いちばん星と御曹司

ランチタイム

「ええっ、ヤッシーお見合いするの⁉︎」
 
 馴染みの定食屋さんで、あたしの向かいに座るモエモエ先輩が声を上げた。先輩の声に思わずビビったあたしは、大好きな生姜焼きをお皿の上に落っことしてしまった。同じように先輩の声に驚いた何人かが、こちらを振り返る。
 
「ちょっ、モエモエ先輩声大っきいってば!」
 
「あっ、ごめんごめん……」
 
 えへへ、と笑って水の入ったコップを手に取った。その薬指には、まばゆいばかりの結婚指輪が光っている。
 モエモエ先輩こと本多(ほんだ)萌子(もえこ)先輩は十歳年上の先輩で、あたしの勤める食品会社「アクロス・テーブル」の若き専務取締役・朝比奈(あさひな)圭人(けいと)の奥様だ。専務とは確か、一回りくらい歳の差があるって言ってたから……え、専務っていくつだっけ? まあ、愛があれば歳の差なんて関係ないって言うしね。二人の結婚式と披露宴はそりゃもう豪華絢爛で素敵すぎて……。って、今はそれどころじゃなかった。あ、ちなみに「ヤッシー」っていうのはあたしの愛称で、小学生の頃男子につけられた。結構気に入ってんだよね。
 
「いや、もち拒否ったよ」
「えっ、そうなの? でもそれじゃお父様は納得しないんじゃないの?」
 
 そう。拒否をするにも理由がいる。薬師寺社長はわかりやすく面倒なオヤジなのだ。
 
「うん。だからあたし、言っちゃった」
「何て?」
「あたしには結婚を考えてる相手がいるからムリ、って」
 モエモエ先輩がずいっと前のめりになる。
「嘘っ⁉︎ えっ、ヤッシーそんな人いたの⁉︎ やだぁ、もっと早く教えてくれたら良かったのに! もしかして同じ会社の人? 気になるー!」
 駄目だ、完全に「恋バナを楽しむ女子」になっている。モエモエ先輩は仕事の時はチャキチャキしてカッコいいんだけど、普段は大体こんな感じだ。専務夫人オーラがまるで無い。まあ、あたしはそこも好きなんだけど。
 
「マジでいると思う? あたしだよ? ヤッシーだよ?」
 
「……いても、おかしくはない、と思うけど……?」
 
「今ちょっと間あったね⁉︎」
 
「いやいやいや! そんなことないわよ、ヤッシーが恋の一つや二つしてたって、全然驚かないんだからっ、私」
 
 何故かドヤってる先輩が可笑しくて、笑ってしまった。
 
「それじゃ、お父様に嘘ついたってことなのね?」
「ま、そゆこと」
「それで納得してくれたの?」
「いや、それがさ……」
 
 
 
『そんなどこの馬の骨かわからん男と結婚なんて許さんぞ! 今すぐここに連れて来い!』
 
 
 
 薬師寺社長は本当に面倒臭い。大体、どこの馬の骨、とかリアルに使う人初めて見たんだけど。
 先日の父の言葉を思い出し、心底げんなりした。もちろん「馬の骨」はあたしが咄嗟に作り出した脳内彼氏なワケで、今すぐ連れて来るなんてことは不可能だった。だから、あたしは嘘に嘘を塗り重ねるしかなかった。
 
『彼は超忙しいんだって! 今は海外にいて電波も届かないから連絡も無理!』
 
 いまどき電波が届かないとか……どんな秘境におるんや彼氏……。
 
 
 
 結局、脳内彼氏について父からそれ以上あの場で追及されることはなかった。おおかた、嘘だと見破られているんだろう。
 
「それで、結局お見合いを……?」
 
 モエモエ先輩が気の毒そうな顔を向ける。あたしは黙って頷くと、生姜焼きを口に運んだ。どんな時でも美味しいものはやっぱり美味しい。あたしから食べることを取ったら、何も残らないんじゃないかと思ってる。
 
「まあ、一応? 形だけね。会うくらいタダだし、それで親の気が済むなら」
 
 誰とお見合いしようが、断られるに決まっている。相手に断られてしまったんじゃ、いくら薬師寺社長でもどうしようもないだろう。お見合いには両家の色々な思惑があるんだろうから。いくら実家が精糖会社だろうが、あたしはこの通りガサツで、メイクもケバ目だし、何より髪の色は社会人としてあるまじき程の金色だ。——もちろん地毛じゃない。行きつけの美容院でやってもらった、渾身のブリーチだ。大抵の人間はあたしの外見を見て、コイツやべぇぞ的な反応を見せる。二十五歳にもなって社会的常識も無いのか、と。でも、あたしは全然構わない。他人に何を思われようと、これが本当のあたしだから。あたしがこんなふうになって、離れていった人たちはもちろん大勢いたけど、認めてくれた人たちもいた。今の職場は正にそれだ。
 だから、お見合いをしたって無駄なのだ。絶対に父の思惑通りになんていきっこない。
 
「そっかあ……。お父様、納得してくれるといいね」
 
 モエモエ先輩が心配そうな顔をする。
 何としても納得してもらわなければ。あたしは結婚するつもりも、実家を継ぐつもりも無い。あの家は杏と優斗君が継ぐべきなのだ。ていうか、あたしが継いじゃいけない。絶対に。
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