身代わりの少女騎士は王子の愛に気づかない
【3-6】穏便に済ませる方法
「あの身のこなし……、判断力、素早さ。勇敢だし、身を挺してエグバード様を守ろうだなんて、あなたすごく素敵よね。いったい何者なのかしら……?」
ソファに並んで座り、手を握られたままアシュレイは冷や汗を浮かべる。
(ええと……? なんかこう、ちょっと変な空気なんだけど、これはどうしたら良いんだろう……?)
少なくとも「暗殺しに来ました」と言い出せない空気だ。暗殺に宣言は必要はないかもしれないが、もともとろくになかった殺意がどんどん失せていくのがわかる。
かといって、好意にすり替わっているわけでもない。
ごく普通に(なんかやばいんだけど……! 具体的に何かって言えないけど、何かが!)という恐れに近いものをひしひしと感じているのだ。
「あのですね、姫様、お手を離していただけると……」
しっとりとしていて少し冷たい手。無下に振り払うことができず、弱い声でお願いとして申し出てみる。
泣き黒子の色っぽい目元に笑みを滲ませて、アリシアはきっぱりと言った。
「い・や。あなたにすごく興味を持ってしまったの。……噂に聞く美姫とはイメージが違うと思っていたのだけど、まるで少年のようね。これはこれで」
つうっと指で手の甲を撫でられて、背筋に悪寒が走った。
(ブスで! ブスでいいです!!)
好意にも種類というものがありまして。
向けられるとなんとなく心が温かくなるものと、危機感を覚えるもの。
なぜ後者のようなうすら寒い感覚が沸き起こるかと言えば、ひとえに。
好きだから可愛がりたい、つまり「愛でる」と。
好物としての好き、つまり「食う」の違い。
捕食されそうな危険性をひしひしと感じている。
「髪も短いし、体つきもほっそりとして肉付きも悪いし。エグバード様、こんな姫君のどこが良かったのかしらと思っていたのだけど。よく見ると……ふふっ。すごく可愛い顔をしているわ。殺さなくて良かった」
(ああ、素直に喜べない。生きていて良かったのかな……? 生きるってなに?)
アリシアがもう一方の手を伸ばしてきて、アシュレイの頬に触れる。
ぞくぞくと、穏やかならざる感覚が全身を駆け巡って行く。
アシュレイは、思わず目を見開いて見返してしまった。
「姫、御戯れはおよしください」
「そういうところもいいわ。エグバード様も健やかな男子なのだし、あなたのことは一通り弄んで味わっていると思うのだけど、この初心さといったらないわね。すごくそそる」
赤く紅のひかれた唇の奥に、赤い舌がちらりと見えて体が強張ってしまう。蛇に睨まれた蛙。
(ものすごくまずい気がする)
至近距離で見つめ合ったアリシアは文句なくうつくしい。
この掛け値なしの美貌、その維持のために不老不死に傾倒し、処女血を飲み干すタイプの連続殺人犯かもしれない、と愚にもつかない考えが頭をよぎる。
それならそれで戦って逃げ出せばいいだけなのだが。
アリシアがアシュレイを一般的な既婚者とみなしている以上、いまこの状況で彼女が狙っているのは処女的な何かではないはずだ。もっと別の。
アシュレイはソファの上で身じろぎしながら後退しつつ、焦って言った。
「アリシアさま、あの、ですね。そんなに魅力的な目で見つめられると困るといいますか」
圧がすごくて。
「あら、どう困るの?」
アリシアが、アシュレイが後退した分、腰を浮かせてさらに近づいてくる。ふわりと甘い花のような香りが漂い、間近で吸い込んだら頭がくらっとした。
(具体的に「どう」というのはとても言い難いのですが)
たとえばどちらかが男性だった場合、距離としては近すぎるように思う。
しかし女性同士だ。何かおかしな気配を感じているとしても、それを口にするのは自意識過剰に過ぎる気がする。
難しい。とても難しい。
言葉に詰まったアシュレイの脇腹に視線を向けて、アリシアはにこやかに笑った。
「怪我の具合はどう? 痛くない?」
