短編集
キス

キス(名無し)


付き合い始めて一か月。

デートはするものの、約束をするのも電話やメールの連絡は私から。
会話を振るのも私がほとんど。

気まずさは抜けきれずに、時折の無言。
きっと恥ずかしいだけだよね。

独り暮らしの彼。
掃除が出来ていなくても気にしないと、半ば強引に部屋へと上り込んでしまった。
そんな強引な私に、彼は苦笑する。

もう嫌われて別れるとか言われてもおかしくない。
その場面を想像すると涙が出そうだ。

部屋の中は小奇麗で、私への拒絶だったのかと更なる追い打ち。
感情は沈んで、憎しみにも近い苛立ちに駆られた。

嫌われて振られるくらいなら、彼の口から本当の事を吐かせてやる。

「ねぇ。私の事、好き?」

真面目に訊いた私に、彼は茫然。
手には、マグカップに入ったコーヒーが二つ。
立ったまま私を見つめていた視線を慌てて逸らし、赤面。

反応としては悪くない。
私には聞こえない小さな声で何かを呟いて、視線は定まらない状態。
こちらを見ているようで見ていない。

しかも無言で近づき、机にマグカップの一つを私の前に置いて、もう一つは持ったまま床に座る。

重い沈黙。
じっと睨んだ私に、彼は小さく口を開いて視線を向けた。

「俺、好きだって言ったよね?」

「言ってないよ。あなたは、私の告白に『付き合おう』って答えただけ。」

居た堪れないような身悶えを見せる。

「ごめん。」

きっと、告白の日の事を思い出したのだろうけど。
少し安心した自分がいる。

思わず笑みが漏れ、増える愛しさ。

「……好きだ。てか、あんまり見ないで。情けない俺に幻滅するよ?」

照れ隠しも下手で、座ったばかりなのに立ち上がろうとする。

「どこに行く気なの?」

逃げ出したいような衝動に駆られているのだろうけど、私はじっくりと話したい。
私の制止に、彼は反らした体を元に戻して正座した。

「逃げないで、迫って欲しいのだけど?」

彼の反応が少し。
私と視線を合わせ、口を結んで頷く。

正座から膝を床に付けたまま腰を上げ、手を床に置いて這うように近づいて来る。

視線は下を向いた状態で、沈黙。
両耳が真っ赤なのが見えて、近づく距離に胸が騒ぐ。

私の真横に正座した彼は潤んだ目で見つめた。
頬は赤く息も乱れて。彼の高揚を感じるようで落ち着かない。

彼の手が近づいて、私の両目を塞ぐ。
見えない暗闇の中、唇に軽く触れる温もり。

柔らかさが何度も重なり、背に回る強い腕から熱が伝わってくる。
良かった。自分だけが好きなんじゃない。

優しい手が床に導いて、目を覆っていた手が離れ、私を見下ろすのは男の表情をした彼。
両手を上げ、彼の頬に添えた。

「もっとキスして。」

触れた私の手に頬をすり寄せて手を重ね、嬉しそうな笑顔を見せる。
男の人を可愛いと思ったなんて彼に言えば、どう思うかな。

彼の顔が近づいて、彼の目に映る自分が恥ずかしくて視界を閉ざす。
優しいキス。

「ね、そんなに口を固く閉ざさないで。」

彼の声に目を開け、聞こえた言葉が理解できずに首を傾げてしまった。

「え?」

ニッコリ笑顔の次に、細めた目は鋭く光る。
口には柔らかい物が混入…………


「ごめん、調子にのりました。」

泣きじゃくる私の頭を撫で、優位な彼は謝りながら笑顔。

悔しい。
今まで迫って来た自分が、本当はとても無理していたのだと知られた。

「……別に怖くないよ!ビックリしたとういか、うぅ。バカ……」

目元に優しいキス。
もっと甘い時間を下さい。



End
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