幼なじみの王子に嫁いだら革命がおこりました。
1話

馬車が揺れる振動を背に感じ、
車輪が小岩を踏み鳴らす音を聞きながら、
私は幾度となく溜め息を吐く。


「アンジェ様、また溜め息ですか?
疲れましたか?」

私の専属の侍女のエミリーが、隣で苦笑している。

エミリーは17才の私より1つ年上の18才で、
歳が近いからかその主従関係を越えて私は彼女に友人や姉妹のような信頼や好意を抱いている。

それは、彼女は誰よりも私の事をよく理解してくれているから。


「疲れて溜め息が出るわけじゃないわ。
分かっているでしょ?」

馬車のキャビンの中、私は反論する為に座席にもたれていた体を起こす。

実際、長時間も馬車に乗っており、疲れていないわけが無かったが、
溜め息が出るのはそんな理由ではない。



「今からお嫁に行くのにそんなに暗い顔していると、幸せになれませんよ?」

「例え今笑っていても、私は幸せにはなれないわよ!
だって、結婚相手はアイツだもの」

「そうですか?
私はザラ王子とアンジェ様はとてもお似合いだと思いますわ。
世間では、二人の関係は幼なじみと言うのでしょうか。
隣国の王子と王女として幼い頃からとても仲が良くてと、
昔をよく知る侍女頭からも聞いております」

「どこが?!
アイツと私は幼き頃からずっと犬猿の仲。
きっと、向こうだって私が花嫁だなんて嫌だって嘆いているわよ」


ちょうど3ヶ月前に行われた、
私の誕生日の宴の時だって!



「わざわざ遠い所出向いて来てみれば、
そんな似合わない品のないドレスを着て、男たちに娼婦のように愛想振り撒いてるとは」

ザラは鼻で笑うと、私を頭から爪先まで見て、もう一度鼻で笑った。

きっと、胸が小さいのに胸元の開いてるドレスを着ている私を嘲笑ったんだわ。

それとも、この真っ赤なルージュかしら?


「あら、わざわざ来て下さらなくてよろしかったのに。
貴方に招待状を出した覚えはなくてよ」

私はそう言ってやり返すようにザラを見るが、
その整った容姿に言葉が詰まる。

この男の容姿が整っている事は昔から知っているが、
ここ数年、さらに磨きが掛かっているように思う。

私より2つ歳上の19歳で、たった2歳しか違わないのに、
妙に落ち着いていてとても大人に見える。

背なんか、昔はそんなに私と差はなかったはずなのに、
今は見上げる程高くなっている。

私を見下ろす切れ長のその瞳はグレーで、その愁眉さに思わず見惚れてしまう。

綺麗な、銀色の髪の毛。
高く整った鼻。
意地悪そうに口角の上がった唇も、形はとても綺麗で。


「お前はいずれ我が妃になる。
例え親同士が決めた国の為の結婚とはいえ、だ。
婚約者の誕生日に顔を出すのは当然だろう?
ま、お前は全然来ないがな」

そう言われ、私は言い返せず黙る。

ちょうど1ヶ月前に行われたザラ王子の誕生日の宴に、
私は出向く事はしなかった。

今年だけではなく、もう10年前から彼の誕生日を祝ってはいない。

それは、私達の婚約が決まってから。


「それなのにザラは来てくれて、ありがとう」

「ああ。
年に一度くらいは婚約者の顔を見ておかないとな」


この人との結婚は、
王家に生まれた私のさだめなのだろう。


私の名はアンジェ・ジュール。

フリール国のリゼット・ジュール王とレイリーナ王妃の第一王女として、17年前に生まれた。

その時、リゼット王には既に第一子となる5才の王子が一人おり、
その王子、兄アルファルトが王になる為に徹底した英才教育を受けているのを傍目に見ながら、
私は王女としての最低限の教育を受けながらも、
今日まで自由奔放に生きて来た。

リゼット王もやはり父親なのか娘である私にとても甘く、
なんでも私の我が儘を聞いてくれていたし、欲しい物はなんでも与えてくれた。


だけど、ただ一つそんな父リゼット王が私に自由の選択を奪ったのが、結婚。


隣国で同盟国であるデーン国のモーラスト・モンテフォール王の第一王子ザラ・モンテフォールとの結婚は、
幼き頃に我が父リゼット王とデーン国国王モーラスト王が取り決めた。

同盟の証に、と。

そもそも、我が国フリール国とデーン国は隣国である前に、1つの小さな大陸を2つの国が分け合うようにある国と国。

今から約300年前に、元々1つの島国だったのが、
東と西、真っ二つに分かれて2つの国になったそうだ。

それが、東のフリール国、西のデーン国。


フリール国とデーン国2つに分かれてからずっと、その2つの国は戦争や小競り合いばかりを続けていたそうだが、
ここ100年程は特に争う事はなく、30年前には同盟も結ばれた。

