言葉の先にあるもの

友達

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翌日、LINE友達の上田紗希(25歳)にオーディションの模様を伝えた。紗希は障害者施設の作業所に通っている。どういうわけか、35歳も年齢が離れているのに意気投合し、友達関係が続いている。彼女はバラエティー番組を見るのが好きで、オードリー春日のファンらしい。紗希とは三ヶ月前、同じ作業所の体験に行った際にLINEを交換した。康二は還暦を迎えようとしているが、スマホの扱いは若者並みにこなせる。そもそも体験に行ったのには理由があった。紗希の友達である荻野真子(29歳)が、彼女と同じ系列の作業所に通っているため、そこで会う機会があるかもしれないと考えたからだ。しかし、体験してみると、少し働いた経験がある康二にとっては物足りなかったのが正直なところだった。
真子は康二が片思いしている相手だ。年齢差は30歳以上ある。一緒に食事をするのが精一杯だが、それでも彼女のことがとにかく気になって仕方ない。康二は、咲希と知り合う1ヶ月前に、20年交際していた彼女を病気で亡くしている。しかし、女性の友達が多かったことが、その悲しみを少し和らげてくれていた。
今日は紗希と親友の江口克浩(50歳)の3人でカラオケに行った。克浩は、30年前に受けたジャニーズのオーディションについて「東京での最終選考に行かなくてよかった」と胸をなでおろしていた。ジャニーズの問題が発覚し、そのことを思い出すとゾッとしたのだという。オーディションでは選考に残った経験があり、ポップスの歌唱力は抜群だった。
克浩は結婚しているものの、安月給のため姑に嫌われており、寝床だけは与えられているものの、同じ家に住んでいるにもかかわらず別居状態のような風変わりな生活を送っている。克浩はチューブの歌が得意だ。発声の基本もしっかりしているし、毎日ランニングをしているおかげで腹筋が鍛えられており、良い声を持っている。

毎朝、テレビ局の「人生で大きな失敗選手権」のスタッフ10名が会議室に集まった。この日は熊本会場での応募者についての話し合いだった。浜脇康二の選考に関して、番組プロデューサーの足立郁人(50歳)が意見を述べた。
「彼は統合失調症を題材にしてアピールしていますが、精神病を取り上げると番組全体が暗い雰囲気に傾く可能性があります。さらに、女性に関するエピソードも添えていましたが、その内容は個人のプライベートに深く踏み込む可能性があり、話題性を考慮してもリスクが高いと言わざるを得ません。私としては、今回は見送りを提案します」
すると、面接を担当した中林ディレクターが補足した。「確かに彼にはいろいろなエピソードがあるようです。ただ、今回ではなく、次回の応募に期待しても良いのではないでしょうか」
二日後、康二のスマホが鳴り響いた。発信元は「03」で始まる番号だ。それを見て、康二の心臓が一瞬高鳴る。
「今回の応募は見送りということで」
電話の向こうから告げられた言葉に、康二は肩を落とした。しかし、ディレクターは続けてこう言った。
「次回の応募、よろしくお願いします。次のオーディションは福岡会場で行いますので、またお会いしましょう」
その言葉に何か期待を感じた康二は、咄嗟に思いついた新しいネタを胸に、次回への意欲を密かに燃やしていた。紗希に電話をすると、これから事業所の行事でカラオケがあるという話だった。話を続けるうちに、荻野真子が毎回参加しており、カラオケがとても上手いという情報を得た。その瞬間、康二は何かピンとくるものがあった。
体験だけで、行くことを拒否した出来事は失敗だった。真子の情報を紗希に尋ねると、彼女が毎週土曜日の午後に市内の図書館を訪れる習慣があることを知った。彼は偶然を装い、同じ時間帯に図書館へ足を運ぶことにした。その日、康二は図書館の文学コーナーで本を手に取り、真子の姿を探した。しばらくすると、彼女が近くの棚で本を選んでいるのを見つけた。康二は心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、彼女の近くの席に座り、本を開いた。数分後、真子が隣の席に座った。康二は意を決して声をかけた。
「こんにちは。よくここに来られるんですか?」
真子は少し驚いた様子で顔を上げたが、すぐに微笑んで答えた。
「はい、毎週土曜日に来ています。あなたも読書が好きなんですか?」
康二はとっさに答えた。
「ええ、特に小説が好きで。今日はたまたま時間があったので来てみました。」
真子は、さらに言葉を話し始める。
「私の事知っていらっしゃるのですか」
康二は「精神科デイケアで何度がお会いしました」
すると真子が意外な言葉を発した。
「浜脇さん」そうですと答えると。いつもメガネをかけてるからわからなかったそうである。
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