のらねこのんちゃん【完】
のらねこのんちゃん

 ぼくはのんた。
 来年十歳になる、長毛種の黒猫だ。
 けど種類とかは知らん。元野良猫だからね。
 今、日当たりのいいリビングの窓際のソファの上で寝て――ごほん、ニャルソックをしている。
 そしてぼくとは別のソファにいるのが、ぼくが連れて来たこにゃと、その母猫のはなさん。丸い爪とぎを寝床にしている二匹は同じときにはなさんから生まれた兄妹猫のめろんくんといちごちゃん。そして人間たちのテーブルの上で牛乳を飲んでいるのが、はなさんの末っ子のベリーくんだ。
 ぼくがこの家にやってきたのは十年前。
 ぼくは野生で生まれて野生で生きる運命だった。
 ……はずなんだけど、お腹が空いていた子猫の頃。食べるもんないかなーとてちてち歩いていた冬の山の中で、なんだか半分透けたおじーさんと出会った。
 おじーさんは自分のことを『じい様』と呼んで、飼っていた猫や犬の話を一方的にした。
 ぼくは、話すのもいいけどご飯くんないかな、と、話半分で聞いていた。
 じいさまの話によれば、今はうみさんというマダム猫さんと、かいとさんという犬さんがいるらしい。
 僕は山の中の土の上に座りながら、右手をあげた。
『じい様はなんで半分透けてるの? ぼくのこと撫でてもいいんだよ? ぼく可愛いから』
『じい様はもうしんでるから触れないんだ。そうだ黒猫さん、じいさまの代わりにあの家に行ってくれんか。みんな悲しんでると思うんだ』
『ふーん? ご飯食べられる?』
『食べられるとも。うみさんのご飯を分けてもらうといい。じいさまの娘も孫も猫大好きだからね。ばあさまは猫好きじゃないけど、媚び売っときな』
『へー』
 ってわけで、僕は畑の中の一軒家のドアの前で鳴いた。ご飯ちょーだいって。
 そしたら人間がたくさんいた。ぼくちょっとびっくりした。こんなにたくさんの人間を見るのは初めてだ。
 なんでも、あの半分透けたじい様のお葬式の準備をしていたらしい。
『あー、田舎の葬式はこうだからまあ気にすんな』
 人間がたくさんいてびっくりしたぼくに、半分透けてるじいさまが言った。なんかじいさま、ぼくといっしょに歩いてきてた。
 その日ぼくは一軒家の庭で、人間からご飯をもらって食べた。めちゃくちゃ食べた。お腹空いてたからね。久しぶりにお腹がふっくりしたよ。
 ふ~、といっぱいになったお腹をさする僕を、何人かの人間たちが微笑ましそうに見ていた。わかるよ、ぼく可愛いからそういう顔になるよね。
 かいとくんは庭にいて、ぼくのこと興味津々って感じで見て来たよ。ぼくから「やあ」と手をあげると、尻尾をぶんぶん振っていた。ただ、この日はうみさんと面会する前だったから、かいとくんと接触することは控えておいた。猫の世界、順番って大事だから。
 それからぼくは、この家の庭にいるようになった。畑の中の一軒家は、なんか、小屋?  みたいなのもあって、その中は物がたくさんあったから寝る場所も寒さをしのぐ場所もたくさんあった。
 うみさんとは警らから帰ってきた日に対面して、ぼくにご飯をわけてくれることを許してくた。そしてお腹が空くとうみさんにおねだりすれば、ぼくにご飯をくれるように人間に言ってくれた。
 人間はぼくを猫かわいがりした。ぼくはごく自然にこの家にいついた。
『じい様~』
 すごいいい笑顔で半分透けてるじいさまに尻尾を振っているのはかいと先輩。
 ぼくもご挨拶は済ませている。
 今年、兄弟わんこさんを病気で亡くしてしまったらしい。
 半分透けてるじいさまが手の恰好だけで撫でると、かいと先輩は嬉しそうな顔をする。かいと先輩、犬が良すぎるな。
『坊、今日はご飯はもらったのですか?』
『あ、おかあさま!』
 ぼくがおかあさまと呼ぶようになっていたのは、この家のマダム猫のうみ様だ。
 家族猫もいたらしいけど、家出してしまったらしい。
 生きてたら色々あるよね。
『あら、毛が整っていませんわね。毛繕いは入念になさい』
『は、はい!』
