お面売りの少女
「こら、雅紀起きなさい。学校遅刻するでしょ」
そう言うと同時にカーテンを勢いよく開け、陽射しを容赦なく部屋に取り込む。眩しい光が部屋を照らす中、雅紀は芋虫のように布団にくるまり、さらに奥へと潜り込んだ。
「あと……五分だけ」
布団の中から聞こえるくもった声に答えずに布団を引っペがす。
「んー、眩しい……」
手で目を覆い、光を遮断しようとする雅紀を立たせる。それでもまだ瞼は半分ほど下がっている。
「お母さんは?」
「いつも通り仕事だよ。ほら、ご飯用意してるから着替えたら来てよ」
雅紀が頷いたことを確認してからキッチンに向かって、予め作っていたトーストと目玉焼きをひとつのお皿へと移していく。
全ての準備が出来たところでタイミングよく着替え終わった雅紀がリビングに入ってきた。
「テキパキ食べてよ。ただでさえいつもより遅いんだからね」
「わかってるってば」
雅紀はそう言うと口いっぱいに目玉焼きをつめて飲み込んだあと、何かを思い出したようにバッと顔を上げた。
「お姉ちゃん! 今日お祭りだよね!? 僕たちも行けるかな?」
その答えに何を求めているかなんてキラキラと輝く瞳を見れば一目瞭然だ。雅紀の言葉に穂乃果は数日前のことを思い出していた。お母さんに「二人で楽しんできなさい」と言って渡された少しのお金は確かに私のポケットに入っている。
お父さんが他界してからお母さんは女手ひとつで私たちを育ててくれた。汗水垂らして稼いだお金を私たちが遊びに使っていいのかと思うときもあったが、そんなことを言うと怒られそうなので、そっと心にしまってある。
目の前には雅紀の期待に満ちた瞳。そんな姿に少し意地悪してやろうと思って私はわざとらしく首を傾げた。
「さあ、どうだろうね。雅紀いつも全然言うこと聞いてくれないからなあ」
雅紀のことを横目に見ると、この世の終わりを彷彿させるほどガックリと肩を落としていた。そんな姿が面白くて思わず笑みが零れてしまう。
「ごめんごめん、冗談だよ。学校終わったら二人で行こうね。寄り道せずに帰ってくるんだよ」
さっきまでの絶望した表情が嘘みたいに、今度は顔一面に笑顔の花を咲かせていた。
その後、ご飯を食べ終えた雅紀はランドセルを背負い、玄関で靴を履きながら振り返った。
「お姉ちゃん。お祭り約束だからね」
「ちゃんとわかってるよ」
私の答えに満足したのか雅紀は満足そうに頷いて「行ってきまーす」と叫びながら学校まで駆けていった。
私もそのあとを追うようにスクールバッグを手に持ち、しっかりと戸締りをしてから電車に乗り込んだ。
それから十数分後、電車から降りて学校までの道を歩いていると後ろから誰かに抱きつかれてしまった。
誰かとは言いつつ、こんなことする人はたったひとりしかいないのだけれど。
「穂乃果! おっはよーう」
「おはよ。由奈は相変わらず元気だね」
「まあね、それだけが取り柄ですから」
冗談めいた調子で話す由奈は、私の隣に並んで歩き出した。
大きく揺れるポニーテールが由奈の気分を表しているようにさえ見える。
「でも私の目には穂乃果もかなり浮かれてるように見えるんだよなあ。なんかいいことでもあった?」
由奈は指で作った丸を通して、私を観察するようにまじまじと見つめてくる。
「別にたいしたことじゃないよ。ただ今日はお祭りだからね」
「さては雅紀くんと一緒に行くんだな」
「うん。お母さんがお金もくれたし、いつも大変な思いさせてる分も楽しませてあげないと」
由奈は感嘆の声を漏らしたあと、ぽんぽんと私の肩を軽く叩いた。
「穂乃果は優しいね〜。私も弟いるけど、一緒にお祭りとか絶対ムリ!」
本気で嫌がっている由奈の素振りに苦笑いを零す。由奈には二個下の弟が一人いると何度か聞いたことがある。
