甘味と君には蕩けない
潮騒の来客
西日本のとある地方の海街に、先月開店した喫茶店【純喫茶モモセ】は、漁港に近い、海を望める閑静な商店街の一角にちょこんと佇んでいる。
【純喫茶モモセ】の外観は、パッと見ると酒蔵にしか見えなくて、外壁に大きく店名を書いた暖簾をかけてあるおかげで、ここが『純喫茶』とわかるくらいで。
常に新鮮な潮風の香りが舞い上がるこの場所で。店の前で鼻を動かすと、潮風に混じって、なんとも芳ばしい珈琲の香しい香りが鼻腔をくすぐる。
純喫茶モモセの開店は昼間十二時のランチタイムから。それでも、店主である百瀬実由は、少しでも早く立派な純喫茶オーナーになりたくて、朝も早い五時から一人修行をしているのです。
朝日のほんのりと射す厨房では、私、百瀬実由が新作メニューの材料を並べて、食材とにらめっこ。調理方法を考えたら、素早く調理にとりかかります。
厨房には、食材が料理された美味しい薫りが立ち込めているのです。
で、この海街に店を開店してからというもの、毎朝六時になると、私の胸をざわつかせる出来事があり。
『やっほー!おはよー!!実由ちゃん、今日も元気だね!』
前に戸締まりしてた時に、ドアをガチャガチャとしつこくやられたので、今ではもう観念して諦めたので、ドアは開けている。
ちゃっかり者の野良猫みたいにしなやかに、その男はテーブル席のあるホールから厨房へと歩み寄って来る。
コツコツと上質な深い琥珀色のモンクシューズの踵を鳴らして歩み寄って来る。
「あら、おはようございます。」
この男に、突っぱねるようにする朝の挨拶が、私の日課となってしまった。
私の変わらぬツンケンとした態度にも怯まず、図々しく恭しく、その男はニカッと白過ぎる整った歯並びを私に向けてくるのだ。
「おはよ、実由ちゃん♪」
「相変わらず、ほぼ無職だと馬鹿みたいに元気なんですね、羽方さんは。」
「もー。羽方さんなんて他人行儀に言わないのっ!俺のことはちゃんと、南紀くんって呼んでって言っとるやん。」
そう、このほぼ無職男は、名前を羽方南紀という。
『ほぼ無職』なのは、これでも一応、小説家なのだと、自称だが南紀君が言うからだ。南紀君の証言を信じて、私は尊重してあげて『ほぼ無職』と南紀君を認識している。
ほぼ無職の南紀君は、生意気にも最新モデルのパソコンを、素のままで小脇に抱えて毎朝やって来る。
前に南紀君が、パソコンで作業してるところを覗いたけども、これまた最新ソフトらしきソフトで、小説っぽい文書を綴っていた。
【自分が頼めば通して貰える】という横暴さと、【自分が無条件に愛されている】という図々しさと。
羽方南紀という男。素性を隠しているだけで、どうせ、【何処かの大金持ちの子息】であることくらい明け透けに見えている。
店の休店日の時に、自室で寛ぎながらスマホで片手間に調べたら【羽方海運株式会社】という、それらしき大企業が出てきた。馬鹿息子な南紀君の御父様らしき、羽方海運株式会社会長の威厳ある写真が企業ホームページに堂々と映えている。チャラチャラした南紀君とは正反対の、オールバックに整った髪に銀縁眼鏡に澄ましたお顔の好印象あるおじ様だった。
もし、南紀君が大企業の御曹司であるならば。
開店から一月経った今ならば、今日こそは、南紀君に言わなければならない。
新作メニューの調理を終えた私は、いつの間にかテーブル席に座して、のんびりと朝御飯を待つ馬鹿南紀君の方へと向かった。
自然と朝御飯プレートを運ぶ足が早足になる。
私はつっけんどんに、朝御飯プレートを南紀君の目の前に置いた。
そしてすかさず、南紀君の眼前に請求書を提示してあげた。
「南紀様、朝御飯の前にこちらを御支払頂きたいのですが。」
金額にして、十万円を超えている。南紀君は何時も食べ過ぎなのだ。そして、阿保みたいに電気代がかかっている。そして、何時も『出世払いで。』と、ツケにしてきたのだ。