「普通にしている分にはそこまでじゃないんですけど、そこに力が入るような動きや体勢になった場合には痛いです」
聞かれたので素直に答えたところで、アリシアが手を伸ばしてきた。
止めるまもなく、ごりっとそこを握られる。
「………~~~~~~~~っ!?」
あまりの痛みに、意識が飛んだ。
目の前が白くなる。声も出ない。
座っている体勢を取っていられなくて、ずるりと体がソファの上で崩れ落ちた。かは、と変な息が口からもれる。
アリシアは、怪我から手を離したものの、涙目になったアシュレイを見つめながら素早くその上に体を乗り上げてきた。
凛々しい少女騎士の面目など丸つぶれで姫君に敗北しつつ、アシュレイは息も絶え絶えに言った。
「アリシア姫……? やっぱり狙いは処女の生き血ですか……?」
アリシアの瞳がきらりと光る。
「既婚者なのに処女なの?」
失言。
自分のミスを悟ったアシュレイに嫣然と微笑みながら、アリシアはアシュレイの頬を掌で包み込んだ。
「つまりエグバード様は、『そういうこと』なの?」
(あ、これは何か、まずい質問をされている。答え如何によっては、エグバード様の何かを傷つけてしまうような……)
「『そういうこと』というのは……?」
ひとまずかわそう、とすっとぼけてみる。
にこっ。
アリシアはなおさら笑みを深め、アシュレイは内心 (ひえっ)と息を飲んでいた。
「そうねぇ。『男として役に立たない』ということかしら」
どうしよう。
どうしよう。
(ここでそれを認めたらエグバード様の名誉は回復不可能なレベルで傷つけるかもしれないけど、アリシア姫の横恋慕は終わりを告げるのかもしれない……)
どうしよう。
いっそ言ってしまおうか。「その通りです、使えない男です」と。罪悪感はあるが、何もかも解決するにはそれが一番穏便で誰も(※エグバード以外)傷つけない方法のような気がしてきた。
アシュレイは、覚悟を決めて息を吸い込む。
(ごめんなさい、エグバード様。これ以外の方法はなさそうです……!)
「はい。実はエグバード様は」
言いかけたそのとき、どこか遠くから人の悲鳴が聞こえた。
ソファに並んで座り、手を握られたままアシュレイは冷や汗を浮かべる。
(ええと……? なんかこう、ちょっと変な空気なんだけど、これはどうしたら良いんだろう……?)
少なくとも「暗殺しに来ました」と言い出せない空気だ。暗殺に宣言は必要はないかもしれないが、もともとろくになかった殺意がどんどん失せていくのがわかる。
かといって、好意にすり替わっているわけでもない。
ごく普通に(なんかやばいんだけど……! 具体的に何かって言えないけど、何かが!)という恐れに近いものをひしひしと感じているのだ。
「あのですね、姫様、お手を離していただけると……」
しっとりとしていて少し冷たい手。無下に振り払うことができず、弱い声でお願いとして申し出てみる。
泣き黒子の色っぽい目元に笑みを滲ませて、アリシアはきっぱりと言った。
「い・や。あなたにすごく興味を持ってしまったの。……噂に聞く美姫とはイメージが違うと思っていたのだけど、まるで少年のようね。これはこれで」
つうっと指で手の甲を撫でられて、背筋に悪寒が走った。
(ブスで! ブスでいいです!!)
好意にも種類というものがありまして。
向けられるとなんとなく心が温かくなるものと、危機感を覚えるもの。
なぜ後者のようなうすら寒い感覚が沸き起こるかと言えば、ひとえに。
好きだから可愛がりたい、つまり「愛でる」と。
好物としての好き、つまり「食う」の違い。
捕食されそうな危険性をひしひしと感じている。
「髪も短いし、体つきもほっそりとして肉付きも悪いし。エグバード様、こんな姫君のどこが良かったのかしらと思っていたのだけど。よく見ると……ふふっ。すごく可愛い顔をしているわ。殺さなくて良かった」
(ああ、素直に喜べない。生きていて良かったのかな……? 生きるってなに?)
