いちばん星と御曹司
何であたし?
「だから何回も説明したじゃない! 状況が変わったんだから、仕方ないでしょう⁉︎」
部屋への扉をそろりと開けると、杏の大きな声が耳に響いた。
「仕方ないで済む話じゃないだろう⁉︎ これはいわば、契約違反じゃないのか⁉︎ え⁉︎ どうなんだね、優斗君!」
父の圧に押され、久しぶりに見た初恋の相手は子ウサギのように小さく見える。
「それは、本当に申し訳ありません、お義父さん……」
「もう君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無いっ! この婚約は白紙だ白紙!」
「ちょっとお父さん、何てこと言うの⁉︎ 私たち婚約解消なんて——あっ、桃ちゃん! 来てれたのねっ!」
ヤバい所に来てしまった。
杏、父、そして優斗君の視線が一斉にあたしに集中する。
「……おひさー」
ひらひらっと軽く手を振って、渾身のスマイル。杏と優斗君はホッとしたような顔を、父は状況が読めていないようなポカンとした顔を、それぞれ見せる。
「……お前、何しに来た」
機嫌の悪い時バージョンの父の声。
「何って。呼ばれたから? 杏に」
それを聞いて父は杏をキッと睨みつける。とぼけた様子で視線を逸らす杏。小さくガッツポーズをしている優斗君(見えてるから)。
「……とにかく優斗君。うちの会社を継ぐ気が無いなら、杏との結婚も白紙だ。わかったらさっさと出て行きなさい」
父の矛先が再び優斗君に向かう。
「お父さん、待って! 私、優斗じゃなきゃ駄目なの!」
「お義父さん、お願いします! 僕も杏さんでないと……杏さん以外、考えられないんです!」
「だったら約束通り会社を継いで婿に入ることだ!」
あたしの実家は、薬師寺精糖という精糖会社を営んでいる。先代から数えて父で三代目になる、そこそこ名の知れた会社ではある。ただ残念なことに、父には息子が生まれなかった。その代わりに、双子の姉妹——杏と桃——が生まれた。双子とは言っても、杏とあたしは恐ろしく似ていない。杏はとにかくおっとりとしていて、不器用で頼りない。そこがまた男ゴコロをくすぐるのか、幼少期から杏には大勢の取り巻きがいた。変な虫が付かないよう、杏の側で番犬のように目を光らせていたのが、あたし。ガサツで喧嘩っ早く、そして可愛くないくらいに器用だった。
将来、薬師寺精糖を継ぐお婿さんに、と東雲家の三男である東雲優斗を紹介されたのは、あたしたちが五つの時だった。優斗君は二つ年上で、父親同士が昔馴染みだという縁だった。七歳の優斗少年はそれはそれは礼儀正しく、真面目で心優しい素敵なお兄さんだった。杏とあたしは、多分ほぼ同時に恋に落ちたと思う。
優斗君の実家は東雲グループという全国的にも名の知れた財閥で、跡取りには長男と次男が指名されていた。三男である優斗君が薬師寺精糖を継ぐことにより、うちは晴れて東雲グループの子会社となって将来安泰……となるシナリオだ。優秀な優斗君を義理の息子にしたい、という父の目論見も当然あっただろう。
ところが。
どうやら話をまとめると、ここ数年に及ぶ不況の煽りを受けて、東雲グループの経営方針が見直されたらしい。早い話が、よその会社と手を結ぶより、自社の立て直しが優先されたわけだ。優斗君の婿入り話も、薬師寺精糖を継ぐ話も、一旦白紙に返すという。そして優秀な三男は、東雲グループ直営の子会社の代表として収まることが社長(優斗君のお父様)の一存で決まったという。
ただ……。
「うちを継ぐ気は無い。業務提携も白紙。それなのに娘だけは欲しいだって? それはあまりにも筋が通っていないんじゃないか? え? どうなんだね、優斗君!」
父が二度目の「どうなんだね優斗君」を彼にぶつける。
まあ、第三者のあたしが聞いても、こればっかりは父の方に分がある気はする。だって五歳の頃から決められていた話なんだから。それをいまさら、って気持ちはわかる。でもだからと言って、婚約披露パーティーまで開いて結婚秒読み段階の優斗君と杏を引き離すのも現実的じゃない。ま、あたしには関係ないけど。ていうかあたし、何で呼ばれたんだろ?
「今、東雲グループが厳しいのは事実です。でも……! 僕が必ず立ち直らせてみせます! その時にはまた薬師寺精糖さんと手を組んで……」
「もう結構! 薬師寺は金輪際、東雲グループと関わる気は無い、と帰って父親に伝えろ!」
「そんな……」
子ウサギ優斗はその場で項垂れた。杏が、その手を放すまいと握りしめている。
「桃」
何故か父の矛先が、あたしに向けられる。
「東雲グループが駄目なら、第二、第三候補がある。この際、杏じゃなくても構わん。——お前、見合いをしろ」
「は?」
何言ってんの、この人。見合い? あたしが?