もし、南紀君の身元が羽方海運株式会社の御曹司ならば、出世も何も、今直ぐにでも支払ってもらうべきで。
「お客様、今後も支払えないなんてことは御座いませんよね。警察に通報しますよ?」
言ってやった、言ってやった!庶民育ちの私からすれば、『ツケ払い』なんてあり得ないのだ。然るべき処置をとっているだけなのだ。
私がせっせと働く側で、のんべんだらりと小説じみたものを書いている男の高慢な態度を、踏みにじってやった。快感が胸を爽快と駆け巡った。
私が満足げな顔で、請求書を提示していると、あろうことか南紀君はヘラヘラと笑い始めたのだ。
何が可笑しいのか、笑いながら手まで叩き始めた。なんだか私がコケにされているみたいに。
「いやいや、実由ちゃん。たった十万ちょっとの支払いなんて、家帰ったら即払えるからさ。」
「…。南紀君の家って、所謂、お金持ちなの?」
私は確信をもって問い詰めた。南紀君の瞳は意地悪く冷ややかに笑っている。
「うん。実由ちゃんも知ってると思うけど、羽方海運株式会社っていう大企業だよ。あそこが俺の父さんの会社でね。」
南紀君が御曹司だと確定した途端に、南紀君の佇まいが上流社会の人間らしく見えてきたから、私は戸惑い狼狽た。
そういえば、散々今まで『馬鹿』とか『ほぼ無職』とか罵倒してきたから、私の方こそ名誉毀損で訴えられたらどうしよう!?御曹司相手に裁判なんて、確実に負けるに決まってる。
私の人生、こんなところで終了しちゃうの………!?
少しでも御曹司である南紀君のご機嫌をとろうと、口元が微笑み始めた私が恐ろしくもあり人間臭くもあり。
急に微笑み始めた私の顔を見て、南紀君は猛禽類が獲物を狙う様な鋭い眼差しで私を見つめてきた。
「そうだね、実由ちゃんにはとってもお世話になってるから。」「金に色目をたっぷりとつけて、何倍の額を、お支払いさせていただくよ。」
そう言って、手をパーにしてジェスチャーしてきたけれども。
「五十万円くらいかしら。」
「いや、五千万円。」
!?!?五千万円!?!?
五千万円って、生涯年収の半分もある。新築一軒家が建てられる。純喫茶モモセの資本金が充分に足りる。そんな夢のような高額だ。
「五千万円なら直ぐにでもお支払い出来るから、由実ちゃん、これから俺ん家おいで。」
今直ぐにでも五千万円。馬鹿正直に私の身体は武者震いしてしまった。
まだ朝の七時前。話ながらもペロリと朝御飯プレートを平らげていた南紀君は、やはり何時もの大食いの南紀君だった。
清々しい朝日が昇る空の元で、私はエプロンだけでも取り払って、今着てるだらしない私服のままで、南紀君の家へと連れていかれるのだった。
南紀君は、店に来る時は常に徒歩で来ていたので、南紀君の愛車を見るのすら初めてだった。腕時計はしない派で、時間は常にスマートフォンやパソコンで確認していたから、どんな腕時計を持ってるかなんて知らなかった。
純喫茶モモセから近い、誰も住んでなさそうな古びた一軒家の下方にシャッターが閉まっているガレージがあった、そのガレージのシャッターの鍵を当たり前のように南紀君は開ける。
「この家、もう誰も住まないって言うから買い取ったんだよ。即決で。」
肩で風をきって歩きながら、南紀君は車へと近づく。
車はよく手入れのいきとどいた、光沢のあるスポーツカーで、南紀君と私の姿をクッキリと、その高価なボディに反射させていた。高級車であることは、窓から覗く車の内装からも判った。でも、車種までは私にはわからなかった。外車なのかな。
南紀君は手際よく私を車内へとエスコートしてくれた。若い男性の運転する車の助手席に座るなんて、初めてだった。家族の車に乗せてもらったことしかない独身女である。
南紀君も車へと乗り込むと、ダッシュボードから腕時計を取り出して、腕にはめていた。銀色に輝く腕時計は、文字盤が紺碧で、銀の針が繊細に時を刻んでいる。空色のレンズのサングラスも取り出して、南紀君は装備する。