そして、今回のこの私とザラ王太子との結婚も、その同盟の象徴となる。


「この結婚はお父様が決めた事だから、どれだけ嫌でも逆らわないけどね」

「はい。亡きリゼット前国王陛下のご意志ですからね」


私の父であるリゼット王は、1年半前に流行り病で亡くなった。
10年前に亡くなった我が母レイリーナと同じ病。


私の家族は、兄のアルファルトだけになった。

そして、その兄が今のフリール国国王陛下。


「お兄様にも、良き妃としてザラ王太子に尽くすようにと、夕べ言われたわ」


夕べの、兄との二人きりでの会食を思い出す。


「お前がデーン国でザラ王太子と幸せであれば、亡き前国王も喜ばれるだろう。
勿論、私も兄としてそうなれば嬉しい」

「はい・・・」

そう言って、私はグラスに入った水に口付ける。


こうして兄妹水入らず二人きりでも、兄は父を前国王と呼ぶ。
幼い頃から思っていたが、兄とはどこか他人のような遠さを感じる。

いつも兄にはお目付役や教師などが張り付いていて、幼き頃一緒に遊んだ記憶はない。


「お前とザラ王太子も、私とレベッカのように皆から羨まれる夫婦になれるだろう」


兄も同盟の証として、
3年前、デーン国モーラスト王の弟であるニコラス公爵の娘レベッカを、
妻にしている。

政略結婚。


「はい。お兄様」


兄アルファルト王とレベッカとの結婚だけは、
王としての務めや義務としてだけではなく、兄自身が幸せだと感じていて欲しい。

私は退屈から上半身を浮かすように立ち上がり、窓の外を覗いてみる。

見えるのは、私達が乗る馬車を守る馬に乗った護衛の兵達ばかり。
その隙間から、山頂を示す旗が見えた。


「ちょうど、国境辺りね」


今、この馬車はちょうど山の山頂辺りを走っている。

フリール国とデーン国の間には、1つの大陸を真っ二つに割るような大きな山脈がある。
実際、その山脈が国と国との境界線となり、その山頂が国境になっている。

そして、フリール国とデーン国お互いの国を行き来するには、この境界線となっている山を越えなければいけない。
もしくは、海に出て遠回りに船で行くか。

でも、それは今までの話。

直に、フリール国とデーン国を結ぶトンネルが10年余りの歳月をかけた末に完成する。
それは、山の一部を崩し、作られている。

国境を越える際にわざわざ山を登らなくてすむようになる。


「トンネルが出来てからならば、もっと早かったのに。
結婚もそれからでも良かったと思うのだけど・・・」

私は再び、座席に腰を下ろす。

それにしても、長時間座っているから腰が痛いわ。

私も外に出て護衛兵達と同じように自分で馬に乗り走らせたい。
せめて、体をキツく締め付けるコルセットや仰々しいこのドレスを脱ぎ捨ててしまいたい。


「3ヶ月後には完成するそうですね。
里帰りする際には、便利になるでしょうね」

エミリーは、頑なに結婚したくない私をそうやって苛める。


「あー、一週間くらいで、我がフリール国に帰りたいわ」

「もうホームシックですか?
その頃はまだトンネルは完成してませんよ」

「分かってるわよ。
それに、1ヶ月後にアイツ・・・じゃなくて、ザラ王子は王位継承するんでしょ?
その儀式に妃となる私にも参加して欲しいから、こんなにも早く嫁ぐ事になったのよ」

私の結婚相手であるザラ王太子は、近いうちにデーン国国王となる。

そして、私は王妃に。


「数年前から再三とあちらからアンジェ様に早く来て欲しいと申し入れが有りましたが、
いつもアンジェ様はそれをのらりくらりと交わして、今日になったのですけどね」


父であるリゼット前国王の喪も明け、
ザラ王太子の王位継承もあり、
もう結婚を先延ばせる理由がなくなってしまった。

いや、使わなかったが1つだけまだある。

他国に嫁ぐ私の王位継承放棄の問題。
父親の死の間際に口にした遺言で、私が18才になる迄はその放棄を認めないと。

だから、その王位継承の放棄が認められる18才になってから、
晴れて他国の妃になる方が理に適っていたはず。



「結婚式は、3ヶ月後だけどね」


私の輿入れは今日に決まったが、正式な妃になるのは3ヶ月後。

それは、私が提案した。

本当は、私がデーン国に来てすぐに結婚式を執り行う予定みたいだったが、
私がそれを断り、3ヶ月後にして欲しいと頼んだ。

その理由は、やはり結婚は好きな人としたいから。

だから、その猶予の3ヶ月間でザラ・モンテフォールを好きになろうと決めた。










日が落ち空が藍色に染まる頃には、目的地であるアルデバラン宮殿に辿り着いた。

それは高台にそびえ立つ。
約300年以上もこの場所に有り、何度も天災を受けながらも姿を変える事なく今も白く美しい。

デーン国の象徴とも言える古城。




宮殿に入り、長旅の疲れを癒やす前にデーン国国王であるモーラスト王に拝謁賜ろうと、
宮殿の大広間へと私達一向は足を運ぶ。


「久しぶりだな。
それにしても、こんな遅い時間に着くとは。
フリール国の馬車は我が国の物よりも劣っているのだろうな」
 
大広間の入り口の壁に身を預けるようにもたれながら腕を組むザラの姿が目に入った。


早速、会うなんて最悪だわ・・・


「あら、ザラ王子。
わざわざ私を出迎えて下さったのですか?
そんな気遣いけっこうですのに。
ありがた迷惑です」

「は?
誰がわざわざお前を。
俺はたまたま此処にずっと居ただけだ。
アンジェ、お前が来るずーとずーと前からな」

「ザラ王子はお暇なんですね。
こんな場所にずーとずーと突っ立ってるなんて」

「ちょっと、アンジェ様!」

私の横に居るエミリーが、言い争う私とザラの間に割って入る。

止められても、怒りが収まらない!


「ザラ様もせっかく久しぶりにアンジェ様に会われるのに、
そんな憎まれ口ばかり叩いていないで。
アンジェ様、ザラ様は口ではこう仰いますが、
なかなかこちらに到着されないアンジェ様をずっと心配されていたのですよ」


廊下の向こうからそう言ってこちらに近付いて来る男性は、
エレオン・マーク。
彼はザラの幼き頃からの目付役で、歳は私達より一回り以上は上なはず。

普段はクールで穏和だけど怒ると怖い、と言うのがこの人の私の中での印象。


「エレオン、いつ、誰がそんな心配をしたんだ?」

「ずっと沈痛な面持ちで宮殿内をウロウロとされていたではないですか?
わざわざ、門の方まで足を運ばれて。
まだかまだかと言わんばかりに」

そうクスクスと笑うエレオンに対して、ザラは顔を赤くして今にも怒り出しそう。

そのザラの顔を見ていると図星なのか、エレオンの言うように私達を心配していたのかしら?



「ザラ王子、予定より遅くなりごめんなさい。
途中、馬車から出て休息を取ったのですが、思わずうたた寝してしまったの。
盗賊に襲われたり、事故にでも遭ったのかと心配させてしまったのね」

私はそんなザラに意地悪を言う気になれず、素直になる。


山頂を越えてから、私は一度馬車から降りて木陰で体を伸ばすように寝転んだ。
そうしたら疲れから眠りに落ちてしまった。


「盗賊や事故もそうだが、
てっきり結婚が嫌で怖じ気づいて逃げたのかと思った」

ザラのその言葉に、そんな訳ないわ、と軽く否定するが、
それ以上の言葉が続かない。

全く逃げたく無かったと言えば、嘘になるから。


けど、そう言うザラ自身はどうなのかしら?
私との結婚は、嫌ではないのかしら?

だって、昔から会う度にいつも私に対して意地悪だし・・・


でも、幼い時はザラ王子と私は仲良く話したり遊んでいたような記憶もあるのだけど・・・



「アンジェ姫、ザラ、いつまでもそんな所で立ち話せず、中に入って来なさい」

広間に響くその威厳ある声。
その声の主は、デーン国国王モーラスト王。


私は言われたように広間に入り、玉座に座るモーラスト王の前にひれ伏す。
モーラスト王の横には、モーラスト王の妃でありザラ王子の母親であるエリザリス王妃。


「顔を上げなさい」

「はい。モーラスト王おひさしぶりです。
エリザリス王妃も」

私がそう言うと、モーラスト王もエリザリス王妃も優しく微笑んでくれる。
昔からとても優しい二人。

何故、こんな二人からザラのような意地悪な男が生まれるのか、不思議で仕方ないわ。


「やっとザラ王子の妃として我が国にやって来てくれて、
私もエリザリスも嬉しく思っている。
これからは、私達を本当の親のように思ってくれると嬉しい。
そして、末永くこのデーン国をザラと支えてくれればと」

モーラスト王のその言葉に、私は頷く。
その覚悟を決めて、デーン国に私はやって来たのだから。


「はい。もちろんですわ」

私がそう言うと、ザラは私の横に立ち、
何かを言いたそうにそんな私を見下ろす。

私の猫被りを見透かすように。

そして、私からモーラスト王に視線を移した。


「父上、この結婚は父上とフリール国前国王のリゼット王が同盟の証として10年前に決めたものですが、 
ワタシはその証の為だけにアンジェ姫を妃にするつもりはありません。
幼き頃から、私が妃にするのはアンジェ姫なのだと決めておりました」

「ザラ王子・・・」


この人は突然一体何を言い出すのかしら?

