ポンコツ悪役令嬢のぐたぐだ復讐譚
 突然だが、コアピコの法則というものをご存知だろうか。
 どうか安心してほしい。これは今、大きなホールのど真ん中に突っ立っている黒髪の娘が適当に考えたものなので、誰も知らなくて当然である。
 して、その内容は以下の通りだ。

 コ……婚約破棄されて
 ア……悪名高い貴族に嫁ぐけど
 ピ……ピュアな心で周りを懐柔し
 コ……幸福を掴む

 つまり、コアピコ。
 すなわちコアピコ。
 コアピコの法則は、巷で流行りに流行っている恋愛小説のお決まりパターンとも言えるもので、この娘も同い年の貴族令嬢とコアピコ談義に花を咲かせたものである。
 恋愛小説に登場する純真無垢な主人公が、婚約者に裏切られても、身に覚えのない罪で悪役令嬢のレッテルを貼られても、たくさんの理不尽に晒されても、本当の自分を見てくれる愛しい男性と共に強く生きていく。
 ああ素晴らしきかなコアピコ。
 娘はコアピコに夢中であった。

 ──しかし自分がコアピコになりたいかといえば、答えは否。

 何せ娘には大好きな幼馴染がいて、彼と結婚することが既に決まっていた。親同士の都合で引き合わされることが大半であろう貴族の結婚において、これほど平和で恵まれた縁組は多くない。
 娘は幼馴染と穏やかな家庭を築くことが目標だった。
 なのでコアピコはあくまでフィクション、己の身には起こり得ない空想であって、だからこそ楽しく没頭できたのである。

 そう、フィクションだったから。

「エミリー、君との婚約は白紙にさせてもらう」
「は?」


 ◇


 冷たい風が吹き荒ぶ路地裏に座り込み、元・伯爵令嬢エミリーは考えを改めた。

 ──コアピコなどクソ喰らえ。

 あの華やかなパーティー会場でエミリーに何があったのか、そしてその後どうなったのか、コアピコっぽく簡潔に説明しよう。

 コ……婚約破棄されて
 ア……悪名高い貴族に引き取られて
 フ……普通に冷遇されて
 ナ……何も挽回できる機会もないまま
 マ……また別の女に旦那を寝盗られた

 コアフナマ。都市伝説に登場する化け物のような単語が完成したが、エミリーがこの半年で経験した一連の出来事はまさしくコアフナマだった。
 大好きだった幼馴染はなんと五年も前からエミリーの義妹とよろしくやっており、彼らは邪魔なエミリーを伯爵家から追い出すために、さまざまな悪評をでっち上げていたのである。
 そんなことも知らずにのほほんとコアピコ小説を楽しんでいたエミリーはまんまと罠に嵌まり、いつの間にか彼女の評判は「義妹を虐げ、既婚未婚問わず何人もの男と関係を持っては家庭を崩壊させた悪女」となっていた。
 父と後妻はそのとんでもない噂を信じ込み、エミリーをしばらく謹慎させた。そして後日、エミリーの毒婦っぷりに興味を示した公爵家の縁者が「嫁に欲しい」と言い出し、半ば追い出される形で結婚が決まったのである。
 コアピコの法則ならば、ここから「ピュアな心で周りを懐柔」するターンなのだが、現実は上手く行かず。

「何だ。噂と違ってつまらん女だな」

 夫となった男はエミリーが乙女であることを知ると、初夜を放棄して不貞寝した。
 数多の美女と浮名を残してきた彼としては、妖艶な悪女と楽しんでみたかったのだろう。知るかそんなこと、とエミリーも憤慨しながら爆睡した。
 好色な主人がエミリーに一切の興味を示さないとなれば、屋敷の使用人たちも相応の態度を取るようになる。
 コアピコ小説だと陰湿な嫌がらせが始まるところだが、エミリーに対して行われたのは徹底的な無視であった。
 コアフナマの「ナ」である。自身にまとわりつく悪評や誤解を払拭する機会が、エミリーにはついぞ訪れなかった。
 さていよいよコアフナマの「マ」だが、これに関してはもう言わずもがな。

