狐火
 走っている最中にも、ヤコのことが繰り返し脳裏をよぎった。

 記憶の中のヤコは、いつもにこやかだ。


 普段の、どこか愛嬌のある笑顔。

 橋の上で見た、裏がありそうな怖い笑み。

……そして飛び降りる前の、寂しげな微笑。


 ヤコのことを思い出す度に、ヤコに触れられた肩が熱を持って痺れるような、そんな感覚に襲われた。



 走って走って、近くにわたあめの屋台を見つけた。

 私は全速力で駆け寄ると、そこの無愛想そうなおじさんに「助けて下さい!」と訴えた。


 おじさんは蛇でも見たような顔で後ろに退いたが、構わず、

「川に落ちた人がいるんです!」

と声を張り上げた。


「はぁ?」

 おじさんは眉をひそめ、息を切らしている私を怪訝そうに眺めている。

「ちょっと来てもらえますか!」

 まだ唖然としているおじさんを強引に引っ張り、さっきの橋まで連れてきた。


 おじさんはしばらく疑わしそうに川を見渡していたが、水面に浮かぶヤコに気づくと大慌てで人を呼びに行った。


「東原んとこの息子が溺れたって!?」

「橋から落ちたらしい! 早く上げねえと、このまま……」

「医者だ! 医者を呼べ!」

 おじさんの協力のおかげで、あっという間に大勢の人が川へと集まる。

 それから数人の男たちが川に飛び込み、ヤコを引き揚げるのに大して時間はかからなかった。
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