それってまるで、ずっと私の事を好きだったみたいじゃない・・・



「このアンジェ姫は、本来の姫のような淑やかさや可憐さとは程遠く、
幼い頃から男の私と張り合うように、剣や弓の腕を磨いてます。
知力は並だが、武力は男に引けを取らない。
一緒に国を守るのに、こんなにも頼もしい男のような妃は他に居ないと思います」

その私に対する遠回しの悪口のようなザラの発言に、モーラスト王やエリザリス王妃だけではなく、
エミリーや私の護衛の兵達。

モーラスト王の近衛兵達も笑い出す。
クールなエレオンさえも、口を抑え笑っている。


「私はあんたと結婚なんて本当は嫌だわ!
昔からいつも意地悪ばっかりだし!
ザラなんか大嫌いよ!」

思わず、本音が出てしまう。

ザラを見ると、いつものように意地悪そうに鼻で笑う。
私は口を閉じ、モーラスト王に向き直った。


「・・・ですが、私はそれでも亡き父が決めた相手であるザラ王子と、
一生を添い遂げようと思っています。
私は剣も弓も乗馬も駆けっこもどれも得意で同世代の男性に負けないくらいなのですが、
そのどれもザラ王子にだけは勝てた事がありません。
そんなザラ王子に対して、尊敬の念を抱いております」

その言葉に、モーラスト王は大きく頷く。



「アンジェ姫、そなたは‘マリアローズ女王’の再来と言われているらしいな。
そんな有能の姫が我が王子の妃になってくれる事は、本当にありがたい」


女帝マリアローズ・・・

彼女は300年前のフリール国に君臨した初代王。

そして、フリール国歴代唯一の女性の王。


私の本来の姫からかけ離れた自由奔放な姿が、
そのマリアローズに似ているらしい。

容姿もマリアローズと同じ、このデーン国やフリール国では珍しい(と言うか、私以外に見た事がない)黒い髪の毛と黒い瞳を私は持っている。


最近、フリール国の国民がそうよく口にしているらしい。


私がマリアローズの生まれ変わりだと。


それが、デーン国に迄、広がっているのか。


「マリアローズは大昔、元々1つだったこの国を2つにした人物だと聞いています。
王族に逆らった謀反者。
ならば、その生き写しのようなアンジェ姫は、傾国の姫になるのでは?」

そのザラの発言に、皆が黙る。


大昔、このデーン国は1つだった。

それが、300年前にデーン国が2つになり、その1つが独立して新たにフリール国として名乗りをあげた。

元々、我がフリール国はデーン国の民であり、
私達フリール国王族であるジュール家も、
元々はデーン国王族モンテフォール家に嫁いだ妃であるマリアローズの末裔だと言われている。

デーン国の王妃であったマリアローズは、王を裏切り独立してもう1つの国を築いた。



「ならば、再び王妃に裏切られないようにすればいいのでは?
その大昔の王は、無能だからマリアローズに裏切られたのでしょう?
あ、ザラも無能なのかしら?」


言い伝えでは、その王は無慈悲で横暴な性格で、そのくせ主君として無能だったと聞いている。

マリアローズがもう1つの国を作ると同時に、
その王は実の弟に失脚させられ、処刑されたそうだ。

今のデーン国の王家であるモンテフォール家は、そんな弟王の末裔。


「あ?
俺はアンジェお前になんか出し抜かれる事はない。
お前のような脳ナシの考える事なんか、手に取るように分かってしまう」

「やっぱり、私はあなたが大嫌いだわ!
大大大嫌い!!
絶対に私と結婚した事を後悔させてあげるわ!」


デーン国にやって来た初日は、
そうやっていつものようにザラと喧嘩になってしまった。

大広間でモーラスト王の前だと言うのに、私もザラもその存在を忘れていつものように。






今日の夕食はぜひにと、モンテフォール家と一緒に摂る事になった。

このアルデバラン宮殿のエデンの間の大きな長テーブルに、
モーラスト王とエリザリス王妃が向かい合い座る。
その横には、ザラの双子の弟妹である、弟アベルと妹のミアリーナが向かい合って座る。

そして、私はザラと向かい合う。

エミリーや私が連れて来た兵達は居ないので、私だけがこの場所で余所者だから落ち着かない。
そりゃあ、みんなこれから家族になる人達なのだけど。


「アンジェ姫とお兄様がついに結婚されるとは。
僕もとても嬉しいです」

アベルは、笑顔で祝福してくれる。

最近、やはり兄弟だからかアベルもザラによく似て来ている。
今年で12才になる。


「アンジェ姫はお兄様のどこが好きなの?
お兄様はアンジェ姫に優しくしてくれている?」

そう屈託のない笑顔で質問して来るのは、
ミアリーナ。

ミアリーナもアベルと同じ12才だけど、女の子だからかアベルよりもとてもませていると思う。


「え、うん。
ザラ王子は私にとても優しいわ。
ザラのそんな優しい所が好きなのかもね、なんて」

アハハ、と笑って誤魔化す。

ミアリーナの純粋さに、なんとなく先程の大広間で繰り広げたようなザラ王子との争いを見せてはいけないような気がする。


「へぇー、それは初耳。
なら、これからも今までのように優しくしてやらないとな」

目の前でザラは水の入ったグラスを持ちながら、
宣戦布告のようにニヤリと口角を上げている。

これから、今まで以上に私に嫌な事ばかり言う気なんだろな。


「アンジェ姫、今日は長旅疲れただろう。
食事が終われば、湯にでも浸かって部屋でゆっくりと眠りなさい」

「はい。モーラスト王」


この晩餐会の前に、私がこれから住む事になる部屋に一度入った。

天蓋付きのベッドに羽毛の寝具。

机や棚も全て新しく高価そうな物ばかり。


「あっ!アンジェ姫!ならばお兄様とお風呂に入ればいいのよ!
結婚するんだから!」

このミアリーナの突拍子もない発言に、口の中で噛んでいた鴨肉を勢いよくゴクリと飲み込んだ。


「ミアリーナ、湯浴みは私一人でするわ。
私の国のフリール国では、王族でも侍女さえ付けずに女性は一人で湯に入るの」


私の国では、女性は男性だけではなく同性にであろうと裸をむやみに見せてはいけない、と決まっている。

それを決めたのは、フリール国を作った女王マリアローズみたいだが。


「えー、でも、アンジェ姫はお兄様と結婚してデーン国のお姫様になるんでしょ?
なら、いいじゃない。
お兄様と仲良くしないと駄目だよ!」


なんとなくだけど、ミアリーナは私とザラが仲良くない事を感じているのだろうか?