アリシアがもう一方の手を伸ばしてきて、アシュレイの頬に触れる。
ぞくぞくと、穏やかならざる感覚が全身を駆け巡って行く。
アシュレイは、思わず目を見開いて見返してしまった。
「姫、御戯れはおよしください」
「そういうところもいいわ。エグバード様も健やかな男子なのだし、あなたのことは一通り弄んで味わっていると思うのだけど、この初心さといったらないわね。すごくそそる」
赤く紅のひかれた唇の奥に、赤い舌がちらりと見えて体が強張ってしまう。蛇に睨まれた蛙。
(ものすごくまずい気がする)
至近距離で見つめ合ったアリシアは文句なくうつくしい。
この掛け値なしの美貌、その維持のために不老不死に傾倒し、処女血を飲み干すタイプの連続殺人犯かもしれない、と愚にもつかない考えが頭をよぎる。
それならそれで戦って逃げ出せばいいだけなのだが。
アリシアがアシュレイを一般的な既婚者とみなしている以上、いまこの状況で彼女が狙っているのは処女的な何かではないはずだ。もっと別の。
アシュレイはソファの上で身じろぎしながら後退しつつ、焦って言った。
「アリシアさま、あの、ですね。そんなに魅力的な目で見つめられると困るといいますか」
圧がすごくて。
「あら、どう困るの?」
アリシアが、アシュレイが後退した分、腰を浮かせてさらに近づいてくる。ふわりと甘い花のような香りが漂い、間近で吸い込んだら頭がくらっとした。
(具体的に「どう」というのはとても言い難いのですが)
たとえばどちらかが男性だった場合、距離としては近すぎるように思う。
しかし女性同士だ。何かおかしな気配を感じているとしても、それを口にするのは自意識過剰に過ぎる気がする。
難しい。とても難しい。
言葉に詰まったアシュレイの脇腹に視線を向けて、アリシアはにこやかに笑った。
「怪我の具合はどう? 痛くない?」
「普通にしている分にはそこまでじゃないんですけど、そこに力が入るような動きや体勢になった場合には痛いです」
聞かれたので素直に答えたところで、アリシアが手を伸ばしてきた。
止めるまもなく、ごりっとそこを握られる。
「………~~~~~~~~っ!?」
あまりの痛みに、意識が飛んだ。
目の前が白くなる。声も出ない。
座っている体勢を取っていられなくて、ずるりと体がソファの上で崩れ落ちた。かは、と変な息が口からもれる。
アリシアは、怪我から手を離したものの、涙目になったアシュレイを見つめながら素早くその上に体を乗り上げてきた。
凛々しい少女騎士の面目など丸つぶれで姫君に敗北しつつ、アシュレイは息も絶え絶えに言った。
「アリシア姫……? やっぱり狙いは処女の生き血ですか……?」
アリシアの瞳がきらりと光る。
「既婚者なのに処女なの?」
失言。
自分のミスを悟ったアシュレイに嫣然と微笑みながら、アリシアはアシュレイの頬を掌で包み込んだ。
「つまりエグバード様は、『そういうこと』なの?」
(あ、これは何か、まずい質問をされている。答え如何によっては、エグバード様の何かを傷つけてしまうような……)
「『そういうこと』というのは……?」
ひとまずかわそう、とすっとぼけてみる。
にこっ。
アリシアはなおさら笑みを深め、アシュレイは内心 (ひえっ)と息を飲んでいた。
「そうねぇ。『男として役に立たない』ということかしら」
どうしよう。
どうしよう。
(ここでそれを認めたらエグバード様の名誉は回復不可能なレベルで傷つけるかもしれないけど、アリシア姫の横恋慕は終わりを告げるのかもしれない……)
どうしよう。
いっそ言ってしまおうか。「その通りです、使えない男です」と。罪悪感はあるが、何もかも解決するにはそれが一番穏便で誰も(※エグバード以外)傷つけない方法のような気がしてきた。
アシュレイは、覚悟を決めて息を吸い込む。
(ごめんなさい、エグバード様。これ以外の方法はなさそうです……!)
「はい。実はエグバード様は」
言いかけたそのとき、どこか遠くから人の悲鳴が聞こえた。