政略結婚は純愛のように〜お互いに望むこと〜

野外フェスティバル

 晴天の空の下、芝生広場にいい匂いを漂わせる食べ物の屋台がズラリと並んでいる。
 別の場所ではご当地キャラの着ぐるみが子どもたちと写真撮影をしていた。
 地元企業協賛のご当地フェスティバルである。
 きれいに整備された古城跡公園では広い敷地の至るところで地元の名産品にまつわる催し物が開催されていて、伝統工芸品の展示会や即売会や地元の作家たちを集めたフリーマーケットまである自治体を挙げての一大イベントだ。

「天気がよくてよかったですね」

 由梨は、隣で沙羅のベビーカーを押して歩く隆之に話しかける。

「そうだな」

 隆之が頷いた。
 街を挙げてのこのイベントを由梨は楽しみにしていた。物産展好きの由梨としては外せないイベントだ。
 沙羅とふたりだとしても来るつもりだったが、ちょうど隆之が仕事の休みを取れたから、家族で来ることになったのだ。
 近くに車を停めて、まずは芝生広場の食べ物コーナーへ向かっている。

「だけどどれを食べるか迷いますね。これだけたくさんの名産が集まるなんて奇跡ですから。本当は全部のブースをまわりたいけど、それはお腹が無理だから……。食べてばかりじゃ沙羅が退屈しちゃうから、芝生でちょっと遊んで、それからフリーマーケットエリアに行きましょう。あ、伝統工芸体験コーナーまである! やりたいなぁ。でも、沙羅とやるにはちょっと早いか……」

 体験コーナーの中には子どもでも楽しめるものもあるようだ。
 けれど、さすがにまだ一歳の沙羅ができるようなものはない。
 体験コーナーはまだ次回かな……。
 そんなことを考えていると、隆之がふっと笑った。

「あ、ごめんなさい。勝手にいろいろ決めちゃって」

「いや、いいよ。今日は由梨が楽しみにしてたイベントなんだから、由梨の好きにまわろう。ちょっと関係者に挨拶だけしたら沙羅のことは俺が見てるから、伝統工芸体験やったらいいよ」

 目を細めてそう言う彼の言葉に、由梨は素直に頷いた。

「ありがとうございます」

 娘そっちのけで自分の好きなことをするなんて、少し申し訳ないような気もする。
 けれど、沙羅のことを第一に考えている生活は、幸せではあるけれど時々息が詰まりそうになることもあるのも確かだ。
 母親である自分が笑顔でいられるために今日は思い切って楽しもう。
 とはいえ、ここは地元の関係者が一堂に会するイベントだ。いくらプライベートとはいえ、地元経済をリードする立場の隆之がなにもしないわけにはいかない。まずは隆之が挨拶回りだ。

「じゃあ、少しだけ沙羅をお願い。行ってくるよ」

 由梨は、隆之からベビーカー任された。

「はい。よさそうなブースに並んでますね。隆之さん食べたいものはありますか?」

「いや、ラインナップは由梨に任せる。あとで合流する」

 そう言って彼は、ベビーカーを覗き込む。

「じゃあ、お父さんちょっと行ってくるからな」

 沙羅に声をかけてから、黄緑色のTシャツを着た関係者らしきグループの方へ歩いていった。

「あっば! あっば!」

 去っていく父親の背中に向かって、沙羅が不満そうな声をあげた。ベビーカーに顔を出した隆之を見て、抱っこしてもらえるかと思ったのに、違ったからだろう。

「すぐに帰ってくるよ」

 由梨がかがみ込んで沙羅に話しかけた時。

「風船をどうぞ」

 声をかけられて振り返る。
 黄緑色のTシャツを着た黒瀬が、風船を沙羅に差し出していた。

「黒瀬さん」

 今日は、北部物産も協賛しているから、スタッフとして参加しているのだろう。

「お久しぶりです」

「久しぶり、来てくれたんだな。ありがとう。お子さんがまだ小さいから誘ってよかったのかな?って天川が気にしてたけど」

「いえ、嬉しかったです」

「ならよかった。あいつもその辺うろうろしてると思うから、見かけたら声かけてやって」

 そんな話をしながら、由梨は黒瀬からもらった風船をベビーカーに結ぶ。沙羅がきゃっきゃと笑った。父親に放っておかれたという不満は収まったようである。

「社長は?」

「皆さんにご挨拶しに行きました」

 由梨は白いテントの下で、関係者と話をする隆之を指差した。

「相変わらずの人気だな」

 黒瀬が呟いた。

「でもひとりで? 一緒に行って挨拶してくればいいのに」

「そうする時もありますが、今は多分、カメラが来てるから」

「ああなるほど」

 黄緑のTシャツに紛れて、地元テレビ局の取材クルーたちの姿がある。
 隆之自身は、すでにメディアに顔を出している。それこそ、今井財閥と全面対決した際は、たびたび夜のニュースで取り上げられていたくらいなのだから。
 だからこそ彼は、公の場に由梨と沙羅を連れていくことに慎重だ。意図せず顔や名前がネットに晒されることもある時代だ。
 テレビクルーと女性アナウンサーが隆之に歩み寄り話をしているのを見て、黒瀬はふっと笑った。

「あれ、社長のインタビューを依頼されたんじゃないか?」

 おそらくはその通り、隆之が少し困ったような表情で話をしている。プライベートで来ているから……とでも言っているのだろう。
 でも相手は引き下がらないようだった。

「ゆるキャラを映すのがセオリーだろうに、やけに食い下がるな。まぁ、あれだけカメラ映えすればそうなるか。イベントはあと二日あるし協賛企業の社長としては頑張ってもらうしかないな」