ミアリーナだけじゃなく、アベルとこの二人の前では今までザラと喧嘩する所を見せないようにはしていたのだけど。

それに、モーラスト王もエリザリス王妃もミアリーナのこの言葉が聞こえているのに特に止めないし、クスクスと笑っている。

アベルは、キョトンとよく分かっていない感じだけど。

ザラは・・・

今の私が今困っているのを、楽しそうに見ている。


「分かったわ!
ミアリーナの言う通り今日はザラ王子と一緒にお風呂に入るわ!」

私がそう宣言すると、ザラは動揺からか持っていたグラスを落としそうになっている。


「ア、アンジェ、お前はそれは本気で言ってるのか?!」

そのザラの問い掛けに、こくりと頷く。


「ええ。だって私達夫婦になるのですから」


結婚式まで3ヶ月。

それまでに、私はザラ王子を愛すると決めた。

なら、今までと同じようにザラに接していては駄目だ。
私から歩み寄らないと。このアルデバラン宮殿の王族専用の浴場は、とても綺麗で広い。

そして、何よりも優れているのは、地下にあり天然の温泉が大理石の大きな湯船に湧き出している。

その全てが、私の生まれ育ったお城の浴場より素晴らしい。


ザラより遅れて、私はその大浴場に足を踏み入れた。
流石に素っ裸ではなく、大きな布でその体を隠す。

ザラも、腰に同じように布を纏っている。


浴室で向かい合う私達を、複数の獣油のランプが照らしている。
その炎の揺らぎに照らされた、ザラの姿を見る。

当たり前だけど、いつも衣服を纏っているザラの姿しか見ていないからか、
目のやり場に困る。
どうしていいか分からず、その剥き出しになっている上半身に目を向けてしまう。
着痩せするのか、わりと筋肉が付いていて、
男なのだと嫌でも意識してしまう。

幼い頃、ザラと一緒にお風呂に入った事があるが、
あの頃は私もザラも体付きは全然変わらなかったのに。


「なにジッと見てる。
突っ立ってるくらいなら、俺の背中でも流せ」

ザラのその言葉にハッと我に返る。

なんで私があんたの背中なんか、と思ったが、
これは仲良くなるきっかけになるかもしれないと、素直に頷いた。


ザラは私に背を向けると、木の椅子に座る。

私は床に膝を付くと、そこに置いてあった桶に掛かっている小さな布を取り、
それに石けんをこすりつけ、ザラの背中を洗う。

布を通して触れているのに、それでもザラにこんなにも触れているのだと思うととても緊張してしまう。

私に背を向けているザラは今どんな顔をしているか分からないが、
この人にとってはこんな事はいつもの事で、侍女や従者に体を流して貰うのと何も変わらないだろう。


それにしても、洗うのは背中だけでいいのかしら?

髪は濡れているから、髪もそうだけど背中以外は既に自分で洗ってしまったのかもしれない。

特に会話もなく、ただザラの背中を洗っていると、

「もういい加減辞めろ。
一体いつまで洗う気だ?」

そう言われ、私はその作業を止めた。

ザラは自ら桶で湯船のお湯を掬い体を流すと、
立ち上がりこちらを振り向き私を見据える。


「え、何?
お礼ならいらないけど」

「は?別に礼なんか言うつもりはない」

「なら、文句でも言うのかしら?
私は初めて誰かの背中を流したのだから、上手く出来なくて当然でしょ?」

「そうじゃなくて、座れ」

ザラは、今まで自分が座っていた木の椅子を目でさす。

私は意味が分からなくて、首を傾げてしまう。


「今度は、俺がお前の背を流してやるって事だ」

「え?嘘?」


ザラが私の背中を洗ってくれるなんて、とにかく信じられない。
そんな従者のような事、絶対しないと思っていたから。

私はその木の椅子に腰を下ろした。
そうするとザラに背を向ける形になるから、その姿が見えない事に少し不安になる。
その不安は、私が見ていないから何か意地悪な事をされるのではないか?と。
突然、冷たい水を掛けたり、とか。


「布が邪魔だ。取れ。
洗えないだろ」

そう言われ、え?、と戸惑う。
この布を外したら、私は裸で・・・

けど、ザラの言うように、これがあると背中が流せない。


私はゆっくりと、前で留めていた部分を外すと、
ゆっくりとその布を下ろす。

流石に、布を身から完全に取る事は出来ず、
腰の辺りまで下げた。

上半身が全くの裸になるが、
完全にザラに背を向けているから、胸は見えない。

私は腰まである髪を、右側の肩から前に流した。
そうすると、完全に背中が出ている状態になる。

ザラは特に私に意地悪をする気はないのか、
私の背中をちゃんと洗ってくれている。

ザラも誰かの背中を流すのは初めてなのだと思うけど、それにしては上手いのかとても気持ち良い。

暫くすると、泡を流す為に私の体にお湯が浴びせられた。


「ザラありがとう。
すっごく気持ち良かっ・・・」

思わず言葉が途切れたのは、自分のうなじに触れる柔らかい感触に驚いたから。
一瞬、それがなんなのか分からなかったが、多分ザラの唇。

ザラの両手が私の体を包むように伸びて来るが、私は驚きで体が固くなるだけ。

ヌメリ、と背に何かが這うように触れる。
きっと、それはザラの舌。

一体、今何が起こっているのだろうか・・・

ザラが、なんで私にこんな事をするのだろう。

これが、いつもの私に対する意地悪でしている事じゃないのは分かる。


ザラの手が、私の胸に触れる。

嫌だとかなんかよりも、怖い。

どうしよう・・・


すっ、と、ザラの手だけじゃなく、
ザラ自身が私から離れたのが分かった。

そして、湯船に浸かったのがその音で分かった。


私はゆっくりと、下ろしていた布を上げて体に巻き付けた。


「一緒に風呂に入れば、何かされるとか考えなかったのか?」

その言葉に、私は立ち上がりゆっくりとザラの方を見る。
ザラは湯船に浸かり、肩肘を大理石の浴槽の縁に付いてこちらを見上げている。


「かっ、考えるわけないでしょ!
だって、ザラと私の関係だから・・・」


今まで一度だって、こんな風に男と女を意識するような事はなかった。


「へぇ、だからそんなに怯えているのか」

「怯えてなんて・・・」

そう言うが、声も体も震えている。


「お前は本当に馬鹿なのか?
何も考えずやすやす男と風呂に入るなんてな」

そう言われ、自分の軽率さを認めて黙ってしまう。

でも、ほんの少しでも、ザラと仲良くなれたらなって思っての事。
そりゃあ、ザラの私にした事も仲良くな事なのかもしれないけど、
私が求めていた感じとは違う。


「それに、嫌いな俺と結婚しようなんて。
お前は俺がこの先一切何もしないとでも思っていたのか?
子供も作らないつもりだったか?
まさか、コウノトリが運んで来るとか思っていたのか」