もし私と雅紀の年齢が近かったら面倒に思うんだろうか、なんて想像もつかないことを考えてみたりした。
「あ、そうだ。こんな噂知ってる?」
「なに? また都市伝説の話?」
由奈が突然声を上げるのは、決まって都市伝説の話をするときだ。
「ちょっとは興味持ちなよ。今回のはとびきり怖いやつなんだから」
その言葉前にも聞いたよ、とは由奈の面子を潰さないために言わないことにした。
「じゃ、話すよ?」
見かけによらず都市伝説が大好きな由奈が話す今回の話はこうだった。
千九百年代の七月。ある町で開催された祭りで子供たちが何人も失踪した。噂によるとそれは『お面売り少女』の仕業らしい。
昔ならではのおかっぱに赤い着物を身にまとった少女は、昔お祭りの最中に友達からの虐めに耐えきれず命を絶った。少女の遺体は未だに発見されていない。
その少女が狙うのは齢十以下の子供だけ。なんでも本当の友達を探しているらしい。気に入った子に自分が持ってるお面を売って、あの世に連れて行こうとしているんだとか。
由奈は怖がらせようと低い声で話す。いつもならなんとも思わないはずなのに、なぜか今日だけはその雰囲気に飲み込まれ、背筋が凍った。
夏の暑さのせいではない嫌な汗が額をつたる。次々と浮かぶ雑念を振り払うように声を上げる。
「で、でもそれただの都市伝説なんでしょ?」
「そうだね。でも都市伝説って全部実話を元に作られてんだよ」
口角を上げて笑う由奈の顔がこんなに不気味に見えたの初めてだった。私の様子がおかしいと感じとったのか、由奈は申し訳なさそうに指で頬をかいた。
「ありゃ、ちょっとやりすぎた? 大丈夫だよ、穂乃果。こんなのただの作り話なんだからさ」
由奈の言葉に頷き、自分を納得させる。だけど結局、そのあとも頭の片隅にその都市伝説がこびりついて離れなかった。
――夜になり、辺りにぶら下げられている提灯が明かりを灯し始めた。
お祭り会場に近づくにつれて、人の笑い声や太鼓の音が大きくなっていく。たこ焼きや綿菓子、焼きとうもろこしの美味しそうな匂いが鼻を擽った。
隣にいる雅紀はまるで夢の世界を見ているかのように目を輝かせている。
「お姉ちゃん! 早く行こうよ!」
「はいはい、そんな急がなくてもお祭りは逃げたりしないよ」
「それはわかってるけど……あ、射的だ!」
雅紀はバツが悪そうに目を逸らしたかと思うと、今度は射的の屋台へ一目散に駆けていった。
「ちょっと雅紀、待って!」
私も雅紀を見失わないように後を追った。
「一回やらせて!」
射的の屋台につくと雅紀は店番のおじいさんにそう言って予め渡しておいたお金を払った。雅紀が弾の準備をしている間、景品の棚を見渡す。
置かれているお菓子はどれも小さいものばかり。雅紀のやる気は十二分にあるけどきっとかすりもしないだろうな、と密かに思っていた。
案の定一発打ったあと、雅紀は悔しそうに顔を歪めた。続けて二発目、三発目と打ち、ついに弾がなくなってしまった。
「惜しいな、僕。もう一回やったら出来るんじゃないか?」
おじいさんのその言葉に誘導されるように、雅紀が乱雑に取り出したお金を払おうとする。
お金がおじいさんの手に渡る前に、咄嗟に雅紀の手首を掴み首を横に振った。私の言いたいことがわかったのか雅紀はこくりと小さく頷く。
「おじさん、ごめんなさい。僕やっぱりやめとく」
雅紀が残念そうに言うと、おじいさんは少し驚いたような顔をしたあと、すぐに笑顔になった。
「そうかい。またいつでもおいで」
おじいさんの言葉に軽く頭を下げ、その場を去った。
その後は食べ物中心の屋台を見て回った。昔ながらのミルクせんべいを食べたり、夏といえばのかき氷を食べたりしているうちにお腹はあっという間にいっぱいになっていった。
「次はヨーヨー釣りしたい!」
