短編集
鴉
結局、愛鷹からの情報は保留になった。
自宅から連絡が入り、今すぐに帰って来いと……急を要する緊急事態。
烏……か。
毎年、年に一度だけ神社への道が開かれる。
祭りのとき以外は、そこを管理する者だけが通行を許される道。
隔離された秘境の地。幾つもの曰く付き。
怖いもの見たさに、好奇心の子供が行方知れず……
近づいてはいけない。
……神域……禁忌の社。禁断の道。
『悪夢をみた』
あぁ。俺も、記憶に残らないのに、恐ろしく怖い夢に怯えた。
起きて夢だったことに安堵しながら、震えが治まらず……冷たくなった体に身を抱き寄せた。
何度も何度も、繰り返してみる夢。
それは決まって、祭りの時期だった。
それが……烏?
家に着き、周りから急かされるように父の元へと、部屋に通された。
「ただいま。」
「お帰り。座りなさい……」
父は珍しく、言葉を濁らせる。
いつも厳しくて、真っ直ぐに俺を見つめた。言いたい事だけを、常に用意された言葉を受けてきたんだ。
他人のように感じることが嫌だったのに、それが一人の女の子に覆される……
「白鷺、烏が古巣に戻った。西嶌家の女。この地を災いに導く。多分、最後の烏……」
愛鷹と話をしていなければ、全く分からない言葉だ。
父も、どの様に伝えれば良いのか分からないのだろう。
大きなため息を吐き、首を振る。
表情に厳しさは無く、悲しみと辛さと……複雑な笑み。
「白鷺、古い文献を受け取りなさい。」
父から、一冊のボロボロになった巻物を渡される。
開くと、崩れてしまうような脆さ。
「それは、家系を記した巻物。俺達は、その片鱗……。烏が古巣に戻り、何度も災いを……この地、東・北・南の家系にもたらした。すでに六つ。それは、その度に烏を手に入れた故の災い。頼む……手に入れることを、望まないでくれ。」
西嶌を手に入れる?
それを、俺が望む……と?
「時代は変わった。すべてを喪っても、手に入れたい者など無いはずだ。白鷺……言伝えでは、『烏と出逢った日、悪夢をみる。流れた血に、刻まれた記憶が呼び起こされる。』と。そんな記憶を知って尚……お前は、災いを望むのだろうか……」
父は、静かに立ち上がり部屋を出て行く。
見たことのない涙を流しながら…………
『それでも……尚……』
手には巻物。
今まで築いてきた家系。その片鱗の俺が……それを喪っても、望む“からす”。
今夜、あの悪夢をみる。
記憶に残り、理解できなかった恐怖を味わう。
過去に何があったのか……俺に、これから臨む事。
夏の暑さの残る夜。
近くの川へ行き、禊を行う。
川の流れは緩やかで、月明かりに周りも気にしなかった。
髪から滴る水。前髪をかき上げ、顔を手のひらで拭う。
はぁ……
濡れた手を見つめ、ため息。
腰まで水に浸かり、上半身は真夏の湿気を含んだ風を受ける。
古の生業を護る儀式。
俺は片鱗……
「ふふ。いい景色ね?」
川辺に、立っていたのは西嶌。
「何、俺の裸……見ていたの?」
男の胸を見られたところで、減る物じゃない。
女の子が恥じらいもなく、下も見ていたのか?
冷静だった自分の思考がグルグル。
「綺麗な月、それを映す清らかな川の水。くすっ。そこに美男子の裸体……眼福かしら?」
冗談と本気が分からない。
「ここは、私有地だよ?境界線がないけどね。」
片手で水をすくって、自分の身にかける。
「知ってるわ、私が覆すから。ふふ。くすくすくす……血は争えないのね。避けたのよ、私自身……災いだと認めたくなかった。白鷺。夢で会いましょう。……恨んで、憎んで……お願い。」
彼女の悲しげな表情に、目を奪われた。
『私は烏。私に関わると、すべてを失うわよ。』
君の警告。裏腹な寂しさの見えた言葉が、俺に突き刺さる。
揺れる髪が、黒紫色こくししょくに輝いて……奪われる心。
刻まれる想い。深まる愛情を予告するかのように、深い黒色の麗しい紫……その同色の瞳に囚われる。
手に入れたいと望み、その欲望が激しく燃え上がる。
消えることなく、燻る炎を胸に秘め。
俺の未来を告げる。
災いの悪夢をみても……尚、それは…………
子烏の片鱗