「は、そんなわけないでしょ。
子供の作り方くらい知ってます」


王妃として、ザラの子供である世継ぎを生むのが私の役目なのは分かっている。
勿論、いつかはそのつもりだった。

それはいつかで、今ではない。



「それに、確かにいきなり風呂はあれだったけど、結婚はどうしようもないじゃない。
それはザラもそうでしょ?
ザラだって嫌いな私を妃にしたくなんてないくせに!」


この結婚は王家に生まれたさだめ。
自分の選んだ相手とは結婚出来ない。
私もザラも。


「俺は、今まで一度もアンジェお前を妃にしたくない等と言った覚えはないがな。
なのに、お前ごときにそうやって決め付けたように言われるのは不愉快だ。
大して俺の事を知らないくせに」

「なによ。
いつも私に意地悪な事ばかり言うから・・・」

言い返すが、途中から言葉に詰まってしまう。

私を見るザラの目が、いつもの意地悪な感じではなく、ただ冷たくて。
本気で怒っているのが伝わって来る。


「ま、ない頭で勝手に色々と考えてればいい」

ザラは立ち上がり湯船から出ると、私を見ずにそのまま浴場から出て行った。

私は一人ポツンと取り残されてしまった。


ザラと仲良くなるどころか、またケンカしてしまった。
それも、いつもよりも少し深刻な感じ。

でも・・・


「ザラは私との結婚嫌ではないのかしら・・・」


先程のザラの言葉だと、そう受け取れる。

てっきり、ザラには嫌われていると思っていたけど、
そこまでは嫌われているわけではないのかもしれない。

それに、私だって、ザラの事を何度も嫌いだと言ったり思ったりしたが、
本当に心底嫌いではないから。

◇◇

「女性の言う、嫌よ嫌よはいいのうち。
嫌いも好きのうち。
そんな言葉がどこかの国で言われてるみたいです」

ミアリーナのその言葉に、飲んでいたミルクを思わず口からこぼしそうになった。

なんだか、自分のザラに対しての気持ちを言われてるみたいで。

ザラと結婚は嫌だし、ザラなんか嫌い、と思いながらもそれが心の底から思っているのか、と自分でもそうじゃないのが分かる。


「は?嫌なものは嫌だろうし、嫌いが好きなわけないだろ」

テーブルの目の前に座るザラは、そう言って鼻で笑う。
ミアリーナに言っているのに、そんな私の少し複雑な感情を笑われたような気になる。


それにしても、なんで朝からザラなんかと朝食を食べているのかしら・・・

ミアリーナに朝だと叩き起こされて、この食事を摂る為の部屋に連れて来られた。

そうしたら、豪勢な朝食が用意されているだけではなく、ザラまで居て。


「お兄様、女心は複雑なの。
もしアンジェ姫がお兄様の事を嫌いだと言っても、それは好きの裏返しなのよ」

「へー、アンジェ、ならお前は俺が好きなのか?
いつも俺が嫌いだと言ってるが?」

「そんなわけないでしょ!嫌いよ!」

私がそう言うと、


「だ、そうだ。ミアリーナ。
お前のその論は有り得ないみたいだな」

ザラのその言葉に、ミアリーナは面白くなさそうに膨れている。


それにしても、夕べの入浴での出来事が頭から離れなくて、
ザラの顔がまともに見れない。

多分、私が怯えていたからザラは途中で醒めて行為を止めたのだろうけど、
もし、私がザラを受け入れていたら、あのまま・・・


「もう!お兄様なんか大嫌い!
いつもそうやってミアリーナの言う事否定ばかりで!」

ミアリーナはテーブルを叩いて椅子から立ち上がり、
部屋から出て行ってしまった。


「ミアリーナが俺に言った嫌いは、どっちなんだか」

ザラの言うそれは、ミアリーナが今語っていた、嫌いは好きのうち論の事だろう。
クスクスと笑っているザラを見ると、本当に兄妹仲良しなんだと分かる。
私と兄のアルファルトとはこんな風にはなれないから羨ましい。

ザラはミアリーナに意地悪を言いながらも、ミアリーナを見るその目はいつも優しい。

私に対してとは、違う。


「ところでお前」

突然私を睨むように真っ直ぐと見て来るザラに、一瞬ビクッとなってしまう。


「な、なによ?」

とりあえず、言い返すようにそう口にする。


「今夜、この宮殿で俺達の婚約を祝う晩餐会が行われる。
と、言うか、お前の御披露目会だな」

「ええ。知ってるわよ」

その為に、新調したドレスを一緒に持って来ている。


「その目の下の酷いクマ、夜までになんとかしておけ」

「え、クマ?」

私は自分の目の下に手で触れる。
触れた所で、クマがあるかどうか鏡を見ないと分からないのだけど。

けど、きっとザラが言うようにクマがあるのだと思う。

夕べ、色々考え過ぎて眠れなかった。

そりゃあ、私達は結婚するんだとしても、本当に何故ザラが私にあんな事をしたのか。


「そんな汚い顔で横に並ばれたら、俺が恥をかくからな」

「汚いって・・・。
仕方ないじゃない。
夕べはなかなか寝付け無かったのよ。
それに、朝もこんな早くからミアリーナに起こされて・・・」


多分、2~3時間くらいしか眠っていない。
一体、誰のせいで眠れなかったと思っているのよ。


「大方、夕べは俺があんな事をしたから、眠れなかったのだろう?
何故、俺が突然あんな事をしたのか、とかごちゃごちゃと考えて」

いきなり、核心を突いて来られる。
気まずくなりそうだから、私はあえてあんな事なんか無かったようにザラと接していたのに。


「なら、今から部屋に戻って眠れるように、何故俺がお前にあんな事をしたのか教えてやろうか?」

「ええ・・・」


なんとなく、それを聞く事が怖い気もしてしまう。

けど、とても気になる。


「ただ単に、女の肌に触れて欲情しただけだ。
別に、お前じゃなくても、だ。
なんならお前じゃない方がいいくらいだ」

「なにそれ?
最低っ!
やっぱりザラなんか大嫌いだわ!!」

私はミアリーナ以上にテーブルを両手で叩き付けると、
椅子から立ち上がりザラを睨み付けた。


ザラはそんな私の視線を涼しい顔で受け流し、ブレッドにオリーブオイルを付けてそれを口に運んでいる。

そんな姿を見てると、本当にイライラと腹立たしい!

私もミアリーナと同じように、そのまま部屋から出た。



「アンジェ様、とてもお美しいですわ」

手のひらを合わせ、エミリーは感嘆の声を上げる。


「とてもよくお似合いです」

エミリーだけじゃなく、このアルデバラン宮殿の侍女のリンダにもドレスの着付けを手伝って貰った。


「そうかしら?」

私は自分を纏うドレスに触れながら、鏡でその姿を見る。
いつも着ているドレスよりも華やかな分、それなりには映えているけど。

問題は、ザラがなんて思うかだ。

前回、私の生誕の宴の時も、着飾った私を見て貶された。

あの後、すぐに鏡で自分の姿を確認したが、
いつもの私よりも幾分華やかで、貶される姿では無かったはず。


‘そんな似合わない品のないドレスを着て’

ザラの言ったその言葉。

前回は派手なワインレッドで、露出度の高いドレスだったけど、
今回は、淡い琥珀色のドレスで、胸元もしっかりと隠れていて落ち着いている。


「ザラ様もこんな美しいアンジェ様を見たら、
きっとお喜びになられますわ」

「べつに、私はアイツがどう思うかどうでもいいわよ!」

思わず、エミリーの言葉に言い返してしまう。

なんとなく、ザラの反応を気にしている自分を知られるのが嫌だった。◇

「クマは消えたみたいだな」

着飾った私を見たザラの第一声は、それだった。
普通は、お世辞でもドレス姿が綺麗だとか言うもんじゃないのかしら?


