いちばん星と御曹司

一星

「僕、外国暮らしが長いんです。今回、お見合いの話を父から聞いて、帰国したんです」
「お父様から、わざわざお手紙を頂いたって父が。丁寧な方ですよね」
 一星さんが頷いた。
「ええ、まあ。桃さん、片野坂財閥のことご存知でした?」
「いえ……正直、知らなくて。ごめんなさい」
 あたしは正直に答えた。
「ですよね。うちの財閥はもう、終わったに等しいんです。時代の流れには逆らえません。過去にいくら栄華を極めたとしても、それを存続させる力が無ければどうしようもない。僕は——初めから家を継ぐ気なんてありませんでした。だから外国で、好きに生きていこうと思いました。バックパッカーをしたり、ファームステイをしたり。アドベンチャーマラソンにも挑戦しました。知ってます?」
 あたしは首を横に振った。何だそのワクワク感ハンパないマラソンは。
「じゃあ、どうして今回、お見合いなんて……」
 何を言われるんだろう。聞くのが怖い気もする。今日一日、楽しかったから余計に。
「アフリカを旅していた時、小さな貧しい村で小学校を見つけたんです。父が——片野坂財閥が、その昔寄贈したものでした。地元の人に聞いたら、ものすごく感謝してました。この学校ができてから、この村は豊かになった、って。僕はちっとも知らなかったんです。父がどんなことをしてきたか。いや、知ろうともしていなかった。何も知らないで、ただ否定していた。金儲けのことしか考えていないんだろうって」
「だから後を継ごうと……」
 一星さんは微笑んだ。
「ええ。まあ婿養子に入れば片野坂の名前は消えますけど、それでも父の想いは継げますから。——桃さん」
「は、はい」
 一星さんが真剣な顔であたしを見つめる。顔が熱いのは炎のせいだけじゃない。
「僕はこの通り、何も持っていません。あるのは肉を焼く才能くらいで」
「それも素敵な才能ですよ?」
「そうかも。いや、そうじゃなくて。それでも、あなたに選ばれたいと思っています。あなたに選んでもらえるなら、僕は()()()を失ってもいいと思っています。それにあなたが望むなら、結婚しても今の仕事を続けていただいて構いません。髪の色もずっとそのままでいい。あなたは、あなたのままでいてくれたらいい。だから——僕を選んでくれませんか?」
 顔がカッと熱を帯びる。男の人に、こんなふうに言われたのは初めてだった。あたしは可愛くないし、ガサツだし、どうしたって人様に選ばれる側の人間じゃない。何で、今日初めて会ったあたしにここまで言ってくれるんだろう? ちょっと不自然なくらいだ。
 
「桃さん——僕は、あなたが好きだ」
 
 一星さんの手が、あたしの頬に触れた。顔が近付いてくる。綺麗な顔が、形の良い唇が。キスされる……!

 ——おい、桃ちゃん
 
 その時、何故だか久保っちのことが頭を過ぎった。
 あたしの髪をぐしゃぐしゃにしてきたあの手。
 ふざけて名前で呼んでくるところ。
 他愛の無い、実のない話。
 あたし、何で……?
 気付いたら、一星さんの肩を押し返していた。
 
「あ……、えっと、ごめんなさい。あたし……」
「い、いえ……。俺の方こそ……突然すみません。ちょっと、焦りすぎました。そ、そろそろ帰りましょうか。あんまり遅くなってもいけないんで」
 そう言うと、一星さんはいそいそと帰り支度を始めた。あたしも慌てて手伝いながら、さっきの気まずい空気を追い払おうと懸命に努めた。
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