運転装備一式を整えたら、南紀君は別人の様に見えた。疑いようもない御曹司の風貌。やたらと白すぎる南紀君の整った歯並びに納得した。
【純喫茶モモセ】の外観は、パッと見ると酒蔵にしか見えなくて、外壁に大きく店名を書いた暖簾をかけてあるおかげで、ここが『純喫茶』とわかるくらいで。
常に新鮮な潮風の香りが舞い上がるこの場所で。店の前で鼻を動かすと、潮風に混じって、なんとも芳ばしい珈琲の香しい香りが鼻腔をくすぐる。
純喫茶モモセの開店は昼間十二時のランチタイムから。それでも、店主である百瀬実由は、少しでも早く立派な純喫茶オーナーになりたくて、朝も早い五時から一人修行をしているのです。
朝日のほんのりと射す厨房では、私、百瀬実由が新作メニューの材料を並べて、食材とにらめっこ。調理方法を考えたら、素早く調理にとりかかります。
厨房には、食材が料理された美味しい薫りが立ち込めているのです。
で、この海街に店を開店してからというもの、毎朝六時になると、私の胸をざわつかせる出来事があり。
『やっほー!おはよー!!実由ちゃん、今日も元気だね!』
前に戸締まりしてた時に、ドアをガチャガチャとしつこくやられたので、今ではもう観念して諦めたので、ドアは開けている。
ちゃっかり者の野良猫みたいにしなやかに、その男はテーブル席のあるホールから厨房へと歩み寄って来る。
コツコツと上質な深い琥珀色のモンクシューズの踵を鳴らして歩み寄って来る。
「あら、おはようございます。」
この男に、突っぱねるようにする朝の挨拶が、私の日課となってしまった。
私の変わらぬツンケンとした態度にも怯まず、図々しく恭しく、その男はニカッと白過ぎる整った歯並びを私に向けてくるのだ。
「おはよ、実由ちゃん♪」
「相変わらず、ほぼ無職だと馬鹿みたいに元気なんですね、羽方さんは。」
「もー。羽方さんなんて他人行儀に言わないのっ!俺のことはちゃんと、南紀くんって呼んでって言っとるやん。」
そう、このほぼ無職男は、名前を羽方南紀という。
『ほぼ無職』なのは、これでも一応、小説家なのだと、自称だが南紀君が言うからだ。南紀君の証言を信じて、私は尊重してあげて『ほぼ無職』と南紀君を認識している。
ほぼ無職の南紀君は、生意気にも最新モデルのパソコンを、素のままで小脇に抱えて毎朝やって来る。
前に南紀君が、パソコンで作業してるところを覗いたけども、これまた最新ソフトらしきソフトで、小説っぽい文書を綴っていた。
【自分が頼めば通して貰える】という横暴さと、【自分が無条件に愛されている】という図々しさと。
羽方南紀という男。素性を隠しているだけで、どうせ、【何処かの大金持ちの子息】であることくらい明け透けに見えている。
店の休店日の時に、自室で寛ぎながらスマホで片手間に調べたら【羽方海運株式会社】という、それらしき大企業が出てきた。馬鹿息子な南紀君の御父様らしき、羽方海運株式会社会長の威厳ある写真が企業ホームページに堂々と映えている。チャラチャラした南紀君とは正反対の、オールバックに整った髪に銀縁眼鏡に澄ましたお顔の好印象あるおじ様だった。
もし、南紀君が大企業の御曹司であるならば。
開店から一月経った今ならば、今日こそは、南紀君に言わなければならない。
新作メニューの調理を終えた私は、いつの間にかテーブル席に座して、のんびりと朝御飯を待つ馬鹿南紀君の方へと向かった。
自然と朝御飯プレートを運ぶ足が早足になる。
私はつっけんどんに、朝御飯プレートを南紀君の目の前に置いた。
そしてすかさず、南紀君の眼前に請求書を提示してあげた。
「南紀様、朝御飯の前にこちらを御支払頂きたいのですが。」
金額にして、十万円を超えている。南紀君は何時も食べ過ぎなのだ。そして、阿保みたいに電気代がかかっている。そして、何時も『出世払いで。』と、ツケにしてきたのだ。
もし、南紀君の身元が羽方海運株式会社の御曹司ならば、出世も何も、今直ぐにでも支払ってもらうべきで。
