いちばん星と御曹司

真実

「存在しないって、どういうこと……?」
 
 父の言葉の意味がわからない。でも何も反論しない片野坂社長を見ると、父の言葉は真実なのかもしれない。
 父は、目を閉じて深いため息を吐いた。
「気になっていたんだ、初めから。片野坂財閥に跡取り息子がいるなんて話、耳にしたことが無かった。それで気になって、調べたんだ」
 父の言葉に、片野坂社長は無言を貫いている。
 
「驚いたよ。片野坂一星氏は、五年前に亡くなっていたんだ」
 
 背中がスッと冷たくなった気がした。一星さんが、亡くなっている……? それも五年も前に……? それじゃ、あたしが会っていたあの一星さんは一体……。
 
「お前と会っていたのは片野坂一星氏じゃない。彼を騙る、全くの別人だ。——そうでしょう? 片野坂社長」
 
 父とあたしに視線を向けられた社長は、ようやく小さく頷いた。
 
「仰る通りです。彼は、本当の息子ではありません。息子は——私の一星は五年前、アフリカで事故に遭い命を落としました」
 
 ——アフリカを旅していた時、小さな貧しい村で小学校を見つけたんです。
 ——僕はちっとも知らなかったんです。父がどんなことをしてきたか。
 
 そう話してくれたあの人は、一星さんじゃないの……? 
 
「息子と私は、長い間離れていました。息子は私のことも家のことも良く思っていなかったようで、反発するように外国へ行ってしまい……それきりです。私は彼が何処で何をしていたのか、何も知りませんでした。戻ってきたのは骨と、彼の壊れたスマートフォンだけで……。馬鹿息子でしたが、大切な息子でした。元々、片野坂は私の代で終いにするつもりでした。ところが今年になって、知人から突然一人の青年を紹介されたのです。彼は、今までの自分を捨ててでも私の養子となり、片野坂一星として生きたいと申し出てきました。初めは冗談だろうと断りましたが、彼は真剣だった」
 
「その青年は何故、あなたの養子になりたいと? 失礼ですが財産目当てでは?」
 
 父の言葉に、片野坂社長は思い出したようにふっと笑った。
 
「ええ。私も、初めはそう思いました。でも違った。彼が欲しかったのは財産ではなくて——肩書きでした」
 
「肩書き……?」
 
 訳がわからず、私は片野坂社長の顔を見た。社長は優しく微笑んでくれる。その顔は、さっき初めてこの人を見た時から思った通り、やっぱり一星さんには似ていなかった。
 
「そう、肩書きです。御曹司、というね」
 
「それは一体、何の為に……」
 
「あなたを手に入れる為、ですよ。桃さん」
 
 片野坂社長の言葉に、あたしと父は顔を見合わせた。ますます意味がわからない。
 
「薬師寺家の次女と婚約できるのは御曹司だけ——あなたがそう決めたからです、薬師寺社長」
 
「えっ……? い、いや確かに言ったかもしれないが、だからと言ってその為に? あなたの養子になりたい、と……?」
 片野坂社長は頷いた。とても信じられない、そんな話。養子になるって、そんな簡単に決めていいことじゃないと思う。だってその人自身にも両親はいるだろうし、仕事とか、今まで積み上げてきたものとか——。
 
「信じられん……。何なんだ、その青年……」
 父の隣で、あたしは思い出していた。あの日の一星さんの言葉を。
 
 ——あなたに選んでもらえるなら、僕は()()()を失ってもいいと思っています。
 
 あの人は確かそう言ってた。それって、そういうこと? でも、どうして? 何でそこまであたしを……?
 
「彼は……息子のことを知ろうとしてくれました。遺品のスマートフォンを可能な限り修理して、残されたたくさんの写真や動画を私に見せてくれたのは彼です。お陰で私は、息子の死にようやく向き合うことができた……。息子がどんな人生を送ってきたのか……息子のことを、少しだけ理解できた気がしたんです。桃さん。彼は、ずっと以前からあなたのことを本当に大切に思っていますよ。誰にも渡したくないんだと言っていました。彼の優しさと、あの情熱に私は心を打たれたんです」
 
 片野坂社長は、畳に手を付いて頭を下げた。
 
「薬師寺社長、桃さん。お二人を騙すようなことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。私のことはいくら恨んで頂いても構いません。望まれるのであれば慰謝料もお渡しします。ですがどうか、あの彼のことは……許してやってください。あれは、本当に真っ直ぐな良い青年です」
 
「頭を上げてください、片野坂さん。一体、誰なんです、その青年というのは」
 
「彼は……彼の本当の名前は————」
 
 
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