短編集
トキくんを事務所から追い出した木之下さんの空気が、凍るほどに冷たいのが伝わる。
どんどん私に近づいてくるのに、いつものような嫌味も無く無言。
身体は固まったように動けず、視線を向けることも出来ない。
私の横まで来て、大きなため息。
「はぁ~~。ホント、気を付けてくれよな。……まぁ、俺の監督不足か。三浦、大丈夫か?」
いつもは名字なんか使わないくせに。こんな時だけ。
泣きそうになるのを堪えて、口を開く。
「大丈夫です。それより……私、どうすればいいですか?」
年下の男の子とはいえ、大人の男性から弱さを見せられ、グラつくような感情。
好きとか、恋愛感情ではないけれど、どうしても何か力になってあげたい。
「男に同情で行動するのはお勧めしないっす。ま、何があったかなんて知らんすけど。」
木之下さんは普段と同じ口調に戻る。
思わず笑ってしまった。
「ふふっ。……木之下さんは、トキくんのお父さんを知ってるんですか?」
私が同情するような内情を知っているのは確かだろう。
木之下さんに包み隠さずに尋ねた方が、今の状況を把握してくれるかもしれない。
「知ってるっすよ。そっすね。職人をたどれば、居場所くらいは分かるかもしれないっす。」
視線を向けた私から視線を逸らし、自分の机に移動していく。
「あいつは俺に訊いて来ないし、職人の誰にも尋ねないっすよ。それを……まぁ、逃げてるだけっすか。念押しするけど、同情で優しくするなら覚悟決めろ。」
机の引き出しから書類を出して、現場に戻るのだろうか。
颯爽と入り口に向かい、振り返って向けた視線は真剣だった。
嘘じゃない。
誰にも自分から父親の事を尋ねないのに、私にだけ言った本心。
探しているのだと。
次の日の朝。
私は事務所に入ってタイムカードを打ち、珍しい人の気配に挨拶をした。
「おはようございます。」
いつもなら、現場の見回りでいない所長と木之下さん。
「おはよう。三浦さん、ちょっといいかな?」
所長から手招きで、職人さんたちが昼食を食べる広い机に呼ばれた。
私、何かやらかしたかな。
「はい。」
恐る恐る。指定された席に座って、二人の重たい空気に唾を飲む。
「冨喜くんだけど、昨日で退職したよ。」
え?声も出ないくらい驚いた私。
所長は視線を木之下さんに向けて、説明を促す。
思わず私も木之下さんに目を向けた。
「三浦、あいつ……冨喜はSペイントのスパイだったんだ。」
Sペイントのスパイ?
トキくんが他社のスパイ?