ドSなあなたへ、仰せのままに。
「ほ、ほんっとーに申し訳ありませんでした!」
ゴチン!と、床にぶつけたおでこからそんな音がするくらい勢いよく頭を下げる。
どうしよう、やっちゃった……。
頬に冷や汗が、たらりと伝った。
遡ること、10分前ーー……。
「お、大きい……」
夏の終わりを知らせる、少し涼しい風が、私のひとつに結んだ髪をサラサラと揺らす。
私ーー沖瀬海は、ゴクリと唾を飲み込んで感嘆の声を漏らした。今日から私がお邪魔するのって、ここ……だよね?
あらかじめ受け取っていた住所と地図を何度も見返すけれど、やっぱりここだ。
そう、私の目の前にそびえ立つ大きな建物。
門から玄関まで、何メートルあるのか測りたくなるくらいの大きな屋敷、そこは、今日から私が住み込みで働く場所だった。
「呼び鈴……鳴らせばいいの?っていうか、なんて挨拶すればいいのよ……?」
独り言をブツブツとこぼしながら、大きな門の前で行ったり来たりを繰り返す。
上司に「そろそろお前もこういう仕事に触れておいた方がいいと思うよ」なんて言われて、急に決まったこの仕事。
言われるがままに引き受けてしまったけど。
こ、こんなところで働けっていうの……!?
私は、大理石の柱に埋められた黒いインターフォンの呼び鈴を押そうとする手を、サッと引っ込めた。
……ダメだ、私がこれからする仕事が重すぎるような気がする。
私なんかに勤まるわけない。だって、これが初めてのちゃんとした仕事だよ……!?
一度本社に戻って、上司に再確認してから来よう。うん、それがいい。
「よし」
ふぅ、と短く息を吐いて、来た道を引き返そうと思ったその時だった。
「おねーさん、ウチになんか用?」
そんな弾むような低音の声が私の耳元で聞こえたと同時に、明らかに私よりも長い腕が私の肩に回される。
ーーでもそれは一瞬のことで。
きっとこれは仕方がない。幼い頃からの訓練で、反射的にそういう身体になってしまったのだから。
「っ、いって!」
気づけば私は、自分の肩に回された腕をそのまま抱え込んで、背負い投げを決めていた。
そのまま手首と胴体を締め上げる。
「触んないで!このへんたーー……え……?」
そこまで叫んだところで、ふと私が今締め上げている人物の顔に、既視感を覚えた。
……どこかで、見たような。
「痛いって!ギブ、ギブ!」
身を捩って痛そうに顔を歪めながらそう叫ぶのは、制服を着た男子高校生。
黒髪のスパイキーショートに、180以上もある大きな背丈。切れ長の目、高めの鼻、そして、右の耳たぶについているほくろ。
間違いない、この人ーー。
私が今、歩道の真ん中で締め上げている男子高校生の正体ーーそれを知った途端に、顔から血の気が引いていくのを感じる。
だって、この人。この人は……!
「あーー……」
何か、言わなければ。というか、締め上げた彼の手首を離さなければ。
頭の中がパニックになり始めたその時。
ギィーーー……
「へ……」
音を立てて開いた大きな両開きの門の先を見て、マヌケな声が漏れる。
頭が真っ白な中、これだけはハッキリとわかっていた。
「「「おかえりなさいまえ、ぼっちゃま」」」
私の、今締め上げているこの人は、私が今日から仕えるお方であるということをーー……。