雅紀はヨーヨー釣りの屋台を指さしながらそう言った。
「はいはい、ゆっくり行こうね」
今にも走り出しそうな雅紀をなだめながら一緒にヨーヨー釣りの屋台に向かった。
屋台のおばあさんにお金を払い、釣具をもらう。
射的のときとは裏腹に、雅紀にはヨーヨー釣りの才能があったようで桶の中には既に二個のヨーヨーが入れられていた。
「僕ヨーヨーの天才かもしれないよ」
そう言いながらもう一個追加で入れたとき、紐が切れてしまった。最終的に釣れたのは三個。釣れた分のヨーヨーをおばあさんから受け取り、隣にいる雅紀に渡そうとする。
「はい、これ……」
――しっかり持っといてよ
その言葉は口から出なかった。さっきまで確かに隣にいたはずの雅紀の姿がそこになかったからだ。
全身から血の気が引いていく。辺りを見回してみても雅紀の姿はどこにもない。
「雅紀? 雅紀!? どこ行ったの!?」
私は名前を呼びながら反射的に走り出していた。声はざわざわとした人の話し声や笑い声にかき消される。
人混みを掻き分け、必死に雅紀を探す。
周りの人が迷惑そうな目を私に向けてもお構い無しだ。そんなことに配慮できる余裕が、今の私にあるはずもなかった。
今朝、由奈から聞いた話が脳裏を過ぎる。あんな都市伝説実在するわけがない。だけど考えれば考えるほど不安と焦りで胸が押し潰されそうになる。
聞き分けのいい雅紀が自分勝手な行動を取って迷子になるとは、どうしても思えなかった。今まで立ち寄った屋台を全て回り、ついには神社の外れにある古びた街道まで来てしまった。
「雅紀! いるなら返事して!」
重厚で不気味な雰囲気に包まれている道を名前を呼びながら、歩き続ける。足元の砂利が擦れる音が妙に大きく響き、周囲の木々が風でざわめく音が耳を突いた。
あまりの不気味さに涙が出てきそうになる。でも今はそんな弱音を吐いている場合じゃない。
街道の更に奥、暗闇だけが支配しているその空間に足を踏み入れようとしたとき、後ろから誰かの話し声が聞こえた。
「雅紀なの……?」
一歩ずつ声のする方へ近づいていく。月明かりに照らされ、その姿を捉えたときヒュっと息が詰まった。
そこにいるのは確かに雅紀だった。けれどその右手には買った覚えのないお面が握られ、左手は赤い着物を着た女の子と繋がれていた。目は虚ろで私のことを見ようともしない。
女の子は私の存在に気づいたのかこっちの方へと首を向ける。
「お姉ちゃん、だあれ?」
恐怖で足が竦んだ。女の子の目は真っ黒に染められていて言葉を失うほどの異様さだった。その目は深淵そのもので、覗き込むと自分が吸い込まれそうな感覚になる。青白い肌をもつ顔に血色感は一切なかった。
息が荒くなっていく。雅紀を呼びたくても上手く口がまわらない。
「お姉ちゃんは大きいからあたしのお友だちにはなれないね」
そんな私の様子を気にも止めず、女の子は続けて淡々と言葉を放つ。声色もトーンも何ひとつ変わらない。
日本人形を連想させる立ち振る舞いに、恐怖が増していく。
「ま、雅紀を……どうする気……?」
なんとか紡いだその言葉も、やっぱり震えてしまった。
「この子? この子はね、あたしとお友だちになったんだよ。魂を売って、あたしのお面を買ってくれたから」
「ふざけないでよ!! その子を……雅紀を返して」
恐怖も忘れて声を荒らげた。雅紀の手を離そうとしない女の子をキッと睨みつける。
「……お姉ちゃんもあたしをいじめるの?」
少しの間の後、女の子の口角が不気味な弧を描き、私へと手が伸びてくる。
その直後、フィルターがかかったようにぐにゃりと視界が歪んだ。抑えられない吐き気がお腹の底から込み上げてくる。
「またね、お姉ちゃん」
女の子が言葉を放った途端、意識が沈んでいく。最後に見たのは二人が遠ざかる、その後ろ姿だけだった。
