短編集
内密は暴きます
耳にして
林田 希(はやしだ のぞむ)。
風紀委員長。男。
高校の敷地は思いのほか広く、手分けしての見回り。
先生方の手が回らないのだと、いつも駆り出されて昼休みは大半がつぶれてしまう。
そんな見回りの厳しいのを知った状況でも、風紀を乱す者が数名。
そして耳にした言葉に茫然。
「お前には理解できないだろうな、あの快感は。」
快感なんて、明らかに健全とは言えない響き。
「おい、そこにいる奴。クラスと名前を……」
俺の声と同時に、舌打ちで脱兎。
素早い後姿に、追う気も失せる。
一色 敦(いっしき あつし)。
あいつ、確か隣のクラスの不良だよな。
見覚えがある。
最近は授業も、真面目に受けていると聞いていたけれど。
それも関係しているのか。
聞き間違いでないなら、あの言葉は。
『生徒会長に頼めば、スゴイ経験が出来るぜ。だけど。お前には理解できないだろうな、あの快感は。』
生徒会長だと?
一色と、あの……久留主 萌音(くるす もね)との間で、一体何が。
頼めば経験できる快感。
頭に血が上ったのは、想像からなのか怒りからなのか。
駆られるような衝動。
生徒会室のドアの前に立ち、ノックしようとした手を止める。
中に入って、何と問いただせばいいのだろうか。
不良の溜まり場で聞いた、根拠のない噂かもしれない。
「あら、林田くん。私に何か用事?」
後ろからの声に心臓が跳ねる。
一気に心音が早くなるのを感じ、戸惑いで上手く笑えない自分。
「中に入って。誰もいないから。」
誰もいない部屋に、風紀委員と言っても男の俺を安易に誘うなんて。
いや、ここは生徒会室。
他の役員だって、出入りは自由に……出来る場所じゃない。
彼女は、動こうとしない俺の様子に首を傾げた。
その動作に連動して、長い髪が揺れる。
サラサラと流れる綺麗な黒髪。
それが乱れる映像が頭を一瞬で過り、俺はドアの前から退いた。
久留主は俺の横を通り過ぎ、ドアを開けて中に入る。
「遠慮しなくていいわ。あなたも忙しいと思うし、早く終わらせましょう。」
頭がグラグラするような感覚。
自分の理性が揺らぐような、危険信号を発しているのが分かる。
「いや、用事があるのは君じゃない。他がいないなら失礼するよ。」
あまり目も合わせず、俺は背を向けた。
ただの噂かもしれない。それが本当だとしても。
今の俺では彼女に対して、感情的なって何をするのか分からない。
この燻るような胸にある感情の正体が何なのか。
生徒会室から遠ざかり、足を止めて振り返る。
ため息が漏れ、安堵と苛立ち。複雑な思い。
憧れはあった。
文系の彼女は論理的で、静けさの漂う大人のような雰囲気。
俺だけじゃない。
遠巻きに見つめる男子生徒は多数いて、女生徒からの信頼もある。
そんな彼女に似つかわしくない噂。
彼女が男に与える刺激的な快感が何なのか。
理解できないどころか、想像さえつかない。
だから、俺の憶測が過剰に膨らんでいく。
俺の中で、彼女を汚している。
勝手な思い込み。
彼女に裏切られたような苛立ち。
俺の知らない彼女が。
誰かに見せている表情や淫らな姿が。
俺の欲望に火を付けるように、情欲を煽っていく。
抑制も効かず、自分を見失い、淡い恋心が黒く染まってしまった。
俺の認識と異なる彼女に抱いた感情は、複雑で消化不良。
何も知らない事が怖い。
耳にしたのは不良の口から出た、真実かも分からない言葉なのに…………