部屋への扉をそろりと開けると、杏の大きな声が耳に響いた。
「仕方ないで済む話じゃないだろう⁉︎ これはいわば、契約違反じゃないのか⁉︎ え⁉︎ どうなんだね、優斗君!」
父の圧に押され、久しぶりに見た初恋の相手は子ウサギのように小さく見える。
「それは、本当に申し訳ありません、お義父さん……」
「もう君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無いっ! この婚約は白紙だ白紙!」
「ちょっとお父さん、何てこと言うの⁉︎ 私たち婚約解消なんて——あっ、桃ちゃん! 来てれたのねっ!」
ヤバい所に来てしまった。
杏、父、そして優斗君の視線が一斉にあたしに集中する。
「……おひさー」
ひらひらっと軽く手を振って、渾身のスマイル。杏と優斗君はホッとしたような顔を、父は状況が読めていないようなポカンとした顔を、それぞれ見せる。
「……お前、何しに来た」
機嫌の悪い時バージョンの父の声。
「何って。呼ばれたから? 杏に」
それを聞いて父は杏をキッと睨みつける。とぼけた様子で視線を逸らす杏。小さくガッツポーズをしている優斗君(見えてるから)。
「……とにかく優斗君。うちの会社を継ぐ気が無いなら、杏との結婚も白紙だ。わかったらさっさと出て行きなさい」
父の矛先が再び優斗君に向かう。
「お父さん、待って! 私、優斗じゃなきゃ駄目なの!」
「お義父さん、お願いします! 僕も杏さんでないと……杏さん以外、考えられないんです!」
「だったら約束通り会社を継いで婿に入ることだ!」
あたしの実家は、薬師寺精糖という精糖会社を営んでいる。先代から数えて父で三代目になる、そこそこ名の知れた会社ではある。ただ残念なことに、父には息子が生まれなかった。その代わりに、双子の姉妹——杏と桃——が生まれた。双子とは言っても、杏とあたしは恐ろしく似ていない。杏はとにかくおっとりとしていて、不器用で頼りない。そこがまた男ゴコロをくすぐるのか、幼少期から杏には大勢の取り巻きがいた。変な虫が付かないよう、杏の側で番犬のように目を光らせていたのが、あたし。ガサツで喧嘩っ早く、そして可愛くないくらいに器用だった。
将来、薬師寺精糖を継ぐお婿さんに、と東雲家の三男である東雲優斗を紹介されたのは、あたしたちが五つの時だった。優斗君は二つ年上で、父親同士が昔馴染みだという縁だった。七歳の優斗少年はそれはそれは礼儀正しく、真面目で心優しい素敵なお兄さんだった。杏とあたしは、多分ほぼ同時に恋に落ちたと思う。
優斗君の実家は東雲グループという全国的にも名の知れた財閥で、跡取りには長男と次男が指名されていた。三男である優斗君が薬師寺精糖を継ぐことにより、うちは晴れて東雲グループの子会社となって将来安泰……となるシナリオだ。優秀な優斗君を義理の息子にしたい、という父の目論見も当然あっただろう。
ところが。
どうやら話をまとめると、ここ数年に及ぶ不況の煽りを受けて、東雲グループの経営方針が見直されたらしい。早い話が、よその会社と手を結ぶより、自社の立て直しが優先されたわけだ。優斗君の婿入り話も、薬師寺精糖を継ぐ話も、一旦白紙に返すという。そして優秀な三男は、東雲グループ直営の子会社の代表として収まることが社長(優斗君のお父様)の一存で決まったという。
ただ……。
「うちを継ぐ気は無い。業務提携も白紙。それなのに娘だけは欲しいだって? それはあまりにも筋が通っていないんじゃないか? え? どうなんだね、優斗君!」
父が二度目の「どうなんだね優斗君」を彼にぶつける。
まあ、第三者のあたしが聞いても、こればっかりは父の方に分がある気はする。だって五歳の頃から決められていた話なんだから。それをいまさら、って気持ちはわかる。でもだからと言って、婚約披露パーティーまで開いて結婚秒読み段階の優斗君と杏を引き離すのも現実的じゃない。ま、あたしには関係ないけど。ていうかあたし、何で呼ばれたんだろ?
「今、東雲グループが厳しいのは事実です。でも……! 僕が必ず立ち直らせてみせます! その時にはまた薬師寺精糖さんと手を組んで……」
「もう結構! 薬師寺は金輪際、東雲グループと関わる気は無い、と帰って父親に伝えろ!」
「そんな……」
子ウサギ優斗はその場で項垂れた。杏が、その手を放すまいと握りしめている。
「桃」
何故か父の矛先が、あたしに向けられる。
「東雲グループが駄目なら、第二、第三候補がある。この際、杏じゃなくても構わん。——お前、見合いをしろ」
「は?」
何言ってんの、この人。見合い? あたしが?