秘密の担当君。一夜限りの恋人契約――あなたに貢がせてください
二夜 ブリキの涙
夜が深まり、ホストクラブ「プラチナムローズ」の扉が開かれる。煌びやかなシャンデリアの光が店内を包み、非日常的な空気が漂う中、一組の女性客が入店してきた。派手な服装の友人に連れられて来店したその女性――カリナは、どこか落ち着かない様子で周囲を見回していた。
「ねえ、ここすごいじゃん!ほら、あんたも楽しみなよ!」
友人はテンション高く声を掛けるが、カリナは微笑むだけでどこかぎこちない。38歳という年齢もあり、周りの若い女性客たちと自分を比べてしまうような気恥ずかしさを感じていた。
「初めてなんですけど……こういう場所って慣れなくて」
そう呟くカリナに気づいたスタッフが、月麗を呼び寄せた。
「お待たせしました。月麗です。隣、ご一緒させていただきますね」
柔らかな笑顔で挨拶する月麗。その自然体な雰囲気に、カリナは少し緊張を解いたようだった。
月麗はカリナの隣に座ると、まず軽く自己紹介をしながらお酒を注いだ。その所作は無駄がなく、優雅で洗練されている。
「初めてなんですね。緊張……しますよねっ!でも大丈夫ですよ。ここでは自由に楽しく過ごしてもらえればそれでいいんです」
その言葉にカリナは小さく頷きながら、「でも……私みたいなのが来てもいいのかな」と呟いた。
「もちろんですよ。むしろ僕はカリナさんみたいな方とお話するのが好きです」
月麗はそう言いながら軽く笑った。その言葉には一切の嘘やお世辞が感じられず、カリナも少しずつ心を開いていった。グラスを持ってカリナにもグラスを持つように、ジェスチャーで促す。グラスの口を少し下の位置からくっつける。キンッと音がして、微笑みかける。
「これ、なんで下の方からグラスを近づけるのかわかります?」
「なんでしょう?上下関係の現れでしょうか?下の人は下からとか?」
「この場では、上下関係なんてあるんですかね?これから一緒に楽しくお話しようっていうのに、上下関係なんてあったら面倒くさい気がします」
「確かにそうですね、では何故、グラスを合わせるのに、上からとか下からとかあるんでしょうか」
月麗は少年のような微笑みをカリナに向ける。
「わっかりません!」
「えっちょっと」
先ほどまで強張っていたカリナの顔に笑顔が見えた。
「でも、こうしないと怒っちゃう人も居ますからね、グラスを当てる部分でその後の人間関係なんて変わりゃしないのに……こういうの気にしない関係が良いと思っちゃいます。だから――」
「こうしちゃいます」
そういうと月麗はカリナの持つグラスと同じ高さでグラスを合わせ、キンッと音を鳴らす。
「こっちの方が良い音が鳴る気がします。さっ、このドリンクはセットの中に含まれているから、一緒に吞んでください」
「そうですね、じゃあ、いただきますっ!」
カリナのドキドキと高鳴る鼓動は、グラスの音が鳴ると共に落ち着きを取り戻し、月麗とのひと時を楽しむ準備を整えた。
会話が進む中で、カリナは自分の家庭について少しだけ語り始めた。18歳で結婚し、20年近く夫婦生活を送ってきたこと。夫は上場企業に勤めていて経済的には何不自由ない生活を送っていること。
「最近、なんだか旦那との会話も減っちゃって……マンネリというか、お互いに興味が薄れてる気がするんです」
その言葉には寂しさと諦めが混ざっていた。月麗は静かに頷きながら彼女の目を真っすぐ見つめて話を聞き続けた。
その夜の接客時間が終わりに近づくと、月麗は名刺を差し出した。
「もしまた来たいと思ったら、この名刺を使ってくださいね。僕で良ければいつでもお話聞きますから」
その言葉にカリナは少し驚いた表情を見せたが、小さく微笑みながら名刺を受け取った。そしてその夜はそれ以上深い話をすることなく終わった。
数日後、月麗のスマホに一通のメッセージが届いた。
「先日いただいた名刺から連絡しました。もし可能なら相談に乗っていただきたいです。次回指名したいと思っています――カリナ」
そのメッセージを見た月麗は遠くの方を見つめ、少し考え込んだ後、「もちろんです」と返信した。その瞳はそこに見えない何かを睨みつけるように決意を光らせていた。そして約束の日、再び「プラチナムローズ」で二人は顔を合わせることになった。
指名された月麗がテーブルに着くと、前回よりも少しだけ落ち着いた様子のカリナがそこにいた。しかし、その目にはどこか影が宿っているようだった。
「こんばんは、連絡ありがとうございます。楽しみにしていました。で、早速ですがその顔、何か僕に話したいことがありそうです」
