殺しのターゲットは旦那様につき。





「死んで……もらいます」



ぽたりと落ちた雫は,私のものだ。

私は今日初めて,人を殺す。

ターゲットは良質そうなベッドに眠る,小柄な私よりずっと体格のいい男。

まだまだこれからな,明るい未来が待っていたはずの20代。



「うん。……いいよ」



ゆらり,と蝋につけられた炎が揺れた。

開くはずのない瞳。

持ち上がるはずのない胴体。

甘い,声色。

私は驚いて,飛び退こうとした。

深夜の奇襲。

暗殺対象による突然の目覚めと冷静な返事に,私は冷や汗をかく。



「って,そんな表情してたら言いたくなっちゃうな」

ーはい,捕まえた。



背中から飛び,残った足を。

綺麗な尊顔に笑みをたたえ余裕そうな相手は,躊躇なく捕まえて私をぶら下げた。

くそ。

心で悪態をつく。

それもそのはず。

失敗,した。

ごめん,皆,逃げて……



「ふ……ぅ」

「あーーはいはい。泣かないの」



ぱちりと指をならした相手によって,部屋の明かりが全て点く。

宙ぶらりんになったまま,私ももうどうせどうにもならないからと好きに泣く。

どうせこの後は死あるのみ。

暗殺対象に片手で片足からぶら下げられて,もう充分情けないのだ。

長い天パのポニーテールをぶら下げて,ぐすぐすと両目を閉じて擦っても,もうどうでも良いだろう。


ー相手から目をそらすな!! 

ー眼球をえぐられるまで捉え続けろ!!!


そう口うるさく脅しかけてくるあいつも今はいない。





「うるさいばか。バカ王子。なんで起きてるのよ,皇太子のあほ。寝てなさいよ」



八つ当たりだ。

命あって良かったねの相手に,それでも死んでくれなくちゃ困るからとやつ当たった。

魔法に剣に頭脳,彼はどれをとってもこの国一。

いや,大陸,世界一だ。

奇跡の人であり,この国の唯一の王子であり,時期国王でもある。

だからこそ,寝ていてくれなくてはいけなかったのに。



「あほは君の方でしょ。そしたら僕死んじゃうじゃん」



悔しい。

やりたくもない殺しをするために,後からせめてもの償いに自分も死のうと覚悟を決めてまでしてやって来たのに。

たった数秒で捕まった。

いくらなんでも腹立たしい。

どんなに抵抗しても,ぴくりとも動かない。

なのに掴まれている箇所は痛くもない。

もし彼が起きてしまっても,数秒は戦い,多少の傷は負っても,大切な人のもとに帰れるはずだと踏んでいたのに。

数秒戦うどころか数秒待たずして捕まるこの体たらく。

むかつく。

むかつくよーー!

一番むかつくのは,余裕そうな態度と表情。

深夜2時ににこにこと,変態なのか。

私は夜更かしも夜中に起きるのも苦手で,今にもあくびが出そうなのに。

寝てるはずじゃないの?

起きたってすぐに覚醒なんか出来ないんじゃないの。

私はそうよ。



「っていうかねえ,ここまで警備を抜けてきたのは褒めてあげるけど,折角こんな時間に忍び込んだんだから声なんてかけちゃだめでしょ。そこはこう,サクッといかないと」



ありがたいお説教までいただいて,私はもう悔しいを通り越して恥ずかしい。

このままふて寝してやろうか。

……それに……

鍛えられた見惚れる程の肉体に,誰もが欲しがる絶対的な美貌。

頭の先から爪の先まで,美·美·美だ。

睨み付けて,私の瞳からはさらにぶわっと涙が溢れる。



「ん?」



思わずぼっと頬に火が灯った。

見てたわけじゃ,ないもん。



「なによ,かっこいいじゃないの。むかつくーーー!」

「! っ」




素早さも殺しの技術も一級品と言われて,満を持して与えられたSSSランクの最高任務。

それもこれももう,無茶苦茶だ。

虐待されながら,それでも5年も,自己犠牲に身を投じながら鍛えられてきたのに。

全部全部水の泡。

ひどいよ,ひどいよ。

もう少し拮抗するふりくらい付き合ってくれても良いじゃないの。

力だけは,どうやったって勝てないのに。

ぷらぷらと吊り下げられて,そろそろ頭に血が上る。



「アンジェリカ」

「なによ!!」

「僕,かっこいい?」



思わぬ問いかけに,は? と見上げると,そこには極上の美があった。

なんの嫌がらせだと,嫌みだと眉を潜めるも,まさかの光景に息を呑む。

そこでは,この世でもっともと言われる美が,私と言うたった1人に熱っぽい瞳を向けながら照れていた。



「な,な……聞かなくても分かるでしょ!!! イケメンですよ! 人間の半分は女なんだから!!! 散々言い寄られて,分かりきってるでしょ!!」



だから,その顔をやめて!

私を,どうしようと言うの!

私は思わず,落ちていた枕を拾ってぼふぼふと皇太子の足をたたく。

ふんっ。

どうせ死ぬもん!

このアンジェリカ,不敬も攻撃もこわくないもんね!

