短編集
今、何が起きているのか。
時間の流れも止まったかのように、思考は停止。
唇には柔らかな感触。
目に入る景色はなく、視界の範囲を狭めるのは見慣れた顔。
それが間近にあって私の口にキスをしているわけで。
奴は閉じていた目を少しずつ開いていく。
細く睨んだような目で私を見つめ、口を解放するどころか強く押し当てるように角度を変えた。
私たち、付き合ってもいない。
恋人じゃないのにキスをするのって、どうなの?
口元が少し離れ、私の唇には熱のこもった奴の舌が触れた。
流されている事に気付き、私は右手の拳で奴の腹に一撃。
追撃に左手で、奴の頬に平手。
「ふふ。高いわよ、私に手を出すなんて。執事の立場で、許されると思わないでね!」
「痛いなぁ。くくっ……俺を執事と認めたの?」
痛がるか笑うか、どちらかにしてくれないかな。
気持ち悪い。
「言葉の綾よ。あなたも知っている通り、私の家系は落ちぶれ、執事を雇うような余裕などない。それを、歴史とか由緒とか言われて……そもそも何故、キスしたの?」
何度か繰り返した主従関係の話。
それより気になるキスについて追求する方が、今は大事な気がする。
「今の関係を壊したくて。それは、君も同じだろ?」
今の関係を壊したいのは私も同じ。
確かにそうかもしれない。
だけど、あなたの方法は私が望んだものと異なる。
初めてのキスを不本意な形で奪われてしまった。
それなのに心が痛まない。それは……
「そうね、壊れてしまった。私たちの関係が。幼馴染ではいられない。そして……あなたが望むような関係を私が願っていないから。」
彼に背を向け、私は拒絶を示す。
あなたは常に、私に対して優しい声をかけてきた。
それを受けて嬉しかったはずなのに、変わっていく関係が怖くて拒絶する。
「絶対に認めない。」
認めるわけにはいかない。
流されたりすれば私は…………
「黙って俺のものになれ。」
藤九郎は私を優しく抱き寄せ、抱きしめる腕の力を強めていく。
徐々に伝わる熱が増えていき、懐かしい香りに包まれて。
耳元で囁いた声は、いつもと違ってかすれていた。
絞り出すような想いのこもった声音。
否定したくても、伝わる言葉に心は反応する。
足の力が抜けて彼の腕から離れ、廊下に座り込んでしまった。
冷たい床の温度も気にならない程、体温は上昇して心音が響く。
見上げた私に、藤九郎は優しい視線を注ぐ。
私の返事も聞いていないのに、満足そうな微笑み。
負けたような気がして、自分の抵抗が虚しく、思わず苦笑が出てしまう。