月麗が優しく問いかけると、カリナはため息混じりに口を開いた。
「実は……旦那との関係が最近ますます冷たくなってきてる気がして……」
そう言いながら語り始めたカリナの話には深い孤独感が滲んでいた。子供には恵まれず、そのことで夫との間にも微妙な距離感が生まれていること。そして義両親との関係もどこかぎこちなく、自分だけ取り残されているような感覚。
「もう何年もこんな感じなんです。でも誰にも相談できなくて……」
そう語るうちにカリナは涙ぐみ始め、そのまま静かに泣き出してしまった。
月麗は慌てることなく、おしぼりを差し出しながら静かに語りかけた。
「辛かったですね。でもこうして僕に話してくれたこと、とても嬉しいです」
その言葉には一切の偽りもなく、ただ純粋に彼女の気持ちに寄り添う温かさがあった。そして続ける。
「でもね、ここでは無理して強がらなくてもいいんですよ。この時間だけでも、自分自身のために使ってください」
その言葉にカリナは小さく頷きながら涙を拭った。そしてこう呟いた。
目の前に置かれたグラスには一切手を付けられておらず、グラスの中の氷だけが溶けて小さくなっている。その琥珀色の液体越しに映る彼女の瞳には、小さな光――それは彼女自身も気づいていない涙だったかもしれない。
しかし、会話の最中、月麗がホストとしての仕事を全うしていた事にカリナは気づいていない。証拠に、そのグラスには水滴一つ付いていなかった。
「本当にありがとうございます……こんな風に話せる相手なんて今までいませんでした」
その言葉に月麗は静かに微笑んだ。そして、ふとグラス越しに彼女の瞳を見る。そこには小さく揺れる光――それは彼女自身も気づいていない涙だった。
「ここでは何も背負わなくていいんですよ。ただ、この時間だけでも楽しんでください」
右手を胸の前に置き、左手の先でテーブルの上のグラスを差す。そこにはさっき注いだばかりのように、綺麗に注がれているウィスキーが店内の照明で照らされている。
「それでは」と月麗が一言言うと、グラスを同じ高さに持ち上げた。その瞬間、グラス越しに映ったカリナの瞳には、一瞬だけ揺れる光が見えた。月麗はその光景を胸の奥深くへそっとしまい込みながら、小さく微笑む。そして――キンッという音だけが店内に響いた。
月麗は彼女の瞳に写る光を見て思った。「ブリキのおもちゃでも涙を流すことはある。それはただ、一時的な夢の中だから」
「ねえ、ここすごいじゃん!ほら、あんたも楽しみなよ!」
友人はテンション高く声を掛けるが、カリナは微笑むだけでどこかぎこちない。38歳という年齢もあり、周りの若い女性客たちと自分を比べてしまうような気恥ずかしさを感じていた。
「初めてなんですけど……こういう場所って慣れなくて」
そう呟くカリナに気づいたスタッフが、月麗を呼び寄せた。
「お待たせしました。月麗です。隣、ご一緒させていただきますね」
柔らかな笑顔で挨拶する月麗。その自然体な雰囲気に、カリナは少し緊張を解いたようだった。
月麗はカリナの隣に座ると、まず軽く自己紹介をしながらお酒を注いだ。その所作は無駄がなく、優雅で洗練されている。
「初めてなんですね。緊張……しますよねっ!でも大丈夫ですよ。ここでは自由に楽しく過ごしてもらえればそれでいいんです」
その言葉にカリナは小さく頷きながら、「でも……私みたいなのが来てもいいのかな」と呟いた。
「もちろんですよ。むしろ僕はカリナさんみたいな方とお話するのが好きです」
月麗はそう言いながら軽く笑った。その言葉には一切の嘘やお世辞が感じられず、カリナも少しずつ心を開いていった。グラスを持ってカリナにもグラスを持つように、ジェスチャーで促す。グラスの口を少し下の位置からくっつける。キンッと音がして、微笑みかける。
「これ、なんで下の方からグラスを近づけるのかわかります?」
「なんでしょう?上下関係の現れでしょうか?下の人は下からとか?」
「この場では、上下関係なんてあるんですかね?これから一緒に楽しくお話しようっていうのに、上下関係なんてあったら面倒くさい気がします」
「確かにそうですね、では何故、グラスを合わせるのに、上からとか下からとかあるんでしょうか」
月麗は少年のような微笑みをカリナに向ける。
「わっかりません!」
「えっちょっと」
先ほどまで強張っていたカリナの顔に笑顔が見えた。
「でも、こうしないと怒っちゃう人も居ますからね、グラスを当てる部分でその後の人間関係なんて変わりゃしないのに……こういうの気にしない関係が良いと思っちゃいます。だから――」