 おかあさまは身だしなみにめちゃくちゃ厳しかった。慌てて毛繕いをする。う……ぼく、毛が長いから苦労するんだ……。
『わたくしの子どもたちも、今は子どもいるかもしれませんわね。わたくしもおばあです』
『そうなんですか。ぺろぺろ』
 ぼくを見ながら呟くおかあさまに、ぼくは毛繕いをしながら返事をする。
 おかあさまの子どもたちは、それぞれ新しい家にもらわれていったそうだ。
「あれ? うー様、黒ちゃんはここにいてもいいの?」
 人間が家から出てきた。ぼくは半分透けてるじいさまの連れ合いを、人間その一、その娘を人間その二、さらにその娘を人間その三と呼んでいる。
 今出てきたのは人間その二だ。
『ええ、この子はいいです。わたくしも受け入れます』
 人間その二がぼくとおかあさまの前にしゃがみこんだ。
「可愛い黒猫だよね。うー様の妹かな?」
『え?』
『ぼ、ぼく女の子だったの!?』
「うち、長毛種初めてだな~」
 ぼくとおかあさまを撫でまわす人間その二。どうやらぼくは毛が長いからおちりで判断出来なかったらしい。
 ぼくは男の子だ。
「のらねこのんちゃんかな?」
『………』
『………』
 ぼくやおかあさまが訂正しても、人間には言葉が通じないことはわかっている。
 だからぼくとおかあさまは顔を見合わせた。
 半分透けてるじい様が訂正してくれないかなー、とも思ったけど、しんでしまうと生きてる人間とは話せないらしい。
 ――そんな僕の救世主は、この家のお隣の家のマダムだった。猫の達人らしい。
「この子オスだよ」
「えっ、女の子だと思ってた~」
 という会話が、お隣のマダムと人間その二の間で交わされたのだ。
 お隣と言っても畑の中の一軒家だから、お隣の家まで僕の足で五分かかるんだけどね。
「じゃあ、のんただ!」
 大して変わらなかった。
 ――そんなこんなで、ぼくはのんたとして生きていくことになった。
 うみおかあさまの養子になって、ぼくは存分に長毛種を発揮した。
 この家は捨てられた猫ばかりを飼っていたらしい。でもおかあさまは新しい子を受け入れなくて、ぼくは例外だったとか。
 半分透けたじい様は、しじゅうくにち? が終わったら見かけなくなった。
 ぼくの兄貴分となったかいと先輩にどう思っているのか訊くと、にこにこと答えてくれた。
『夏にある「おぼん」っていう行事のときは帰ってくるよ。それにじい様のお墓はめっちゃ近いから、僕は毎日お散歩で連れて行ってもらってるんだ。のんたくんも今度行ってみる?』
『かいと先輩の兄貴もそこにおるん?』
『いるよ~。むーやんはじい様に散歩紐持たれてるから、じい様がお墓から出歩くときは一緒に歩いてるんだ』
 かいと先輩の兄貴は『むー』さんというらしい。むーの兄貴だな。
『うん、今度ぼく、行ってみる』
 野良猫ばかりを飼っていた家だから、猫を完全な室内飼いにはしていなかった。ぼくもおかあさまも家の中と外を行ったり来たりしている。
 ぼくは気づけばひとりで山の中にいたから、ぼくにきょうだいや親がいるかはわからない。どこで生まれたかも覚えていない。
 今度、この辺りを探検してみようかな。
 ……とかなんとか軽い気持ちで家を出たら。
『ここ……どこ―――!?』
 端的に言おう。迷子になった。
 ……いや別にカッコつけて言うセリフでもないんだけど、カッコぐらいつけなくちゃ頭を冷静に保てないと言うかさ。っていうかもう俺って言うぞぼく。ぼくだって成長してるんだし、俺になる段階ってあるよね。
『って、そんなこと考えてる場合じゃなーい!! 早く帰らないとおかあさまに怒られる! 人間たちに愛想つかされる! かいと先輩泣いちゃう! ど、どこだっけっ……!?』
 うち! ……うち……。あれ、なんでぼく、あの家にいられたんだっけ?
 ぼくってぽっと出の、どこの馬の骨かもわからない猫だし。あ、うん、馬じゃなくて猫なんだけど、おかあさまだってかいと先輩だって自分の家族がいるのにぼくにはいないじ、人間だぢはぼくを猫かわいがりするけどぼく猫だからぞういうもんかもじれないじ、……ぼく、帰らない方がいい……?