「ええ。おかげさまで」

朝食の後、部屋に戻りグッスリと眠れた。

夕べ、ザラが私にした事は特に大した意味は無かったのだと知り、
された事の腹立たしさだけは残ったが、
悩みが消えたようにその事で眠れないとかは無くなった。


今から、この宮殿で私達の婚約披露の晩餐会が行われる。

もう会場の大広間には、沢山の人達が集まっている。


私とザラはこの晩餐会の主役だから、少し遅れて二人で会場に入る。
そして今、ザラは私を部屋迄迎えに来てくれた。

ザラは紺色の燕尾服に身を包み、いつも下ろしている前髪を後ろに流している。
グッと大人っぽくて、文句も言えないくらいに美しい男だな、と思ってしまった。


「ザラ様、今日のアンジェ様はとても美しいと思いませんか?」

「ちょっと、エミリー変な事を言わないでよ!」

私はエミリーの発言に慌ててしまう。

誰よりも私の事を分かっているエミリー。
だから、私がこの着飾った姿をザラがどう思っているのか気になっているのも、
お見通しなのだろうな。


「ああ。
だから今日は文句も浮かばない」

そのザラの意外な言葉に、驚いてしまう。

もしかしたら、初めてザラに褒められたかもしれない。
褒められたとしては、中途半端だけど。


「とりあえず、行くぞ」

ザラは私に左腕を向ける。


ああ、そうか。
私達は婚約者。

私はザラのその腕に自分の右手を絡ませる。

初めて、ザラと腕を組む。

まるで愛し合っている恋人同士のように、会場迄の廊下を歩く。
特に会話はないからか、さっきから胸がドキドキとせわしない。

きっと、ザラに対してこういう感じの事を求めていたのだと気付く。

いつか、このときめきが恋心に変われば、と。



私達の婚約披露の宴の会場へ、
ザラに連れられ足を踏み入れた。

その場に居た全員の視線が、私達の方を向く。
今この場に居るのは、ザラの両親の王と王妃、弟のアベル。
そして、知らない人達ばかりが何十人と居るが、この人達はこのデーン国の貴族達や、その家族なのだろう。

このデーン国の中心となる権力者ばかり。


「あまり固くなるな。
普段通りにしてろ」

ザラは耳打ちするように、小さな声で私に伝える。
ただ、そう言われて余計に体が固くなってしまった。

自分が緊張しているのだと、気付いてしまって。


「こちらが、フリール国の王女アンジェ様ですね。
ワタクシは、マルシェと申します」

少しふっくらとした優しそうな中年の男性が、私達に近付いて来た。
私は会釈を返す。


「ああ。我が妃になるアンジェだ。
マルシェ伯爵には俺が幼き頃から世話になっている。
よく珍しい本をプレゼントしてくれてな」

「私の妻が、アンジェ様と同じフリール国出身なのですが、
その妻の親戚がフリール国で大きな古書店を開いてまして。
その関係で」

「そういえば、ザラ王子は昔から本がお好きでしたわね。
マルシェ伯爵の奥様も、フリール国の方なのですね。
今日は、奥様はいらしているのですか?」


この人はデーン国の民だが、その奥さんが私と同じフリール国の人だと聞いて親近感が湧く。



「いや・・・。
えっと、妻は今日は体調が悪くて家で眠っております。
ですが、アンジェ様とザラ王子とのご成婚はとても喜んでいて」

そのマルシェ伯爵の言い方は、どこか言い訳臭い。
言い訳と言うか、明らかに奥さんがこの場に来て居ない理由は、
体調不良ではないのだろう。


「おや、マルシェ伯爵、早速ザラ王太子殿下に媚びを売っておられるのですか?」

その人が近付いて来た瞬間、一瞬で場の雰囲気が悪くなる。
その人物に目をやると、体系はマルシェ伯爵のようにふっくらとしているが、
顔は見るからに性格が悪そうな感じ。


「ああ。これはこれは東の姫」

私をチラリと横目で見ると、明らかな蔑みがその目に浮かぶ。
そして、‘フリール国’を‘東’とだけ表現する、その感じ。


「ラムフール伯爵、あまり私の婚約者をいじめないで下さい」

私を助けるように、ザラはそのラムフール伯爵に話し掛ける。


「いや、いじめるなんてとんでもない!
ただ、うちの自慢の娘のユリエンヌより妻に相応しいとザラ王子が選んだ姫はどんな人物なのかと、
近くで見てみたくて」

「アンジェを選んだのは、ワタシではなく父上であるモーラスト王なので」

「ああ。そうでしたね。
王が決めた結婚。
ザラ王子の意志では無かったですね」

なんとなく、それは目の前のザラではなく、横に居る私にそう言っている。

多分、自分の娘がザラの妃になれなくて、婚約者である私が気に入らないのね。
「あ、アンジェ姫、あっちでメロンでもどうですか?」

そう言って私の答えを聞く前にその手を強く引っ張るのは、ザラの弟のアベル。

私はそれに逆らわずにザラ達から離れる。

正直、ラムフール伯爵は苦手な感じだったので、離れられて助かった。


大きな長いテーブルの上にはメロンだけではなく色々なご馳走が並んでいて、
見ていると空腹なのを思い出した。


「確かアベルは、メロンに生ハムを載せて食べるのが好きだったわね?」

「アンジェ姫、あまり気になさらないで下さい」

「え?」


アベルは声を潜め、話を続ける。

「ラムフール伯爵は、とても嫌な方なのです。
僕の知る限り、いつもあんな感じです。
いつもマルシェ伯爵が標的にされて。
マルシェ伯爵と言うよりも、マルシェ伯爵夫人がですが」


「あ、だから・・・」


だから、今日マルシェ伯爵夫人は来られてないのか。

私と同じようにフリール国の余所者だからラムフール伯爵に嫌味を言われたりしているのだろう。


「アンジェ姫が考えている他にも理由があるのですよ。
マルシェ伯爵もアンジェ姫もラムフール伯爵にとって、目障りな存在だから。
だから、フリール国の者だからと悪く言うのです」

「目障りって、私が?!
マルシェ伯爵とラムフール伯爵の関係は知らないから何とも言えないけど、
少なくとも私は今日初対面なのよ」

「マルシェ伯爵は、王家と昔から懇意にしていて、
それがラムフール伯爵は気に入らないようで。
そして、アンジェ姫は、あれですよ。
先程ラムフール伯爵が口にしていた」