そう言うと同時にカーテンを勢いよく開け、陽射しを容赦なく部屋に取り込む。眩しい光が部屋を照らす中、雅紀は芋虫のように布団にくるまり、さらに奥へと潜り込んだ。
「あと……五分だけ」
布団の中から聞こえるくもった声に答えずに布団を引っペがす。
「んー、眩しい……」
手で目を覆い、光を遮断しようとする雅紀を立たせる。それでもまだ瞼は半分ほど下がっている。
「お母さんは?」
「いつも通り仕事だよ。ほら、ご飯用意してるから着替えたら来てよ」
雅紀が頷いたことを確認してからキッチンに向かって、予め作っていたトーストと目玉焼きをひとつのお皿へと移していく。
全ての準備が出来たところでタイミングよく着替え終わった雅紀がリビングに入ってきた。
「テキパキ食べてよ。ただでさえいつもより遅いんだからね」
「わかってるってば」
雅紀はそう言うと口いっぱいに目玉焼きをつめて飲み込んだあと、何かを思い出したようにバッと顔を上げた。
「お姉ちゃん! 今日お祭りだよね!? 僕たちも行けるかな?」
その答えに何を求めているかなんてキラキラと輝く瞳を見れば一目瞭然だ。雅紀の言葉に穂乃果は数日前のことを思い出していた。お母さんに「二人で楽しんできなさい」と言って渡された少しのお金は確かに私のポケットに入っている。
お父さんが他界してからお母さんは女手ひとつで私たちを育ててくれた。汗水垂らして稼いだお金を私たちが遊びに使っていいのかと思うときもあったが、そんなことを言うと怒られそうなので、そっと心にしまってある。
目の前には雅紀の期待に満ちた瞳。そんな姿に少し意地悪してやろうと思って私はわざとらしく首を傾げた。
「さあ、どうだろうね。雅紀いつも全然言うこと聞いてくれないからなあ」
雅紀のことを横目に見ると、この世の終わりを彷彿させるほどガックリと肩を落としていた。そんな姿が面白くて思わず笑みが零れてしまう。
「ごめんごめん、冗談だよ。学校終わったら二人で行こうね。寄り道せずに帰ってくるんだよ」
さっきまでの絶望した表情が嘘みたいに、今度は顔一面に笑顔の花を咲かせていた。
その後、ご飯を食べ終えた雅紀はランドセルを背負い、玄関で靴を履きながら振り返った。
「お姉ちゃん。お祭り約束だからね」
「ちゃんとわかってるよ」
私の答えに満足したのか雅紀は満足そうに頷いて「行ってきまーす」と叫びながら学校まで駆けていった。
私もそのあとを追うようにスクールバッグを手に持ち、しっかりと戸締りをしてから電車に乗り込んだ。
それから十数分後、電車から降りて学校までの道を歩いていると後ろから誰かに抱きつかれてしまった。
誰かとは言いつつ、こんなことする人はたったひとりしかいないのだけれど。
「穂乃果! おっはよーう」
「おはよ。由奈は相変わらず元気だね」
「まあね、それだけが取り柄ですから」
冗談めいた調子で話す由奈は、私の隣に並んで歩き出した。
大きく揺れるポニーテールが由奈の気分を表しているようにさえ見える。
「でも私の目には穂乃果もかなり浮かれてるように見えるんだよなあ。なんかいいことでもあった?」
由奈は指で作った丸を通して、私を観察するようにまじまじと見つめてくる。
「別にたいしたことじゃないよ。ただ今日はお祭りだからね」
「さては雅紀くんと一緒に行くんだな」
「うん。お母さんがお金もくれたし、いつも大変な思いさせてる分も楽しませてあげないと」
由奈は感嘆の声を漏らしたあと、ぽんぽんと私の肩を軽く叩いた。
「穂乃果は優しいね〜。私も弟いるけど、一緒にお祭りとか絶対ムリ!」
本気で嫌がっている由奈の素振りに苦笑いを零す。由奈には二個下の弟が一人いると何度か聞いたことがある。
