短編集
視線を藤九郎に向けると、彼は真っ直ぐに前を向いて歩き続けた。
思わず歩くのが止まってしまう。
そんな私に、彼は振り返って笑顔を向ける。
私は罠にかかったのだと確信し、それでもその笑顔に心は歓びを感じてしまう。
重症だ。
この想いは恋以上に複雑で、止められない。
それなら流れに任せて、私を好きだと告げる彼を信じよう。
命を懸けると誓ったあなたに、嘘はないと思うから。
「え?」
家に着くと、玄関から引越し業者が荷物を大量に運び出していた。
何が起きているのか、全く分からない。
そして、あっと言う間に荷物を積んだ車が走り去る。
茫然とした私の手を、藤九郎は説明もなく引いて行く。
家の中は、見覚えのある家具と新しい家具が混在していた。
何が起きているのだろうか。
「さあ、七帆。今日から、ここが俺たちの家だよ。」
は?俺たちの?
ついていけない私の前に、両親とおじ様が登場する。
「おめでとう、藤九郎くん。娘の事は、頼んだよ。」
「七帆は、私よりしっかりしているから何も心配してないけれど、面倒を見てあげてね。」
「ありがとうございます。娘さんを大切にします。」
「よくやった。それでこそ、執事の鑑。私も大旦那様の遺言を果たせて、執事としての役目を全うできたというものだ。」
視線を落として床を睨んでから、顔を上げて声を張り上げた。
「絶対に、こんなの認めない!」
騙された。
罠にはまった。
それ以上に恥ずかしい。
「駄目だよ、そんなの誰も喜ばないから。ね、七帆。俺の願いを叶えてくれるだろ?」
藤九郎は親たちの見ているところで、後ろから私を抱きしめて耳元に囁く。
狡い。
この声に弱いのに。
私は籠の中の鳥。
だけど甘く囁くのは私じゃない。
あなたは夜な夜な囁く。
今までと違う甘い声…………