そう言って、アベルは離れたザラの方に視線を向けた。

ザラの前には、件のラムフール伯爵が居て、その横に若く綺麗な女性が居る。


「あの女性が、ラムフール伯爵の娘ユリエンヌです。
ずっと昔から、ザラ兄上の妃になる事を望んでいました」

「ユリエンヌ・・・」


あれが、先程ラムフール伯爵が口にしていた娘ユリエンヌ。

そのユリエンヌと言う女性は、薔薇のように華やかで美しい。
そして、以前私が着ていてザラに貶された真っ赤なドレスと、よく似たドレスを着ている。

私なんかよりも、その真っ赤なドレスが似合っている。

ユリエンヌは、ザラに満面の笑みを向けていて、ザラもそれを受け入れるように微笑んでいる。
まるで、私と居る時とは別人。

ザラには私と言う婚約者が居る事を分かっているはずなのに、
ユリエンヌのその表情は、今もザラに好意を示している。
横のラムフール伯爵も、うちの娘をどうかと言わんばかりに微笑んでいる。

「だから、ザラの妃になる私がラムフール伯爵にしたら目障りなのね。
私とザラの結婚が無くなればって思っているのね」


ユリエンヌのようにあれだけ美しい女性なら、
もしかしたら、まだザラを奪えるのではないかとラムフール伯爵は思っているのかもしれない。

もし、ザラの気持ちがユリエンヌに向き、
ザラ本人がモーラスト王を必死で説得すれば私達の結婚は無くなるかもしれない。


「いえ。
それもまだあるのでしょうが、此処まで来たらアンジェ姫と兄上の結婚が無くなる事はないと彼らも分かっているでしょう。
なので、第二王妃の座を狙っているのでしょう。
そして、アンジェ姫よりも先に子が出来れば、と」

「え?第二王妃?」

「我が国、王族は、一夫多妻が認められてます。
フリール国とは違い。
僕達の父上は妃を一人しか娶ってないし、側室なんかも居ないので、
あまり一夫多妻なのは認知されてないかもしれませんね」


アベルの言うように、私はデーン国の王族が一夫多妻制なのを知らなかった。
それを知り、今何故か不安になってしまう。

ザラは、私以外にも妃を娶るのだろうか?と。


今も仲良く、ザラはユリエンヌと話している。


なんで、こんなにも心が苦しいのかしら・・・


私の視線に気付いたのか、ザラが私の方を見る。
だけど、視線が合う直前にそれを逸らした。


「まだ12才の僕でさえ、こうやって社交の場に出れば貴族の娘がすり寄って来ます。
王族と親戚になりたいと。
僕も兄上も、もう慣れっこです
だからミアリーナは過保護な父と兄にこのような場にデビューさせて貰えていません」

そう言って、アベルは苦笑している。


「アベル、あなたいつもより大人よね?
こう言う場だからそう感じるだけかしら」


私の知っているいつものアベルは、本当に純真無垢な子供で、
そんな大人達の思惑等に気付いたりもしない。


「そうですか?
ただ、僕はまだまだ子供で居た方が良いのだと思います。
変に頭角を現し兄と王位継承で争いが起こる事は望んでいませんし、
僕はいずれこの城を出て、生物の研究がしたいから」

そう夢を語るアベルは、いつもの子供らしさを感じさせる。
普段と今どこまでが演技なのかは分からないが、
アベルはアベルなのだろう。


「アンジェ姫、兄上は何人も妃を娶るような人ではないですよ。
アンジェ姫だけです」

アベルのその言葉を聞き終える前に、いきなり腕を掴まれた。
私の腕を掴むのは、ザラ。


「来い」

そう言って、私の返事を待たずに引っ張るように歩かせる。


「ザラ、ちょっと腕が痛いわ」

「紹介する、我が妃になるアンジェ姫だ。
ユリエンヌ仲良くしてやってくれ」

しかも、あろう事か、私をユリエンヌに紹介した。

ユリエンヌもラムフール伯爵もその顔が一瞬引きつった。
私も戸惑いで彼らと同じような顔をしているだろう。


「あら、とても可愛いらしい方」

ユリエンヌはすぐに笑顔を浮かべ、私に笑いかけて来る。
それが睨まれるよりもとても怖い。

私もなんとか愛想笑いを返す。


「アンジェ姫も美しいかもしれませんが、うちのユリエンヌも美しいと思いませんか?
いや、美貌だけならユリエンヌの方が」

ラムフール伯爵はアベルの言っていたように、本当にザラの第二夫人に娘のユリエンヌを押し上げようとしているのだろう。


「ええ。ユリエンヌは大変美しい。
だから、きっと良い縁談が来るでしょう。
ハリー公爵の二番目の息子辺りとか・・・」

ザラはそんなラムフール伯爵の思惑をそうやって交わすと、
私の腕を引きこの場を離れるように歩かせる。


「ザラ、いいの?」

「何がだ?」

いつもの不機嫌そうな顔で私を横目で見て来る。
なんでこの男はいつもこう横柄なのかしら?



「ユリエンヌさん。
とても綺麗な人だったから。
デーン国の王族は一夫多妻制なんでしょ?」

「アベルに何を聞いたか知らんが、俺は妃はお前一人でいい。
妃なんか何人も居たら煩わしいだけだ」

「そう・・・」


ザラがそう言って、安心した。

やはり、私の他に妃が居るのは嫌だわ。
別に、嫉妬とかじゃないけど・・・



宴は終盤になり、私はザラよりも先に部屋に戻る事にした。
知らない人達に囲まれ、疲れてしまったから。

それに、ラムフール伯爵程露骨ではないけども、
年頃の娘を持つ貴族達はみななんとかザラに娘を近づけたい、と思っているのが分かる。
王家が一夫多妻制だから、婚約者の私が居ようと居まいとあまり関係ないみたい。

第二王妃、もしく第三王妃、側室でも構わないのだろう。

それを横で目の当たりにして、私はどっと疲れてしまった。

だから、ザラを置いて逃げるように大広間から出て来た。


「おや、アンジェ姫、どちらに行かれるのです?」

廊下の突き当たりで、ラムフール伯爵と出くわしてしまった。

最悪・・・

ラムフール伯爵は酒に酔っているのかその顔は真っ赤で、多分会場から出て夜風にでも当たっていたのだろう。


「疲れたので、部屋に戻ろうと」

そう言って、ラムフール伯爵の横を通り過ぎようとしたら、
腕を強く掴まれた。

私はそれに驚いて、ラムフール伯爵の顔に視線を向けた。


「東の国のくせに」

その顔がどんどんと醜く歪んで行く。


「無礼ではありませんか!
私はザラ王子の婚約者ですよ!
それを分かっての事ですか?」

その手を思い切り振り払う。
強く掴まれていたからか、少し腕に痛みが残った。

こんな風にザラの権力を笠に着るのは嫌だけど、
私だけではこの男に勝てないような気がする。


「東の王女を迎えるなんて、王家も落ちたもんだ。
東の土地なんか元々は貧しい領主や農民の集まりの土地だった。
富裕層の我ら西の土地の民に楯突いて、マリアローズとか言う女を祭り上げ、
革命だ独立だとか言って作られた、くだらん国だ」