『……ぼく、いらなかったかなぁ……』
『のんた! しっかりしろ、のんた!』
『……え?』
 大きな声で呼ばれて顔をあげると、山の中ではなく大きな川をしょったじい様がぼくを見下ろしていた。焦った顔で早口に言う。
『なんでお前みたいなちびがここに来ちまうっ。ここは彼岸と此岸だぞっ』
『じ……さま……?』
 のろのろ、とぼくは体を起こす。なんか力が入らない……体が重い……。
『家の方にお前の姿がないと思ってたら、どこほっつき歩いてたんだ。しかもこんなとこに来ちまうなんて……』
『ひがん? しがんって、ここどこ……?』
 ぼく、山の中を迷ったと思ってたのに。
『ええと、あの世だ』
『あの世……ええええっ!? ぼく、しんじゃったの……!?』
 あの世って、あれだよね? えんまさまがさいばんするっていう、あの恐ろしいあたかの関所……!(混乱)
 じい様は軽く息をついた。
『まだ完全にはしんでないけどな。さっさと戻らないと帰れなくなるから、さっさと帰れ』
 じい様が、あっちだ、と光が見える方を指さした。
『……』
 けどぼくは、すぐに走り出すことは出来なかった。
『なんだ、どうした』
『ぼく……帰らない方がいいじゃない……?』
 迷子になってから心の中にもやもやしていたものを、じい様に言った。
『なんでだ。うちが嫌だったか?』
『……みんなの方がいやだと思う。ぼくみたいなどこの馬の骨とも知れないやつがいると』
『気にするこたぁねえと思うけどなあ。じい様の家族は、うちに迷い込んできた犬でも猫でも飼ってたからよ。じい様が間違って犬逃がしちまったときは、孫にガチで怒られたもんよ』
 う……そう言われると……みんな優しいし、ご飯くれるし、撫でてくれるし……。
『そ……うみたいだけど……』
『ほかにもなんかあんのか?』
 じい様が膝を折ってぼくを見てくる。
『……おかあさまもかいと先輩も、血のつながった家族がいる。ぼくだけそういうの、ない』
『血のつながりが不安か?』
『……うん』
『気にするこたぁねえよ。血がつながっていようがいまいが、合わない奴はとことん合わねえ。逆に、血縁でなくても合うやつはいる。のんたは、うちが嫌いか?』
『嫌いじゃないよっ』
 それは断言できる。ぼくはあの家が好きだ。
『なら、それだけでいい。ほら、とっとと帰れ』
『え? じいさま、わーっ! 何これー! ………』
 じい様が示していた光がぼくを飲み込んだ。ばいばーい、と笑顔で手を振るじい様の姿が見えた直後、まぶしすぎて何も見えなくなった。
 ……そして気づいたら、半分透けたじい様と初めて会った山の中。
「か、帰らなくちゃ……!」
 前はじい様が一緒に歩いた道を、ぼくひとりで駆ける。
 血のつながりがないからとか、考えたらきりがない。
 でもぼくはあの家が好きで、おかあさまもかいと先輩も、人間たちも好きだ。
「のんたー! 出ておいでー!」
「のんちゃーん!」
『ぼくだよー!』
 山を飛び出して山の中の一軒家に向かうと、人間たちがぼくを探しまわっていた。
「のんちゃん!」
「どこ行ってたのー!」
『ごめん! ぼく、ひとり旅に出てた!』
「心配したよ! 二週間もいないんだから!」
『に、にしゅうかん……!?』
 ぼく、そんなに旅に出てたの!?
「はい、帰ろ。お腹空いてるでしょ?」
『う……ご飯食べるー!』
 ぺこぺこだあ。なんだったらぼく、二週間食べてないってことだ。ということはぼく、お腹が空きすぎてしにかけたの……? ちょっと恥ずかしい……。人間に抱っこされたまま一軒家の庭に来ると、おかあさまとかいと先輩がいた。おかあさまからばっちりお説教をされて、かいと先輩はぼくを見て泣いていた。
 ごめんなさい。
 ――ぼくがじい様の代わりに、この家を見守っていかなくちゃ。そう決めたのは、ぼくがまだ一歳にも満たない頃。
 そして数年後、ぼくがノラちゃんだったこにゃさんを気に入って連れてきたら、こにゃさんがはなさんを連れてきて、人間たちが受け入れて家の中に入るようになって、はなさんはめろんくんといちごちゃん、ベリーくんを産んだ。
 人間のことも、その一を『ばっぱ』、その二を『おかあちゃん』、その三を『おねえちゃん』と呼ぶようになった。『おとうちゃん』と『おにいちゃん』、おにいちゃんの『およめさん』もいる。
 もう、血縁なんて気にしてない。みんなぼくの大事な家族だ。
 ――ちなみにぼくが二週間の旅から帰ったあと、ぼくはじい様の人となりを聞く機会があった。
「俺様」
「年末になると事故で入院する」
「警察のお世話になったことはないけど、地元のおまわりさんに『この町で五本指に入る問題児』って言われてた」
 え……ぼく、じいさまの代わりをするって決めちゃったのに……嘘だー!



+++



「よかったよかった。のんた、ちゃんと帰れたな」
「じい様、冷えます。そろそろ戻りましょう」
「おお。むーさんも心配してたから、安心しただろ」
「のんたくんなら、かいとくんの傍にいてくれるとわかるので大丈夫です」
「むーさんも会っておけばよかったのに」
「いずれ」
「お堅いなあ。じゃあ、帰るか。むーさんはそろそろ生まれ変わらないのか?」
「もう少し……見てからで」
「そうか。じゃあな、みんな。のんたをよろしく」



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