「お客様、今後も支払えないなんてことは御座いませんよね。警察に通報しますよ?」
言ってやった、言ってやった!庶民育ちの私からすれば、『ツケ払い』なんてあり得ないのだ。然るべき処置をとっているだけなのだ。
私がせっせと働く側で、のんべんだらりと小説じみたものを書いている男の高慢な態度を、踏みにじってやった。快感が胸を爽快と駆け巡った。
私が満足げな顔で、請求書を提示していると、あろうことか南紀君はヘラヘラと笑い始めたのだ。
何が可笑しいのか、笑いながら手まで叩き始めた。なんだか私がコケにされているみたいに。
「いやいや、実由ちゃん。たった十万ちょっとの支払いなんて、家帰ったら即払えるからさ。」
「…。南紀君の家って、所謂、お金持ちなの?」
私は確信をもって問い詰めた。南紀君の瞳は意地悪く冷ややかに笑っている。
「うん。実由ちゃんも知ってると思うけど、羽方海運株式会社っていう大企業だよ。あそこが俺の父さんの会社でね。」
南紀君が御曹司だと確定した途端に、南紀君の佇まいが上流社会の人間らしく見えてきたから、私は戸惑い狼狽た。
そういえば、散々今まで『馬鹿』とか『ほぼ無職』とか罵倒してきたから、私の方こそ名誉毀損で訴えられたらどうしよう!?御曹司相手に裁判なんて、確実に負けるに決まってる。
私の人生、こんなところで終了しちゃうの………!?
少しでも御曹司である南紀君のご機嫌をとろうと、口元が微笑み始めた私が恐ろしくもあり人間臭くもあり。
急に微笑み始めた私の顔を見て、南紀君は猛禽類が獲物を狙う様な鋭い眼差しで私を見つめてきた。
「そうだね、実由ちゃんにはとってもお世話になってるから。」「金に色目をたっぷりとつけて、何倍の額を、お支払いさせていただくよ。」
そう言って、手をパーにしてジェスチャーしてきたけれども。
「五十万円くらいかしら。」
「いや、五千万円。」
!?!?五千万円!?!?
五千万円って、生涯年収の半分もある。新築一軒家が建てられる。純喫茶モモセの資本金が充分に足りる。そんな夢のような高額だ。
「五千万円なら直ぐにでもお支払い出来るから、由実ちゃん、これから俺ん家おいで。」
今直ぐにでも五千万円。馬鹿正直に私の身体は武者震いしてしまった。
まだ朝の七時前。話ながらもペロリと朝御飯プレートを平らげていた南紀君は、やはり何時もの大食いの南紀君だった。
清々しい朝日が昇る空の元で、私はエプロンだけでも取り払って、今着てるだらしない私服のままで、南紀君の家へと連れていかれるのだった。
南紀君は、店に来る時は常に徒歩で来ていたので、南紀君の愛車を見るのすら初めてだった。腕時計はしない派で、時間は常にスマートフォンやパソコンで確認していたから、どんな腕時計を持ってるかなんて知らなかった。
純喫茶モモセから近い、誰も住んでなさそうな古びた一軒家の下方にシャッターが閉まっているガレージがあった、そのガレージのシャッターの鍵を当たり前のように南紀君は開ける。
「この家、もう誰も住まないって言うから買い取ったんだよ。即決で。」
肩で風をきって歩きながら、南紀君は車へと近づく。
車はよく手入れのいきとどいた、光沢のあるスポーツカーで、南紀君と私の姿をクッキリと、その高価なボディに反射させていた。高級車であることは、窓から覗く車の内装からも判った。でも、車種までは私にはわからなかった。外車なのかな。
南紀君は手際よく私を車内へとエスコートしてくれた。若い男性の運転する車の助手席に座るなんて、初めてだった。家族の車に乗せてもらったことしかない独身女である。
南紀君も車へと乗り込むと、ダッシュボードから腕時計を取り出して、腕にはめていた。銀色に輝く腕時計は、文字盤が紺碧で、銀の針が繊細に時を刻んでいる。空色のレンズのサングラスも取り出して、南紀君は装備する。
運転装備一式を整えたら、南紀君は別人の様に見えた。疑いようもない御曹司の風貌。やたらと白すぎる南紀君の整った歯並びに納得した。