ラムフール伯爵のいう出来事は、300年も前の事なのに、
まるで自分も当事者かのよう。

彼の言うように、この大陸の東側であるフリール国は、元々は貧しい地域だった。
それは、今もそうかもしれない。
西側のデーン国のように、豊かではない。

今も昔もそうだから、こうやってデーン国側にはフリール国を見下す人間が居るのは事実。


「東の国のお前ら王家も、元々はマリアローズが産んだ父親が分からん子供の子孫。
アンジェ姫、お前も」


マリアローズ王女は結婚はせず、フリール国が出来るとすぐに男の子供を産んだ。
マリアローズの子供はその子だけで、ラムフール伯爵が言うように、
私はその子孫になる。

マリアローズが産んだ子供の父親は、自身が裏切った夫である当時のデーン国の王であると言うのが有力な言い伝えだが、
本当の所は分からない。


「ラムフール伯爵はフリール国がお嫌いみたいですが、
今までよりもこれからデーン国とフリール国は歩み寄って行くと思われますわ」


その為に、私とザラは結婚する。


「我がデーン国と、貧しいフリール国がか?!
くだらん!
今現在フリール国の奴らが、デーン国の人間と対等な事自体おかしい!
東の人間は馴れ合うような相手ではない」

「私とザラ王子との結婚もそうですが、数年前にはザラの従姉妹のレベッカ姫が我が兄に嫁いでます。
そして、フリール国と同じようにデーン国でも昔から貴族階級以上ならば他国の者と結婚する事も許されているはずです。
だから、フリール国とデーン国の者同士で婚姻を結んでいる人も多いわ。
いずれ、法律が変わりそれは貴族だけじゃなく互いの国民全体に広がるわ。
だから、あなたのようにフリール国だと見下すような人も居なくなるわ」


「そんな事は、有り得ない!
結婚と言いながらも、お前も所詮は人質。
我が国を裏切らんようにな。
それに、マルシェ伯爵のように東の国の女を妻にしている奴は居るが、
それは東の国の奴らがどうか娘を貰ってくれと、懇願してだ。
東の奴らは、娘を裕福な我が国になんとしても嫁がしたいのだろう。
実際、レベッカ姫以外に我が国の者が東の国に嫁いだなんて聞いた事はない。
誰も東の国の男なんかに娘をやりたくないからな。
我が国とフリール国の格差は埋まらない」

ラムフール伯爵は、声高々と笑う。

私は悔しいが、言い返す言葉が見つからずに押し黙る。
何かを言い返してやりたいのに。


「ラムフール伯爵、それくらいにされてはいかがですか。
少し酔われているのでは?」

その声の主は、ゆっくりと争う私達に近付いて来る。


「宰相!」

驚くラムフール伯爵と同じように、私も緊張で体に力が入る。


「カーメリオン公爵様・・・。
こんな場所で見苦しい姿を晒して申し訳ありません」

そう言った私の方に、カーメリオン公爵は視線を向ける。
その表情は、私に少し呆れているよう見える。


カーメリオン公爵は、ザラの母親であるエリザリス王妃の弟でザラの叔父さん。
そして、この国の宰相で、この国ではナンバー2の存在。


「アンジェ姫、あなたはザラ王太子の妃になる女性。
あなたの失態はザラ王太子の評価に繋がるのだと分かっているのですか?」

まだ30才になったばかりの彼だけどその姿は威厳に満ちていて、
言い返したり逆らえない雰囲気がある。


「はい・・・」


この人に会うのは、過去に数える程しかなかったが、
いつも私はこの人に怯えているような記憶がある。

それは、なんとなくだけど昔からカーメリオン公爵は私をザラの王妃になる事を認めていないような気がするから。

その理由は、ラムフール伯爵と同じように、私が貧しい東の国の姫だからなのか、
それとも、私の教養の無さを嘆いてなのか分からないが。


「一体何を騒いでいる」

今の私にとって助け舟になるのかは分からないが、
ザラがこちらにやって来るのが見えて、私は安心した。


「あ、私は娘を残して来たので、戻ります」

ラムフール伯爵は、逃げるようにザラの横を通り過ぎて行く。
酔いが醒めて冷静になったのか、私にした事でザラに責められると思ったのだろう。


「叔父上、来てくれたのですね。
父上から、叔父上は体調が悪いから今夜は来ないと聞いていました」

ザラは嬉しそうな表情を浮かべている。
彼は叔父さんであるカーメリオン公爵をとても慕っている。

そして、またカーメリオン公爵も破顔してザラ王子を見ている。
結婚はしているが子供がまだ居ないカーメリオン公爵は、ザラを息子のように可愛がっている。


「寝ていたら熱は下がったので、少しでも、と。
ザラ王太子、私もあちらでモーラスト王陛下に顔を出して来ます」

カーメリオン公爵は、ザラだけではなく私にも頭を下げ、
大広間へと歩いて行った。


カーメリオン公爵の姿が見えなくなると、ザラは腕を組み私に視線を向けた。


「ラムフール伯爵に何か言われたのだろう?
どうせつまらん事だろ。
お前も子供みたいにいちいちムキになるな」

「ムキにって・・・」


私の悔しさを何も知ろうとしてくれないザラに、先程のラムフール伯爵に湧いていた怒りが向かう。


「ザラも同じなのよね」

「なにがだ?」

私の口調が攻撃的だからか、ザラも同じようにそうなる。


「ザラって昔から私に偉そうで。
それが何故なのか分かったわ。
私が貧しい東の国の姫だからよ。
ザラは裕福なデーン国の王子で、そんな私の事をずっと下に見てバカにしていたのね。
あなたもラムフール伯爵と同じなのよ!
私を見下しているのよ」

悔しくて涙が目に浮かんで来る。
私の婚約者なのに、目の前のそのザラさえも信用出来なくて。

婚約が決まってから、ザラの誕生日もそうだけど、デーン国での晩餐会などの公の場を私はずっと避けていた。
この国に来たのさえ、数年振り。

ラムフール伯爵のようにあそこまで言って来る人は居ないが、
デーン国の貴族達はどこかフリール国を下に見ているのを、幼い頃に感じてしまった。

だから、そんな貧しい国の姫が、ザラ王太子の妃になるのだと、
そんな視線に私は苦しみたくなかったから。


それが、私がずっとザラとの結婚に躊躇っていた本当の理由なのかもしれない。


「お前、それは本気で言っているのか?」


そのザラの言葉が、妙に鋭く耳に響く。

そのザラの言葉で、少しずつ冷静さを取り戻して行く。

冷静になると、自分の言った言葉に後悔してしまう。


ザラがそんな人ではない事を、私はちゃんと分かっている。

彼の意地悪は、私を対等として見ているからこそ出る言葉なのだと。


「ごめんなさい・・・」


なんだか此処にこれ以上居るのがいたたまれなくて、
ザラに背を向け私は逃げるように廊下を走る。


ザラに幻滅されたかもしれない・・・


それくらい、今の私は最低だわ。

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