はじまり
 私の住む県は夕立が多いらしい。
 夏になると、毎日のように夕立が発生する。

 夏休み目前の七月中旬。
 この日もいつものように教室で授業を受けていた。五限目の英語はいつになく眠くなって、気を抜くと寝てしまいそう。

 この眠気をどうにかしようと外を見てみると、黒い雲が広がっている事に気が付いた。風も強くなっていたようで、桜の木の枝がお辞儀をしているみたいに揺れている。

 何気なく窓の外を見ることが出来るのは、この席の特権だと思う。窓際の前から三人目。教壇に立っている先生にバレているかもしれないけれど、怒られたことは一度もない。

 やだなぁ、今日も夕立かぁ。
 何でいつも帰る頃に天気が悪くなるんだろう……

 夏は好きだけど夕立は嫌い。
 涼しくなるのは良いけれど、大雨だと憂鬱な気分になるから。休みの日か夜に降れば良いのに。

 ホームルームが終わった頃には予想通りどしゃ降りになっていた。校舎の中にいるというのに聞こえてくる、激しい雨音と雷鳴。

 とはいえ、早く帰りたいわけで。

 下駄箱で靴を履き替え、折り畳み傘を出そうと鞄の中を探る。この時期の必需品なのに見当たらない。

「あれ?」

 朝、鞄に入れなかったっけ?
 昨日も使って、晴れてから外に干して……

 そこまで思い出してハッとした。
 どうやら、玄関に置き忘れてしまったらしい。最悪だ。

 軽くため息をつき教室に戻る。
 どしゃ降りの雨の中、無理に帰ることはしなかった。バス停までの短い距離とはいえ、全身ビショビショになるのは嫌。

「あれ、池田?」

 自分の席でスマホをいじっていると、突然名前を呼ばれた。

 クラスメイトの新井碧斗だった。
 あまり話したことがないのに名前を呼ばれたのは、私が一人で暇そうにしていたからだろうか。

「こんなところで何してるん?」

「んー、雨宿り」

「傘は?」

 教室の入り口からスマホに視線を戻す。
 リアルタイムの雨予報を確認してみても、まだやみそうになかった。

「忘れた。新井は何しに来たの?」

「俺は忘れ物を取りに」

「ふーん」

 新井の席は私の後ろ。
 机から何かを取り出したような気配がした。私はというと、雨予報とにらめっこしたまま。

「池田」

「何?」

「これ貸してやるよ」

 机の上に置かれたのは紺色の折り畳み傘。
 視線をスマホから上に移すと、新井と視線がぶつかる。

「……コレ取りに来たんじゃないの?」

 勝手にそう思い込んでいただけで、違う物を忘れた可能性もある。まぁ、机に折り畳み傘なんて入れないか。

「そうだけど貸してやる」

 入れてたんだ。って、そこじゃない。

「いいよ。新井が濡れちゃうじゃん」

「俺は平気だから。それ使って」

 断ったのにも関わらず、そう言って教室から出て行った。机の上に置いてある傘と、出入口を交互に見る。

 いやいやいや、平気だからって何?
 私に傘貸して、自分はビショ濡れになって帰るってこと?

 さすがに悪すぎるでしょ。
 置いていかれても困るんだけど……

「ちょ、新井!?」

 教室を飛び出してみても新井の姿はない。
 ダメ元で昇降口まで走ってみる。すると、靴を履き替えている新井を発見した。

「新井! 新井がこの傘使いなよ!」

 力の限り叫んだ。
 そうしないと、このどしゃ降りの中聞こえないと思ったから。

「池田と一緒に帰れるなら使う」

 私の声に気付いた新井は、私の方を見てニッと笑う。

「えっ、それって……」

「相合い傘」

「む、無理に決まってるでしょ!?」

「それは残念。じゃあな」

 新井はそう言って、鞄を頭の上にかざしながらどしゃ降りの中へ消えて行った。

「なんなのよ、もう! 冗談だとしてもタチが悪すぎる!」

 この日から新井の事を意識するようになる。
 自分の恋心に気付くのは、まだ少し先のお話。

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