それらすべてが愛になる
 洸はスーツの内ポケットから名刺入れを出して、一枚を清流に差し出す。

 受け取ったそこには『維城商事(いしろしょうじ)』の名前があった。

 「いしろ、商事…」

 目は文字の上を滑っていくだけで、頭で理解するのに時間がかかった。

 維城商事といえば、国内のアパレル商社のトップに君臨する一大企業だ。
 創業以来海外ブランドとの提携や流通業をメインストリームとしながら、近年では工業系の他事業を買収して積極的に事業拡大を展開していると聞く。

 そこの創業者一族が加賀城家だ。
 佐和子の態度が180度変わったのも当然のことだった。

 「もちろんただで結婚しろとは言わない。清流、就職先がなくて困ってるんだろ。だったらうちで働けばいい」

 「うちで働くって……」

 突然の話に、頭がついていかない。

 「その名刺にある通り、俺は経営企画部の部長だ。うちの部署で一人急に辞めて欠員が出てる。本当は中途で補充要員が来るはずだったんだが、先方の都合でそれも白紙になったんだ。また一から探すのも面倒だし何より今すぐにでも人が欲しい」

 「つまり、就職先を斡旋する代わりに婚約者のふりをしろと…?」

 「そう。俺は面倒な縁談攻勢から解放されるし、職場の欠員は補充できる。清流は、まぁ俺が言うのも何だが名の知れた一流企業に就職して自立できる。お互い悪い話じゃないだろ?」

 こんな条件めちゃくちゃだ、と思う。

 それに仮にこの話を引き受けたとして、婚約者が会社に入ったら公私混同だと思われるのは洸の方ではないのか。

 「あぁ、だから入社のための面談や人事手続きは通常通り受けてもらう。合格が出るまで人事にも婚約者だということは伏せておく」

 社内で俺に楯突くやつはいないとは思うけど、と洸は嘯くけれど、そういう問題ではない。

 「そ、そんなの無理ですよ。それって結局入社したら会社の人に知られるってことですよね?そんな環境で働くなんてできないです」

 好奇の目に晒されるか腫れ物扱いされるか、どちらにしても居心地悪いに違いない。
 清流が折れないと見ると、洸はやれやれと言いたげに溜息を吐く。

 何も間違ったことは言っていないはずだ。
 常識からみれば自分の方がまともなはずなのに、なぜだろう、洸と話していると自分が間違っているような気がしてくる。

 「分かった。それなら会社の試用期間の六ヶ月、その間俺たちの関係も試用期間とする。問題なければその後も継続、無理なら解消。どうだ?」

 「…それは、関係が無理となったら会社も退職ってことですか?」

 「さあ?それは清流の働きぶり次第だな」

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