もし私と雅紀の年齢が近かったら面倒に思うんだろうか、なんて想像もつかないことを考えてみたりした。
「あ、そうだ。こんな噂知ってる?」
「なに? また都市伝説の話?」
由奈が突然声を上げるのは、決まって都市伝説の話をするときだ。
「ちょっとは興味持ちなよ。今回のはとびきり怖いやつなんだから」
その言葉前にも聞いたよ、とは由奈の面子を潰さないために言わないことにした。
「じゃ、話すよ?」
見かけによらず都市伝説が大好きな由奈が話す今回の話はこうだった。
千九百年代の七月。ある町で開催された祭りで子供たちが何人も失踪した。噂によるとそれは『お面売り少女』の仕業らしい。
昔ならではのおかっぱに赤い着物を身にまとった少女は、昔お祭りの最中に友達からの虐めに耐えきれず命を絶った。少女の遺体は未だに発見されていない。
その少女が狙うのは齢十以下の子供だけ。なんでも本当の友達を探しているらしい。気に入った子に自分が持ってるお面を売って、あの世に連れて行こうとしているんだとか。
由奈は怖がらせようと低い声で話す。いつもならなんとも思わないはずなのに、なぜか今日だけはその雰囲気に飲み込まれ、背筋が凍った。
夏の暑さのせいではない嫌な汗が額をつたる。次々と浮かぶ雑念を振り払うように声を上げる。
「で、でもそれただの都市伝説なんでしょ?」
「そうだね。でも都市伝説って全部実話を元に作られてんだよ」
口角を上げて笑う由奈の顔がこんなに不気味に見えたの初めてだった。私の様子がおかしいと感じとったのか、由奈は申し訳なさそうに指で頬をかいた。
「ありゃ、ちょっとやりすぎた? 大丈夫だよ、穂乃果。こんなのただの作り話なんだからさ」
由奈の言葉に頷き、自分を納得させる。だけど結局、そのあとも頭の片隅にその都市伝説がこびりついて離れなかった。
――夜になり、辺りにぶら下げられている提灯が明かりを灯し始めた。
お祭り会場に近づくにつれて、人の笑い声や太鼓の音が大きくなっていく。たこ焼きや綿菓子、焼きとうもろこしの美味しそうな匂いが鼻を擽った。
隣にいる雅紀はまるで夢の世界を見ているかのように目を輝かせている。
「お姉ちゃん! 早く行こうよ!」
「はいはい、そんな急がなくてもお祭りは逃げたりしないよ」
「それはわかってるけど……あ、射的だ!」
雅紀はバツが悪そうに目を逸らしたかと思うと、今度は射的の屋台へ一目散に駆けていった。
「ちょっと雅紀、待って!」
私も雅紀を見失わないように後を追った。
「一回やらせて!」
射的の屋台につくと雅紀は店番のおじいさんにそう言って予め渡しておいたお金を払った。雅紀が弾の準備をしている間、景品の棚を見渡す。
置かれているお菓子はどれも小さいものばかり。雅紀のやる気は十二分にあるけどきっとかすりもしないだろうな、と密かに思っていた。
案の定一発打ったあと、雅紀は悔しそうに顔を歪めた。続けて二発目、三発目と打ち、ついに弾がなくなってしまった。
「惜しいな、僕。もう一回やったら出来るんじゃないか?」
おじいさんのその言葉に誘導されるように、雅紀が乱雑に取り出したお金を払おうとする。
お金がおじいさんの手に渡る前に、咄嗟に雅紀の手首を掴み首を横に振った。私の言いたいことがわかったのか雅紀はこくりと小さく頷く。
「おじさん、ごめんなさい。僕やっぱりやめとく」
雅紀が残念そうに言うと、おじいさんは少し驚いたような顔をしたあと、すぐに笑顔になった。
「そうかい。またいつでもおいで」
おじいさんの言葉に軽く頭を下げ、その場を去った。
その後は食べ物中心の屋台を見て回った。昔ながらのミルクせんべいを食べたり、夏といえばのかき氷を食べたりしているうちにお腹はあっという間にいっぱいになっていった。
「次はヨーヨー釣りしたい!」
雅紀はヨーヨー釣りの屋台を指さしながらそう言った。
