野いちご源氏物語 第三巻 空蝉(うつせみ)
源氏(げんじ)(きみ)女君(おんなぎみ)をいまいましく思って、お手紙も差し上げなくなった。
でもずっとお心にかかりつづけているの。
ご自分が拒否されるなんて許せないご性格なのよね。
(あきら)めたようにひとつため息をおつきになって、小君(こぎみ)に、
「おまえの姉上はあまりに冷たいから忘れてしまおうと思ったが、どうしても忘れられない。お会いできるよう計画しておくれ。」
とおっしゃった。

小君は前回のことで()りていたから、ちょっとためらったわ。
でも、こんなことででも源氏の君が自分を頼ってくださったことがうれしかったの。
幼心(おさなごころ)に、
「どんなときを(ねら)ったらうまくいくだろう」
と機会を待っていた。

紀伊()(かみ)が仕事で地方に出かけた。
「今だ」と小君は思ったわ。
男の家来(けらい)たちの多くは紀伊の守のお(とも)をして出払(ではら)っている。
屋敷は女たちばかりで、警戒心(けいかいしん)も薄いの。
小君は自分の乗り物に源氏の君をお乗せすると、夕暮れにまぎれて紀伊の守の屋敷に向かった。

源氏の君は、
「年齢よりしっかりしているが、それでもまだ幼い子どもだ。大丈夫だろうか」
とご心配なさったけれど、この機会を逃すわけにはいかない。
一番人目(ひとめ)につかない門から乗り物のまま入って、源氏の君は屋敷の縁側(えんがわ)までたどり着かれた。
少し残っていた警備(けいび)の男たちも、幼い小君の乗り物にわざわざ近づいてあいさつなどしなかった。

源氏の君はなるべく目立たない格好(かっこう)をなさっている。
小君は源氏の君を廊下(ろうか)(はし)にお待たせして、自分はわざと大きな声で女房(にょうぼう)たちに話しかけながら部屋に入った。
「こんなに暑いのに、どうして戸を閉めきっているの」
女房は、
「紀伊の守の妹君(いもうとぎみ)が、お昼からこちらの建物にお()しなのです。外からご様子が見えてはいけませんから。奥様と囲碁(いご)をして遊んでいらっしゃいますよ」
と答える。
紀伊の守の妹は継母(ままはは)である女君になついていて、となりの建物から(わた)廊下(ろうか)を通って気楽に遊びに来るのね。

このやりとりを聞いた源氏の君は、小君が入っていった方にこっそりと近づかれた。
「あの人と、あの人の継娘(ままむすめ)という人が見られるかもしれない」
(のぞ)いてごらんになる。
部屋の中央に女君はいらっしゃった。
(あか)りの近くにむこう向きで座っていらっしゃる。
濃い紫色のお着物の、小柄(こがら)な後ろ姿が見えるけれど、なんとなく地味な感じがされた。

囲碁の対戦相手はこちら向きに座っていた。
「あれが継娘か」
とご覧になる。
女君は継娘にもお顔を見せないよう上品に気を(つか)っていらっしゃった。
やせた手首を恥ずかしそうに着物に隠そうともなさっていたわ。

一方の継娘は、赤紫色の着物も下に着た薄い着物もはだけて、胸が丸見えになってしまっている。
暑いのは分かるけれど、ひどい格好(かっこう)だわ。
でもね、色が白くて肌がつやつやしているの。
華やかな顔立ちで(まゆ)口元(くちもと)愛嬌(あいきょう)があって、しかも髪も豊かだから、いわゆる男性が好む容姿(ようし)ね。
源氏の君も「なかなか魅力的(みりょくてき)な娘だ」とお思いになったみたい。
もう少しお(しと)やかさがあれば、さらによかったのだけれど。

囲碁は女君が勝った。
継娘は(くや)しがりながらも楽しそうに笑っている。
多少(さわ)がしいのも若い娘らしくてよいと言えなくもないけれど、やはりもう少し品がほしいわね。
あら、口うるさい年寄りみたいになってしまったかしら。

源氏の君は(いと)しい女君をじっとご覧になった。
むこう向きな上、口元を隠していらっしゃるからはっきりとは見えないけれど、それほど美人ではないかもしれない。
継娘が若くて愛嬌のある人だから、余計にかすんでしまうのね。
ただ、落ち着いた品の良さは段違いだと見比べていらっしゃった。
とはいえ源氏の君だもの。
継娘のことも、「あれはあれで魅力がある」と思っていらっしゃったわ。

源氏の君はこれまで、奥様や恋人たちのくつろいだ姿というのをご覧になったことがなかったの。
源氏の君の前でのんびりくつろぐなんて、誰だって無理よね。
当時、(のぞ)()はよくあることで、覗き見だからこそ、こういう女性の日常をご覧になれたのよ。
「このままずっと見ていたいけれど、なんだか後ろめたい気もする」
なんて思っていらっしゃった。
源氏の君にも初々(ういうい)しいころがおありだったのね。
小君が部屋から出てくる気配(けはい)がして、源氏の君は急いで元いた場所にお戻りになったわ。
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