「こうしちゃいます」
そういうと月麗はカリナの持つグラスと同じ高さでグラスを合わせ、キンッと音を鳴らす。
「こっちの方が良い音が鳴る気がします。さっ、このドリンクはセットの中に含まれているから、一緒に吞んでください」
「そうですね、じゃあ、いただきますっ!」
カリナのドキドキと高鳴る鼓動は、グラスの音が鳴ると共に落ち着きを取り戻し、月麗とのひと時を楽しむ準備を整えた。
会話が進む中で、カリナは自分の家庭について少しだけ語り始めた。18歳で結婚し、20年近く夫婦生活を送ってきたこと。夫は上場企業に勤めていて経済的には何不自由ない生活を送っていること。
「最近、なんだか旦那との会話も減っちゃって……マンネリというか、お互いに興味が薄れてる気がするんです」
その言葉には寂しさと諦めが混ざっていた。月麗は静かに頷きながら彼女の目を真っすぐ見つめて話を聞き続けた。
その夜の接客時間が終わりに近づくと、月麗は名刺を差し出した。
「もしまた来たいと思ったら、この名刺を使ってくださいね。僕で良ければいつでもお話聞きますから」
その言葉にカリナは少し驚いた表情を見せたが、小さく微笑みながら名刺を受け取った。そしてその夜はそれ以上深い話をすることなく終わった。
数日後、月麗のスマホに一通のメッセージが届いた。
「先日いただいた名刺から連絡しました。もし可能なら相談に乗っていただきたいです。次回指名したいと思っています――カリナ」
そのメッセージを見た月麗は遠くの方を見つめ、少し考え込んだ後、「もちろんです」と返信した。その瞳はそこに見えない何かを睨みつけるように決意を光らせていた。そして約束の日、再び「プラチナムローズ」で二人は顔を合わせることになった。
指名された月麗がテーブルに着くと、前回よりも少しだけ落ち着いた様子のカリナがそこにいた。しかし、その目にはどこか影が宿っているようだった。
「こんばんは、連絡ありがとうございます。楽しみにしていました。で、早速ですがその顔、何か僕に話したいことがありそうです」
月麗が優しく問いかけると、カリナはため息混じりに口を開いた。
「実は……旦那との関係が最近ますます冷たくなってきてる気がして……」
そう言いながら語り始めたカリナの話には深い孤独感が滲んでいた。子供には恵まれず、そのことで夫との間にも微妙な距離感が生まれていること。そして義両親との関係もどこかぎこちなく、自分だけ取り残されているような感覚。
「もう何年もこんな感じなんです。でも誰にも相談できなくて……」
そう語るうちにカリナは涙ぐみ始め、そのまま静かに泣き出してしまった。
月麗は慌てることなく、おしぼりを差し出しながら静かに語りかけた。
「辛かったですね。でもこうして僕に話してくれたこと、とても嬉しいです」
その言葉には一切の偽りもなく、ただ純粋に彼女の気持ちに寄り添う温かさがあった。そして続ける。
「でもね、ここでは無理して強がらなくてもいいんですよ。この時間だけでも、自分自身のために使ってください」
その言葉にカリナは小さく頷きながら涙を拭った。そしてこう呟いた。
目の前に置かれたグラスには一切手を付けられておらず、グラスの中の氷だけが溶けて小さくなっている。その琥珀色の液体越しに映る彼女の瞳には、小さな光――それは彼女自身も気づいていない涙だったかもしれない。
しかし、会話の最中、月麗がホストとしての仕事を全うしていた事にカリナは気づいていない。証拠に、そのグラスには水滴一つ付いていなかった。
「本当にありがとうございます……こんな風に話せる相手なんて今までいませんでした」
その言葉に月麗は静かに微笑んだ。そして、ふとグラス越しに彼女の瞳を見る。そこには小さく揺れる光――それは彼女自身も気づいていない涙だった。
「ここでは何も背負わなくていいんですよ。ただ、この時間だけでも楽しんでください」
右手を胸の前に置き、左手の先でテーブルの上のグラスを差す。そこにはさっき注いだばかりのように、綺麗に注がれているウィスキーが店内の照明で照らされている。
「それでは」と月麗が一言言うと、グラスを同じ高さに持ち上げた。その瞬間、グラス越しに映ったカリナの瞳には、一瞬だけ揺れる光が見えた。月麗はその光景を胸の奥深くへそっとしまい込みながら、小さく微笑む。そして――キンッという音だけが店内に響いた。
月麗は彼女の瞳に写る光を見て思った。「ブリキのおもちゃでも涙を流すことはある。それはただ、一時的な夢の中だから」