「あ、もしかしてあなたが奥様? ふふ、お邪魔してます」

 昼間の寝室に素っ裸の女がいた。
 女は特に恥ずかしがる様子もなく、屋敷の女主人よろしくメイドたちの世話を受け、絶句するエミリーを見て妖艶に微笑んだ。
 待て待て本物の毒婦が来るとは聞いていないぞと、湿度の高すぎる寝室から慌てて逃げ出したエミリーは、その流れで執務室にいた夫から離婚を突き付けられたのだった。

「……いや、何で?」

 半年間を振り返ったエミリーは、未だ自分の身に起こった不幸を受け入れられず、暗い路地裏に蹲った。
 離婚が成立し、餞別にとお金は貰ったものの、エミリーには帰る場所など無い。
 カスみたいな幼馴染は今ごろ義妹とキャッキャウフフの幸せ結婚生活を送っているだろうし、薄情な両親はエミリーの潔白など端から信じておらず、帰ったところで歓迎されるわけがなかった。

「終わった……」

 エミリーは自分の人生に失望していた。
 あれだけコアピコ小説の主人公を応援し、時には駄目出しをして、「私ならこうする!」なんて自慢げに語っていたくせに、いざ現実に起こると何も上手く出来ないではないか、と。
 否、出来ないからこそ憧れていたのかもしれない。
 エミリーは昔から、あまり利発ではなかった。詩は読むのも考えるのも苦手で、話術にも秀でておらず、おまけに運も悪い。とかく何においても凡庸であった。
 自分にも何か、物語の主人公のような光るものがあれば良いのに。そんなことを考えながら、主人公たちの華々しい活躍を眺めていた。

「……。…………いやでも私、悪くなくない?」

 怒涛の半年間に疲弊し、ついつい感傷に浸ってしまったが、エミリーは自分に非がないことに気付く。
 悪いのは幼馴染と義妹と両親と元旦那と妖艶な毒婦である。いや、元旦那と毒婦は……どうだろう。元旦那は何だかんだ慰謝料をくれたし、毒婦は毒婦の務めを全うしていただけか? 毒婦の務めって何だ? 毒婦レスオブリージュか?
 とにかく、ここで野垂れ死ぬ前に元凶の幼馴染と義妹にだけは復讐してやらねば気が済まない。
 エミリーがかつてないほどの怒気をまとわせ、やおら立ち上がろうとしたときだった。

「すげ~、何これ、よくこんなもん刻まれて生きてるね」
「きゃー!?」
「ふげっ」

 いつの間にか近くに立っていた見知らぬ男が、エミリーの髪を掻き分け、白いうなじをジロジロと眺めていた。
 変質者である。エミリーは迷うことなく拳を彼の顎に打ち込んだ。

「だ、誰ですか!? おおおお金は持っていませんよ!」

 嘘である。元旦那からは結構な額を貰っていた。

「痛たた……いや別にお金は要らないよ。俺が気になったのは君の首にある印で」
「印?」

 仰向けに倒れた男は、エミリーに殴られた顎を擦りながら、ゆっくりと起き上がった。
 その間にエミリーは自分のうなじを触ってみたが、よく分からない。怪訝な表情で男を見れば、彼はその場に胡座をかき、乱れた金髪をおざなりに整えた。

「三重の円に六芒星……君、悪魔に狙われてるよ」
「悪魔?」

 エミリーは変な物を食べたような顔で反芻し、げんなりと男に背を向ける。

「すみません、新興宗教の勧誘はちょっと……」
「いや違う違う、本当だって。最近ずっと不幸が続いてたりしない? うーん、そうだな……印が付けられたのは五年前、効力が出てきたのは半年前ぐらいかな?」
「!?」

 ぎょっとして振り返れば、エミリーのうなじを見ていた男が「当たり?」とあっけらかんと笑う。
 幼馴染が義妹とそういう仲になったのは五年前。そして根も葉もない噂と悪評がばら撒かれ、婚約破棄をされたのが半年前だ。不本意ながら男の言葉と時期は合う。
 いやしかし、当てずっぽうでそれらしいことを言っている可能性だってある。エミリーがなおも警戒を解かずにいれば、男は苦笑まじりに立ち上がった。