 黒瀬が言う通り、一旦断ったものの結局は応じることにしたようだ。
 クルーからの説明に耳を傾けた後、カメラの前でアナウンサーからの質問を受けていた。

「それにしてもあのアナウンサー、距離が近くないか? さっきから社長ばっかり見てるじゃないか。強引にインタビューに持っていったのは番組のためか、それとも……」

 黒瀬が由梨をチラリと見た。
 言われてみれば、そんな風に見えなくもないような気がして、由梨はじっと目を凝らす……けれど、そこでハッとして眉を寄せた。

「……黒瀬さん、ダメですよ。そんなこと言っちゃ」

 黒瀬が眉を上げた。

「地元メディアはフェスティバルを盛り上げるための大事なパートナーじゃないですか。アナウンサーの方もお仕事をされているだけなのに、失礼です」

 確かに距離は少し……いやだいぶ近いと言えなくはないが、それでもそんな風に言うのはよくないと思う。
 仲間内の飲み会ならありかもしれないが、一目でスタッフとわかるTシャツを着ている立場の者が、誰が聞いているかもわからないこんな場所で言うべき言葉ではない。
 由梨の意見に、黒瀬は一瞬考えた後。

「そうだな」と、素直に頷いた。

「今の発言はよくなかった。気をつける。申し訳ない」

「……いえ、生意気言って、すみません」

「いや、そういうのって言いにくと思うけど大事なことだから、言ってもらえるのはありがたいよ」

 彼が気を悪くしていないことに由梨はホッとする。

「やっぱり企画課(うち)には、加賀さんが必要だな。産休明けの希望部署にはぜひうちを希望してほしい」

「そうするつもりです」

 北部物産では産休明け、希望する部署を届け出ることができる制度がある。もちろん業務上の都合もあるから希望通りになるとは限らないが。

「また来てもらえるのを楽しみにしてるよ。俺の下で働ける人材は貴重だけど、こうやってはっきり意見を言ってもらえる部下はもっと貴重だ」

「意見なら天川さんもたくさん言ってくれるじゃないですか」

「いやあれは、ほとんどがクレームだ」

 嫌そうに眉を寄せてそう言う黒瀬に、由梨はふふっと笑ってしまう。産休に入ってから見ていないふたりのバトルが懐かしかった。

「お、インタビューが終わったみたいだ」

 白いテントのあたりに視線を戻して黒瀬が言った。その言葉通り、隆之がこちらに向かって歩いてくる。
 黒瀬が声を張り上げた。

「おつかれさまです、社長」

「お疲れ」

 そして近づいてきた隆之に向かって、にっと笑い、からかうようなことを言う。 

「僕がいるのに気がついて、インタビューどころじゃなくなっちゃいました?」

 隆之が目を細めて黒瀬を睨む。
 由梨は慌てて口を挟んだ。

「さ、沙羅に風船をもらったんです。すごく嬉しそうで。ほら」

 隆之が風船をキックしている沙羅に目を落として、黒瀬に向かってにっこりと笑った。

「ありがとう、黒瀬くん」

「いえ、家族連れで来場してもらえるのはありがたいです。それにスカウトもできましたし」

「スカウト?」

 隆之が首を傾げた。

「加賀さんに企画課へ戻ってほしいというお願いですよ。ありがたいことに快諾していただきました。本人の希望と受け入れる側がマッチングすれば、決まりみたいなもんですよね」

「…………基本的は」

「あれ? 今すごく間がありませんでした?」

「間なんてない。だがそれは最終的には人事が決めることだから、俺に聞かれてもはっきりと答えられない」

 そう言う隆之に、黒瀬が胡散臭そうな表情になる。

「そんなこと言って、私情で口を挟まないでくださいよ」

「そんなことするわけがないじゃないか」

「どうですかね。社長が公平なのは皆知ってますが、奥さんのことになるとまた違いますから。忘年会のこと忘れたんですか?」

「忘年会?」

「隆之さん」

 放っておくといつまでも続きそうなふたりのやり取りに、由梨は慌てて口を挟む。

「そろそろ沙羅、お腹すいちゃうかも」

「ああ、じゃあなにか買いに行こう」

 由梨はホッと息を吐いた。
 天川によると、こんなふたりのやり取りは、最近では企画課では珍しくないらしい。もちろん内容は仕事のことだが、彼らが気軽に意見を戦わせている姿を見るのを密かに楽しみにしている者もいるという。
 だがここは外なのだ。
 さっき協賛会社の社長として挨拶した隆之がスタッフTシャツを着た黒瀬と言い合いをしていたら、どう思われるかわからない。

「じゃあ、黒瀬くん、また会社で」

「はい、お疲れさまです」

 黒瀬と別れた由梨と隆之はベビーカーを押してブースの一つに並ぶ。

「隆之さん、気をつけてください。ここは社内じゃないんですから」

 余計なこととは思いつつ、由梨は小声でそう言うが、彼は肩をすくめるだけだった。

「黒瀬がふっかけてきたんだろ。あいつ優秀だけど本当にうるさいから、企画課が由梨を欲しがるのも納得だよ。他の社員にはあいつの下は務まらない」

 まったく悪びれる様子はない。それどころか、どこか楽しそうですらある彼に、やれやれと思い由梨はため息をついた。
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