皇太子を再度見ると,今度は頬を染めたままきょとんとしていた。

なんとも腹立たしい表情だこと。

しゃべる気の無さそうな皇太子の代わりに,人生最後の私の舌は滑舌の良くペラペラと回る。



「えーえーそうでしょうね! それはもうモテたでしょうね! 私なんて,私なんて……恋愛できるような男の子とすら出会えなかったのに! 初恋も今や10年前! それが! 私の! 最後の恋よ! 私だってね~っ。死ぬ前にっ……ふ。恋愛,してみたかったのにぃ」



いよいよ情緒が迷子だ。

溢れてとまらない,涙と想い。

いらぬ自分語りまでしてしまった気がする。

青春をあんな地獄で捨ててしまって,後悔しかない。

結局誰も守れず,それを謝ることも出来ないままここで朽ちるしかないのだと思うと,やっぱり涙はとまらなかった。



「もうっもうっ。聞いてくれてありがとうございました!! もういいから。ヤるならさっさと殺りなさいよ!」



子供か,と言われるほど一方的に駄々をこねる。

これ以上生かされる理由はない。

私は寝台近くの鋭利な剣をちらりと見て,ぎゅっと目をつむった。

私を絶つのは,あれか。



「アンジェリカ」



ってまだですか!



「はいはい。依頼人ですね! 依頼人は知らないけど,私たちのアジトはーーーです。でも間に合わないだろうけど無理だろうけど出来たら捕まってるだけの子供たちは助け……え?」



あん,じぇりか?

全部全部げろっとしたあと,私ははたと言葉を止める。

そういえば,さっきもそう呼ばれた気がする。

その名前を知るのはもう,私を道具のように扱うアイツだけ。

アイツですら,覚えているかも分からない。



「……え?」



なんだ,最初から何もかも知っていたのか。

成功するはずが無かったんだ。

今頃アジトも壊滅しているだろう。

あの子達は……無事かな。

それだけが,心残りだ。



「初恋って……誰のこと? 今も好きなの?」



くるりと視界は反転し,ぱちぱちと瞬くも目の前に美。

はくはくと口を開閉して,私は体を反った。

右手で囲われているだけなのに,腰を抱かれて逃げられない。

薄くもがっしりとした胸板は,どれだけ押しても離れなかった。

悔しくてしかたがない程,好みだ。

普通の女の子だったなら,正直今すぐにでも身だしなみを整えに帰りたい。



「どこの誰かなんて知らないし,もう今となってはただの思い出!」



力一杯,叫ぶ。

意味が分からなすぎて,離れてくれるならなんでも良かった。



「なんだ,よかった……」



お,なんだ? 皇太子も良いのか? 何が……??



「危うくそいつも連れてこなくちゃいけなくなるところだったよ」







「連れてきて,くれるの……?!?!?」



思わず敵なのも忘れて,私はぶら下がっている左手にすがり付く。

初恋は初恋で,とうに終わった数少ない綺麗な思い出。

それでも会いたいと願った数は10や20じゃない。

何度も泣いて死にたいと願った夜に,私を支えた大切な思い出の人。

けれど固まる皇太子を見て,私ははっとした。

な,にを喜んでいるの。

彼を本当に連れてこられたところで,この人はろくな目にはあわせないだろう。

私はこの人を殺しに来た,殺し屋なんだから。

また会えるなんて,そんな可愛らしい会合になるはずがないのだ。



「君が他の誰かを見ているなんて許せない。だから君が違うと言ってくれて嬉しい。でも……そんなに……会いたいのか」



黒くなったり,どこか沈んでいるように見えたり,何かを考え始めたり。

この国の皇太子はやはり,変だ。

多分,変態だ。



「今は誰も好きな人はいないんだね?」

「だったら?」

「良かった」



また,良かった。

私はなにも,良くなんてない。

むっと頬を膨らますと,それは彼の指先によって潰される。



「じゃあ,僕としようお姫様」

「え?」



しようって……なに,を?

ピンと来ないまま首をかしげる。

すると面白いことに,皇太子の首も同じ方向に傾いた。



「順番は逆になるけどね」




逆? 

そう考える間に,皇太子はにこりと笑って声をあげた。



「もういいよ。入っておいで」



突如がたりと大きな扉が開かれる。

私は猫のように背中から真上にびくりと跳ねた。

いつから居たのだろうか,人の気配などひとつもなかったというのに。

廊下には鎧姿の人間が5·6,そして私に飛びかかるようにして……



「ちょっ」

「ご観念を,皇太子妃,アンジェリカ·マーキュリー様。わたくし僭越ながら,メイド長を務めさせていただいております,メイジー·シャノンと申します」



ありえない純白を持った女が,丁度私に襲いかかっている所だった。

こう?!? なんて?

自己紹介,今する?!?!

きちっとお団子にした黒髪はさらりとしそうなほど美しく,メイド長と言う割には同い年かと思うほど年若い。

何よりその美貌は,皇太子と良く似合い並び立つほどの美女。

ため息をつき憧れる男女は腐るほどいるだろう。

私も始めて目にしたとは思えないほど好きだ。

あまりにも人間離れしている。

私は現状の説明を求めて,メイジーに担がれたまま皇太子を振り返った。

皇太子はあぁと思い出したように話し出す。

けれどそれは求める説明とはほど遠い部類のものだった。



「いらっしゃい。君は僕に捕まって,計画は失敗。これから僕のお嫁さんになるんだよ。観客はもう皆待ってる。もちろん,特別ゲストの"子供たちも"ね」



嫁?! なに? どういうこと?!

皆も?!?!



「ちょっと……!!」

「話は後でね。僕も君の望む恋愛が出来るように,安心して惚れてもらえるように頑張るからね」



ひとりなにかやる気を出しているらしい皇太子は既にもう話が通じない。

なにを言っているのだろうこの男は。

私は一体どうなるの……??!



「説明,しなさいよ」

ーぉぉぉぉお。


「さ,僕も準備を始めようか」

ーやっと見つけたんだから。誰にも渡さないよ?



深夜2時。

この日,普通に考えたら大迷惑な私の混乱の絶叫が,暗殺対象者の住む城中に響き渡ることとなったのだった。
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