スノードロップを見かけたらご一報を
掲示板に最近張り出されたお知らせは、とても不気味なものだった。
〝スノードロップが繁殖する事例が多発しています〟
スノードロップってどんなものだっただろうか。
携帯で検索してみると、スズランをさらに小さくした様な首(こうべ)を垂れた白い花だった。
なんだ、可愛いじゃん。
誰が危険なんて言い始めたんだ。
そう思った俺は、可愛い白い花を見つけたくて、キョロキョロと自宅近辺を探すようになった。
現状を変えたい、その一心で。
本城 圭太(ほんじょう けいた)
二十代で結婚したが、妻の家事のサボり癖が酷く言い争いも絶えなくなり、四年で離婚。
その後は恋愛に意欲が沸かず、バツイチで一人を謳歌している。
…と言いたいところだが、謳歌なんて良いもんではなく、仕事と家の行き来をして疲れ果てている毎日。
スノードロップを見つけたら、良いことでも降りかかるかもしれない。
あのチラシが、変われるチャンスだと思った。
荒れた空き地と書いてあったが、俺が住んでいる町内は、新築住宅街。
空き地を見つけるのは、至難の業。
でも休みの日は何もせず、家でぐうたらしているだけだし、良い暇つぶしになるか。
いつもは行かないような場所に足を伸ばしてみることにして、隣町にお邪魔すると、その町は空き地だらけ。
家があっても古く、誰かが住んでいそうな気配もない。
スノードロップが咲きそうな、絶好の場所だ。
早速空き地を見つけて、足を踏み入れる。
他の多くある空き地よりも、特に荒れ方が酷く、雑草も生えているけど、除草剤でも撒いたのか枯れているものばかり。
土も水分が少なく、地面のひび割れが顕著に見られる。
そんな空き地の真ん中で、割れ目から一輪の花を見つけた。
白く小さな花で、検索した画像と全く同じ。
首を垂れて、華奢に咲いている。
「案外、簡単じゃん」
掲示板に貼り出されていた電話番号に、自分の携帯から掛けてみる。
携帯番号ということは、個人電話。
個人事業主なのかな。それなら、俺もそこで働かせてもらえないだろうか。
そんなぬるいことを考えながら、数回鳴った呼び出し音の後に聞こえた機械音。
〝しばらくお待ちください〟
とびきりの報酬を期待して胸を躍らせながら、電話の向こうの担当者を待つ。
「お待たせしました。松雪商事の松雪です」
「あ、どうも。本城と言いますが」
「はい、本城様。お世話になります」
「あの。掲示板のスノードロップっていうのを見つけたので、電話しました。どうしたら良いですか?」
「スノードロップですね。ご協力ありがとうございます。では今から作業員を回収に向かわせます。その場でお待ちください。住所を教えていただけますか?」
受け答えは会社員ぽく、定型文でもあるのか棒読みにも聞こえる。
松雪商事の松雪さん。社長さんだろうか。
聞かれたことに答えていき、回収に来た人に場所を教えてくれたら、それで終わりですと告げられた。
「あの、聞きたいことが」
「はい。何でしょうか?」
「俺たちが摘んで、持って行ったりはできないんですか?」
「それは絶対にしないでください」
「それをすると…、どうなるんですか?」
「今までに、本城様のようなお考えの方が複数おられました。私共は、責任は一切負えませんと掲示板にも記しております。それで察していただければ」
「察する…。難しいですね。まぁ、分かりました。じゃあ待ってますから」
「はい。では、失礼いたします」
察していただければと言われたけど、どうなるのかはっきり言ってもらわないと分からない。
地球規模の損害が起きるとも思えない。
迷惑をかける人も周りに居ないし、自己責任で試しに摘んでみようか。
作業員とやらを待っているのも長く、その場にとどまっているのが嫌になってきて、居場所が分かるように道沿いに立っていたけど、真ん中に咲く花の方へ移動した。
風も吹いていないのに、左右に揺れているそれは、構ってほしい犬のしっぽのように激しく揺れていて、手をかざしてみても風はないし止まる気配もない。
さっきの電話の〝察していただければ〟が頭の中で再生される。
この花を触るのは、本当にやばいかも。
手を引っ込めようとしかけて、スノードロップが更に大きく右に振れた。
その瞬間、かざしていた手にトンと花が当たった。
ダメだと思った時には、もう遅い。
何か状況が変わってしまうのか、まわりを見ても風景は何も変わっていない。
携帯を開いても、日付は一緒。時間も止まっていない。
電波も通じる。
SNSを開いても、何も変わらなかった。
自分だけパラレルワールドに行った可能性も考えたけど、それはないようだ。
張っていた気が少し解けた。
やけに怖い口調で理由も言わなかったから、もっと深刻なことでも起こるのかと、正直びびった。
結局変えたいと思っても、変わろうとするとすくんでしまう自分の足。
器が小さくて弱腰なんて、別れた妻じゃない人が妻なら、捨てられていた。
「本城様でしょうか」
スノードロップが触れた指先を見つめて考えていると、男性に話しかけられた。
「松雪商事から回収に参りました」
「あぁ、作業員の」
ここです、と指を指すと恐る恐る近づき、数メートル離れたところでカバンを広げて、重装備をつけ出した。
「専用の回収キットか何かですか」
「はい。この花の力は強力です。素手で触れたら、人生半分終わったようなものです」
「え、触ったらどうなるんですか」
また弱腰で、電話で聞いたことと同じことを聞いた。
すると、作業員は目に光を無くして話し始める。
「噂で聞いただけですが、夢と現実の判別がつかなくなるらしいです。今まで花に触れてしまった人は多くいますが、現在生存者は確認できていません。前兆はなく、希死念慮が湧くと。多分、夢が関係しているんでしょう」
話しながらも、無の域で花を回収する作業員。
花を摘んでいる感覚がないほど、分厚く硬い手袋をはめている。
俺はそんな花に触れてしまった。俺も同じようになるのか。
どうやって?
夢が関係していると言われたけど、判別がつかなくなるということは、パラレルワールドのような場所に行ってしまうのか。
じゃあ眠ったら終わりじゃん。
生理現象で睡眠は備わっているのに、それができないとなると、パラレルワールドは避けられない。
「終わった…」
「…あなたも触ったんですね」
「助けてもらえませんか?それか助かる方法があれば、教えてください!」
目に光がないまま、哀愁の目を向けられた。
一気に地獄に落とされた感覚。
希望がないのは分かっているけど、何かに縋りたくなるもの。
「申し訳ございませんが、掲示板にも書いてある通り、当社は一切の責任を負いかねますので」
丁寧な会釈を一つ受けて、作業員は冷たく突き放して帰って行った。
何もかも無駄のない動きだった。同情もなかったな。
…これからどうしよう。死のカウントダウンが針を前に大きく進めた。