短編集

成哉と同じように、移動の装置を作動する。
きっと、同じ使用法目的…観察対象のそばに行くため。

朱莉沙のいる大学…講義を受けている様子の見える木の上。
じっと、観察する。

俺に向ける視線とは違う、真剣な表情…
今、彼女の思考を占めるのは俺じゃない。
俺の中は、こんなに君だけで占められているのに…

木の匂い…風を感じ、見つめるのは部屋の中。
君は、俺の感じる物を共感しない場所にいる。
違うんだ…観察対象じゃ、満足なんて出来ない。

君は俺に尋ねた…観察対象なのかと…
同じ場所や、共感する同じ立場を意識したのは…君の方だった。

涙が零れる…悲しさと、寂しさと…情けなさ。
違いを味わい…孤独…

博士の与えた愛の巣…共に住んで、同じ物を共感するスペース…
恵まれた環境を与えられた。それも、覆る…

「朱莉沙、もう…遅いのかな?」

博士の準備した分厚い取説を手に、開いて読んでいく。
すべて目を通した。
理解したと思っていた文字の並び…自分の学んだ感情が、視点を変化させる…新たな理解

君は、俺の花嫁…観察対象…だった。解放してあげる…
君は選んでくれた。
俺の語った知識への好奇心が…ほんの少しの愛情を育てたのなら、それを壊すのも簡単だろう。

君も、俺を観察していたんだ…
俺への関心が薄れる様に、俺への愛情も消えるだろう。
きっと、俺の中の愛情も…育った愛情は、枯れて消える。

取説には、絶対にしてはいけない禁止事項も記載されている。
それをすれば、嫌われる…愛情は育たない。
育った愛情は、すべて…消える。

朱莉沙の中で、俺への愛情が嫌悪に変わるだろう。
傷つけて、君の中に…俺は、最低な奴として記憶に残る。
それも、いつか忘れ、共有する幸せを永続させる相手を見つけるだろう。


移動の装置を作動させ、今日で最後になる愛の巣へと向かう。
玄関で靴を脱ぎ、共有した香りのする部屋に入る。
リビング…台所…ほんの数日で、ここには二人の生活の思い出が詰まっている。

朱莉沙の部屋と、俺の部屋…博士は、最初から…俺達を夫婦として扱わなかった。
俺の花嫁だと、与えたのに。

それは観察対象……


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