政略結婚は純愛のように〜お互いに望むこと〜
「今日は、遅くなるから先に寝てて」
「わかり……わかった。ご飯は? 何か置いておこうか?」
「あると嬉しいけど。無理そうなら、適当に買って帰るよ」
朝、出勤する隆之を玄関まで見送るために、由梨は沙羅を抱いて廊下を歩く。
毎朝の日課だ。
玄関に着くと彼は靴を履いて振り返った。
まず沙羅の頭を撫でてもちもちのほっぺにキスをする。そのままぷっと息を吐くので沙羅がきゃっきゃっと笑った。
「行ってくるな。いい子にしてるんだぞ」
小さな手と大きな手で覚えたてのタッチをした後、由梨を見た。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
由梨が言うと、彼はふっと笑って身を屈め由梨の唇に、ちゅっとキスをした。
目をパチパチさせる由梨に向かってにっこり笑う。
「敬語なし、上手にできてるご褒美」
「もう……」
沙羅が見てる前で……と思い由梨は彼を睨む。
「ご褒美方式は成功だな。この調子なら"さん"付けもすぐになしにできそうだ」
隆之は、機嫌よくそんなことまで言って由梨の頬を突いている。
「"さん"はべつにいいと思うけど」
由梨はそう答えるが、嬉しそうな彼の笑顔に、少し心が動く。
由梨が敬語でなくなっただけで、こんなに喜んでくれるのだ。
"さん"なしの名前を呼んだらどんなに喜んでくれるのだろう。
この玄関を一歩出たら、彼には息つく暇もないほどのスケジュールが待っている。なるべく機嫌よく出発してもらいたかった。
由梨はじっと彼を見て、意を決して口を開いた。
「いってらっしゃい。た……隆之」
少しドキドキしながら言い終えてホッと息を吐くと、隆之が切れ長の目を見開いた。
そのまま5秒フリーズして、右手で顔を覆い、ふーっと長い息を吐く。その彼の少し不思議な反応に、首を傾げる由梨を、沙羅ごと抱き寄せ、由梨の肩に顔を埋めた。
「あーば?」
沙羅に髪を引っ張られながら、くぐもった声を出した。
「——ごめん、由梨。言い出したのは俺だけど、やっぱり呼び捨ては夜だけにして」
「え? どうして?」
尋ねると、もう一度ふーっと息を吐いてから顔を上げる。そして由梨の額に自分の額を当てて至近距離から由梨を見た。
「いろいろ、まずい。……仕事に行けなくなりそうだ」
自分を見つめる出勤前らしからぬ熱い眼差しに、彼の言いたいことに思いあたり由梨の頬が熱くなった。
その頬に素早くキスをして、彼はくるりとこちらに背を向けた。
「……行ってくる」
そして思いを振り切るように玄関を出ていった。
「あんま、まんま!」
静かに閉まるドアを見つめて唖然とする由梨の頬を沙羅がペチペチと叩いた。
「わかり……わかった。ご飯は? 何か置いておこうか?」
「あると嬉しいけど。無理そうなら、適当に買って帰るよ」
朝、出勤する隆之を玄関まで見送るために、由梨は沙羅を抱いて廊下を歩く。
毎朝の日課だ。
玄関に着くと彼は靴を履いて振り返った。
まず沙羅の頭を撫でてもちもちのほっぺにキスをする。そのままぷっと息を吐くので沙羅がきゃっきゃっと笑った。
「行ってくるな。いい子にしてるんだぞ」
小さな手と大きな手で覚えたてのタッチをした後、由梨を見た。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
由梨が言うと、彼はふっと笑って身を屈め由梨の唇に、ちゅっとキスをした。
目をパチパチさせる由梨に向かってにっこり笑う。
「敬語なし、上手にできてるご褒美」
「もう……」
沙羅が見てる前で……と思い由梨は彼を睨む。
「ご褒美方式は成功だな。この調子なら"さん"付けもすぐになしにできそうだ」
隆之は、機嫌よくそんなことまで言って由梨の頬を突いている。
「"さん"はべつにいいと思うけど」
由梨はそう答えるが、嬉しそうな彼の笑顔に、少し心が動く。
由梨が敬語でなくなっただけで、こんなに喜んでくれるのだ。
"さん"なしの名前を呼んだらどんなに喜んでくれるのだろう。
この玄関を一歩出たら、彼には息つく暇もないほどのスケジュールが待っている。なるべく機嫌よく出発してもらいたかった。
由梨はじっと彼を見て、意を決して口を開いた。
「いってらっしゃい。た……隆之」
少しドキドキしながら言い終えてホッと息を吐くと、隆之が切れ長の目を見開いた。
そのまま5秒フリーズして、右手で顔を覆い、ふーっと長い息を吐く。その彼の少し不思議な反応に、首を傾げる由梨を、沙羅ごと抱き寄せ、由梨の肩に顔を埋めた。
「あーば?」
沙羅に髪を引っ張られながら、くぐもった声を出した。
「——ごめん、由梨。言い出したのは俺だけど、やっぱり呼び捨ては夜だけにして」
「え? どうして?」
尋ねると、もう一度ふーっと息を吐いてから顔を上げる。そして由梨の額に自分の額を当てて至近距離から由梨を見た。
「いろいろ、まずい。……仕事に行けなくなりそうだ」
自分を見つめる出勤前らしからぬ熱い眼差しに、彼の言いたいことに思いあたり由梨の頬が熱くなった。
その頬に素早くキスをして、彼はくるりとこちらに背を向けた。
「……行ってくる」
そして思いを振り切るように玄関を出ていった。
「あんま、まんま!」
静かに閉まるドアを見つめて唖然とする由梨の頬を沙羅がペチペチと叩いた。