許婚はヤンデレ御曹司でした。

第八話 平凡令嬢は愛を見つける

 外へ出ると全力疾走で私は行く当てもなくただ走り続けた。
 息が苦しくなったところで足を止めた。

 胸が張り裂けそうで、涙が零れた。
「あれ? 私、ただの許嫁なのに……どうしてこんなに苦しいの」

 重くても、ストーキングされても、私をずっと見続けてくれていた。どれだけ嫌なことを言っても優しく笑いかけてくれた。
 私だけに向ける愛が嬉しくて、それが別のだれかに向けられるかもしれないと思うと、苦しくなった。

 よくラブコメアニメでヒロインが胸の苦しさで泣くのは、こういう気持ちを持ってしまったからだ。

 鞄を公園のベンチに置いて、私は手ぶらでどこに行くかもわからず、走り出した。
 おそらく伊織くんはスマホにまだGPSを付けているだろうし、鞄にも仕掛けられているに違いない。
 これで彼が私を探し出すことができたなら、すごい愛だ。

 走りすぎたせいで足が攣ってしまった。
足を引きずりながら歩いていると声をかけられた。
「詩織ちゃん。やっと見つけた……」
 聞き覚えのある声に体が震えた。

 伊織くんが先日、倒したストーカーが目の前にいた。
 あの時、彼はこの男を警察に突き出さず、倒れたままにしていた。
 男に触れられそうになり、私は走って逃げようとするとバランスを崩してコンクリートの上で転んでしまった。

「今日はあの男はいないのかい? なら、好都合だ。僕の家へ行こう。そうすれば、あの男とはおさらばできるよ」
「い、いや……」
「大丈夫。あの男には素朴な君には似合わない。それに女と浮気していて、胸を痛めたのだろう? たしかにあの看板娘は美人だったね。でも、君の方がはるかに美しい」

 どこからこの男は見ていたのか。
 この男の言う通り、私は彼にふさわしくない。百田さんの方が隣に立った方が華がある。
 私が下を向いていると、男は目の前で不自然なぐらい口角をあげて笑った。

「可愛いなぁ……あいつに汚されてないといいけど。でも、上書きすればいいか」
 男は私の腕を地面に押さえつけて、顔を徐々に近づけようとしてきた。
 恐怖で声も出ず、涙がポロポロとあふれ出た。

「怖がらないで。優しくするよ」

 伊織くんになら、無理矢理でも耐えられた。
 よく知らない男に純潔を散らされるなんて、思いもしなかった。私が伊織くんを試したからこうなってしまった。

「タ……ス……ケテ……い、お、り、くん」
 一筋の涙が頬を伝った。

 私が声を絞り出しながら言うと、物音がした。
 涙越しに伊織くんが男を何度も何度も殴りつけ、骨が砕かれる音や伊織くんの拳の音、男の悲鳴が聞こえてくる。
 男は命乞いのように声を張り上げて叫んだ。

「許してくれ!」
「許すわけがないだろう。詩織に触れていいのは僕だけだ。それもかわいい泣き顔をお前は見てしまった。泣き顔も笑顔も、苦しむ姿も僕だけが知っていればいい。僕の詩織に手を出したのだから、死んで詫びるんだ」

 伊織くんの言葉で我に返り、私は床を這いつくばりながら彼の足にしがみついた。
「ダメ。殺しちゃ、ダメだよ」
「でも、君を泣かせた。その上、君の唇を奪おうとした。これは許されることかい?」
「でも、殺したら伊織くんともう一緒にいられなくなるよ。そんなの、私は嫌だよ!」
 涙ながらに伝えると、伊織くんは度肝を抜かれたような顔になった。

「好きだもん……伊織くんのこと、私好きになっちゃっただもん。盗聴されてても、監視されてても、無理矢理キスされたり、体を触られても、君とならいいやって思っちゃうんだよ。大好きなんだから」
 勢い余り、私は告白をしてしまい、頭が真っ白になった。

「詩織……! 僕も愛している!」
 嬉しそうに伊織くんは私を抱きしめて、軽々と持ち上げた。
 殴られて虫の息の男は逃げようと地面で這いつくばっていたが、伊織くんは私を丁寧に地面へ置いた。
 手が空いた伊織くんは闇が孕んだ目で男を腹を殴り、気絶させていた。

「さぁ、詩織。ちょっと、待っててね。この男を警察に突き出さないと」
「えっと、いや……そうしたら、伊織くんが困っちゃうんじゃ」
「婦女暴行しようとした男だ。他にも前科があるはずだよ。それに、僕はあの財前財閥の御曹司だ。権力でどうにでもなるよ。この男の証言を誰が信じるのかな」

 やはり目が笑っていない伊織くんはスマホでどこかへ電話していた。
 数分後に黒服を着た男たちが到着して、男をどこかへ連れ出してしまった。

「えっと、警察に突き出すんじゃ」
「警察より、もっと苦しい目に遭わせないとね。警察へ行けないようにすれば、いいでしょ。それに、もう今回のことで君へは手出ししてこないはずだから。ちゃんと、あいつを始末しておけばよかったな」
「犯罪に触れることじゃないよね」
 そう聞きながらも、伊織くんならやりかねないと思って聞いた。

「どうだろう? 詩織が嫌なら、少し話し合うだけにしておくよ」
「そっちの方がいいかな。伊織くんのためにも」
「僕のため? やっぱり、詩織は優しいなぁ」
 頬が緩んだ伊織くんは私を離さないようにしばらく膝をついて、強く強く抱きしめた。
 彼の気が済むと、私は姫抱きで抱えて歩き出した。
 彼に連れていかれるまま、止められていた車に乗り込んだ。
 私たちはどこかへと向かっていた。

「どこへ向かってるの?」
「プリンセスホテルだよ。部屋も取っているよ」
「それは、いいの?」
「君の両親には許可を取っているよ。学生が終わるまでは避妊するなら、お泊りもしていいって」
「伊織くんって、本当に信頼されてるね」
「君と結婚するためなら、僕は自分さえも偽るよ。嫌なことだってする。だって、君を愛しているからね」
 彼の目に闇が孕んでいそうだったが、その愛も嫌じゃなかった。
 むしろ、私にだけその愛を向けていてほしかった。
 彼の首に腕を回して、唇を重ねると彼は驚いていたが、嬉しそうに微笑んだ。

「君をもう離さない」
 車の中で私たちは指を絡め合い、抱き合い、そして長いキスをした。
 彼の重すぎる愛に負けないために、私は私の生き方を見つける必要がある。だけど、今はこの幸せを享受していきたいと思った。
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