指紋が検出できれば、本の元の所有者は陣内だったと証明できる。

8ヶ月前、陣内の蔵書にはなかった〈殺人衝動〉の行方を美夜は気にしていた。最近は陣内から本を借りたかと萌子に尋ねても、あの時の萌子は「いいえ」とかぶりを振ったが、あれは陣内との秘密の関係を隠す嘘だ。

「萌子と陣内が“そういう関係”かもって当時から思っていたの。でもそれが証明できても、今となっては何の意味も持たないね」
『そんなことはないだろ。萌子と陣内が繋がっていたなら、陣内は萌子に殺人を依頼された可能性が出てくる。結果は同じでも、殺人教唆《きょうさ》からの殺人では量刑に差が出る。……陣内の場合は無差別に人殺しがしたいって言う最悪な動機だから、どうあっても減刑はないな』

 陣内の刑は確定している。もしも最後の殺人が殺人教唆での実行でも、陣内自身の殺人衝動に萌子が火をつけたに過ぎない。
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