「いや、別に信じてもらわなくても良いんだけどさ。あんまりにも濃い印だったから珍しくて」
「……あなたはどうしてそんな印のことをご存じなんですか?」
「生まれつき見えるんだよ。たまに首とか額に印が浮かんでる人がいてね。そういう人はたいてい、妖怪や悪魔に取り憑かれてるんだ」
「ようかい……あくま……」

 いずれもエミリーにとっては、実感を伴わない曖昧な存在だった。何せ国が定めた一柱の神はおれども、悪魔や怪物は聖典には登場しないのだ。後世の吟遊詩人が好き勝手に創り上げた二次創作──つまり枝分かれした神話にはさまざまな異形が登場するものの、それらはあくまで空想止まり。悪魔だけに。
 下らない洒落を思い浮かべる余裕がまだあったことに驚きつつ、エミリーはうなじを摩りながら尋ねた。

「印が出ている人はどうなるんですか?」
「死ぬけど」
「はぃぅうえええ!? し、死!?」
「君もそのうちね。それじゃ……」
「待ってここで立ち去ろうとしないで!! この人でなし!!」

 エミリーは勢いよく男の腕を掴み、その場に座り込んだ。駄々をこねる幼子よろしく喚き立てた彼女を、男はへらへらと見下ろす。

「大丈夫だよ。悪魔は不幸を呼び寄せて、人間の生命力が弱ったところをパクッと行くんだ。何か君、思ったより元気そうだから今すぐ死ぬわけじゃないと思うよ」
「でも最終的に死ぬんでしょう!?」
「まぁね。それじゃ……」
「だから不穏な話だけして置いて行かないで! 印を消すにはどうしたらいいんですか!?」

 貴族令嬢としての振る舞いなど遥か彼方へ飛んで行ったエミリーは、その後も男に印を消す方法を教えてくれと頼み込んだ。
 恐らく性格があまりよろしくない男は心底愉快げにエミリーの必死の形相を眺めていたが、やがて満足したのか「うん」と笑って彼女の手を握り返す。

「悪魔は何よりも人間の絶望が好きだ。だから、君よりももっと美味しそうな奴がいれば、そいつを代わりに食ってくれるよ」
「えっ……」
「つまり君が、自分以外の誰かを絶望のどん底に叩き落として、その様子を悪魔に見せてあげれば良い。活きの良い餌を紹介してやるんだ。そうすれば、美食家な悪魔はそいつに印を移すだろう」

 どうする、と男は笑顔で首を傾げた。
 彼が提示した解決方法は、言うなればエミリーの代わりに死ぬ人間を作るということだ。自分が助かるためだけに第三者を犠牲にする、倫理に背いた──。

「分かりました!!」
「承諾はや」
「思い当たる餌が二人ほどいます!! もしもし悪魔さん!? 私今からその人たちに復讐しようかなって思ってたんです!! もしよろしければご協力をお願いしたいんですけど!」
「悪魔に助力求め出した」

 全てを失い、それなりの慰謝料だけが残ったエミリーはもはや無敵であった。
 このどうしようもない惨めな状況を作り出した元凶、つまりは幼馴染と義妹を、悪魔の餌にしようとあっさり決めた。
 よくよく考えれば最初に「第三者を犠牲にして」「自分たちだけが幸せになろうとした」のは、他でもないあの二人なのだ。
 何ならエミリーのことはその辺で野垂れ死ねば良いとさえ思っていることだろう。そんな連中に道徳や倫理をもって接する必要がどこにあろうか。

「よぉし、そうと決まればまずは情報屋でも雇いましょ」
「待った」

 エミリーの襟首をむんずと掴んだ男は、何かを考え込むように顔を覆った後、溜息まじりに口角を上げたのだった。

「……まぁ良いか。その復讐、俺も手伝うよ。エミリー(・・・・)()



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