「はいはい、ゆっくり行こうね」
今にも走り出しそうな雅紀をなだめながら一緒にヨーヨー釣りの屋台に向かった。
屋台のおばあさんにお金を払い、釣具をもらう。
射的のときとは裏腹に、雅紀にはヨーヨー釣りの才能があったようで桶の中には既に二個のヨーヨーが入れられていた。
「僕ヨーヨーの天才かもしれないよ」
そう言いながらもう一個追加で入れたとき、紐が切れてしまった。最終的に釣れたのは三個。釣れた分のヨーヨーをおばあさんから受け取り、隣にいる雅紀に渡そうとする。
「はい、これ……」
――しっかり持っといてよ
その言葉は口から出なかった。さっきまで確かに隣にいたはずの雅紀の姿がそこになかったからだ。
全身から血の気が引いていく。辺りを見回してみても雅紀の姿はどこにもない。
「雅紀? 雅紀!? どこ行ったの!?」
私は名前を呼びながら反射的に走り出していた。声はざわざわとした人の話し声や笑い声にかき消される。
人混みを掻き分け、必死に雅紀を探す。
周りの人が迷惑そうな目を私に向けてもお構い無しだ。そんなことに配慮できる余裕が、今の私にあるはずもなかった。
今朝、由奈から聞いた話が脳裏を過ぎる。あんな都市伝説実在するわけがない。だけど考えれば考えるほど不安と焦りで胸が押し潰されそうになる。
聞き分けのいい雅紀が自分勝手な行動を取って迷子になるとは、どうしても思えなかった。今まで立ち寄った屋台を全て回り、ついには神社の外れにある古びた街道まで来てしまった。
「雅紀! いるなら返事して!」
重厚で不気味な雰囲気に包まれている道を名前を呼びながら、歩き続ける。足元の砂利が擦れる音が妙に大きく響き、周囲の木々が風でざわめく音が耳を突いた。
あまりの不気味さに涙が出てきそうになる。でも今はそんな弱音を吐いている場合じゃない。
街道の更に奥、暗闇だけが支配しているその空間に足を踏み入れようとしたとき、後ろから誰かの話し声が聞こえた。
「雅紀なの……?」
一歩ずつ声のする方へ近づいていく。月明かりに照らされ、その姿を捉えたときヒュっと息が詰まった。
そこにいるのは確かに雅紀だった。けれどその右手には買った覚えのないお面が握られ、左手は赤い着物を着た女の子と繋がれていた。目は虚ろで私のことを見ようともしない。
女の子は私の存在に気づいたのかこっちの方へと首を向ける。
「お姉ちゃん、だあれ?」
恐怖で足が竦んだ。女の子の目は真っ黒に染められていて言葉を失うほどの異様さだった。その目は深淵そのもので、覗き込むと自分が吸い込まれそうな感覚になる。青白い肌をもつ顔に血色感は一切なかった。
息が荒くなっていく。雅紀を呼びたくても上手く口がまわらない。
「お姉ちゃんは大きいからあたしのお友だちにはなれないね」
そんな私の様子を気にも止めず、女の子は続けて淡々と言葉を放つ。声色もトーンも何ひとつ変わらない。
日本人形を連想させる立ち振る舞いに、恐怖が増していく。
「ま、雅紀を……どうする気……?」
なんとか紡いだその言葉も、やっぱり震えてしまった。
「この子? この子はね、あたしとお友だちになったんだよ。魂を売って、あたしのお面を買ってくれたから」
「ふざけないでよ!! その子を……雅紀を返して」
恐怖も忘れて声を荒らげた。雅紀の手を離そうとしない女の子をキッと睨みつける。
「……お姉ちゃんもあたしをいじめるの?」
少しの間の後、女の子の口角が不気味な弧を描き、私へと手が伸びてくる。
その直後、フィルターがかかったようにぐにゃりと視界が歪んだ。抑えられない吐き気がお腹の底から込み上げてくる。
「またね、お姉ちゃん」
女の子が言葉を放った途端、意識が沈んでいく。最後に見たのは二人が遠ざかる、その後ろ姿だけだった。