身代わりの少女騎士は王子の愛に気づかない

【3-10】ひとときの休息

 アクチュエラ城に招かれ、当初泊まる予定だった部屋。

 蔦草に薔薇の絡んだ白ベースの壁紙が貼られていて、乏しい灯りの中でも、全体的にうっすらと明るい印象の部屋であった。
 磨き込まれて黒光りし、赤々と薪の燃える暖炉の上には陶器の花瓶や金の燭台が並べられている。
 壁には近隣の風景を描いたと思しき風景画が大小いくつもかけられていた。緑なす丘陵、深い森、青々とした水を湛えた湖。
 調度品の類はいずれもマホガニーで、テーブルと椅子や書き物机など、重厚で趣味の良い品々が居心地良さそうに整えられている。
 圧巻なのは幅広のマットレスに、カーテンからカバーリングまで全体を緑色でまとめた四柱式天蓋ベッド。かなりの大きさだが、部屋に易々と収まっている時点でこの部屋そのものがかなり広い。
 
 アリシア姫が、アシュレイの怪我を見かねたのか「もう城内で危害を加えることはない」と宣言をし、休息の為にと部屋を用意してくれたのであった。
 案内してきた従僕の手伝いを断り、部屋に二人きりになると、アシュレイを抱きかかえたままエグバードは大股に進み、ベッドにそっと置いた。
 すぐには体を伸ばす気にもなれず、アシュレイは小さく呻き声を開けながら、腹を抱えるように身を丸くする。

(痛かったし、体が強張ってる)

 エグバードが細心の注意を払って抱えてくれているのは感じていたが、解放されるとほっとした。

「とりあえず、楽な体勢になって。怪我の具合を見よう」

 そう言いながらも手を出してくる気配はなく、エグバードはベッドの横に突っ立ったままだ。
 アシュレイは、無駄に動くと痛みが襲ってくる為、なるべく身じろぎをしないよう気を付けつつ、目だけでエグバードを見上げた。

「エグバード様もお疲れでは?」

 目が合うと、エグバードは苦笑いを浮かべて溜息を吐きだした。

「ああ、まぁ。そうだな。昨日アシュレイが消えてから……ずっと……」

 痕跡を探して追跡して、見つけたと思ったら逃げられて。挙句、戦う羽目になり、その間にまたもやさらわれ……。といったところであろうか。

(そこからカイルと休戦して追いかけてきて、城壁を突破して衛兵を薙ぎ払って、だもんね。どれだけ体力があっても、さすがにもたないんじゃ)

 色々と振り回してしまった手前、何か優しい言葉をかけたいとは思うものの、舌がもつれてうまくしゃべれそうにない。
 仕方ないので、短くても通じる内容で話してしまう。

「ライアスさんは」
「反省している」

 即座に返答があった。
 彼がアリシア姫と通じていた件は、無事にエグバードの知るところとなっているらしい。
 その「反省」に、どの程度の実質的な罰が伴ったか。詳しいことはわからなかったが、エグバードの為を思ってのことであるし、そこまでひどいことにはなっていないのではないかと推測した。
 アシュレイはエグバードを見上げたまま小さく頷いて、表情だけわずかに笑みの形にする。
 それから、緩慢な動作で寝返りを打って、自分の横に一人分のスペースを作った。

「座りませんか」
「横に?」

 いいのか、と伺うように問われて、アシュレイは怪我をかばいつつもう一度転がりながら、もごもごと答える。

「広いので」
(ぶつからないようにお互いに気を付ければ)

 言い切れなかった内容が通じたかのように、エグバードはベッドを回り込むと、反対側から乗り上げて身を横たえてきた。
 ちょうど、ごろりと転がったアシュレイと目と目が合う。
 いつも穏やかな光を湛えた黒い瞳。

「怪我の手当てをと思っていて」

 まだ言い足りないとばかりに付け足されたが、アシュレイは目だけで笑いかけた。
「後で、大丈夫です」

 横になった途端に疲労が襲い掛かってきたのか、エグバードの瞼がいかにも重そうに見えた。
 エグバードも自分で気付いたらしく、大きな掌で顔を覆って目元を拭うような仕草をする。

「なんというか、苦労ばかりかけている。カイルの言う通りのような気がしてきた。俺はひどい夫だ」
「それは、べつに。姫様の駆け落ちを、止められなかった私の責任でもあって」

 話しているうちに怪我が痛み始めて、声が掠れてしまう。
 エグバードは痛ましげに眉をしかめつつ、言いにくそうに告げてきた。

「まあ、駆け落ちというか、オズワルド団長とともに国に帰っているらしいがな」

 耳を疑う内容。「え」と、ほとんど出ない声でアシュレイは聞き返してしまった。
 寝転がって向かい合ったまま、エグバードは話を続ける。

「何かと理由をつけて使節団の帰りを伸ばしていたが、団長は先に国に帰ったらしい。旅先から女性を連れて。自分の屋敷の奥で暮らさせて、ひとに会わせることもないということだが、気になったカイルは単身忍び込んでその正体を確認してきたそうだ。で、団長が連れ帰ったのが姫君だと判明。その上で婚姻が不成立となっていない以上、誰かが身代わりをつとめていると突き止めたと。それだけでなく、後になってレイナ姫がお前のことを心配になったということで、カイルに無事を確認するように姫と団長から命令が下ったとのことだ」
「なるほど……」

(だから私を取り戻そうとしていたわけか)

 熱烈に約束を交わした間柄でもないのに、何を血迷ってこんな遠くまで迎えに来てしまったのかと不思議に思っていたが、蓋を開けてみれば「仕事だった」というオチだ。それならそれで理解できる。
 しかも、王子の花嫁として無事で幸せに過ごしていればまた判断は違ったものになったかもしれないが、負傷しながら逃亡中。負傷した事実自体はエグバード側もアリシア姫側も了解しているので、いざとなったら「死んだ」ことにして終わらせるに違いない、と踏んで何がなんでも連れ帰ると奮戦したということらしい。

(カイルともっときちんと話し合えていたら。エグバード様の元に留まるか、カイルと国へ帰るのか。帰ってどうするんだろう)

 自分はいったい何をしているのだろう、とアシュレイは頭痛を覚えて目を閉じた。空回っている。完全に。
 もちろん、この件で少なくともレイナ姫は報われている。
 今回エグバードからの申し込みを断ったとしても、国にそのままいれば別の縁談をまとめられてしまっただけであろうし、その場合オズワルドと添い遂げることは不可能だ。
 であれば、おいそれと行き来できない国に嫁いだことにして身代わりを立て、自分は愛する人と生きるというのはレイナにとっては最良の結果だったはず。たとえ表沙汰にすることはできなくて、一生を館の奥で暮らすことになっても。

(私にとっては……)

「アシュレイ……? 寝たのか」

 遠くでエグバードの呼びかけが聞こえた。
 答えなければと思うものの、瞼が重い。口もぴくりとも動かない。

(エグバード様は、本来レイナ様にも私の故国にももっと怒っていいはず。レイナ様が帰国しているのは、王宮もグルになって隠しているのかも。この際、明るみに出してしまって、賠償金をふっかけるなり戦争を仕掛けるなり何か……。それを避けるために、エグバード様と私で了解済みの上で偽装夫婦となったのだけど)

 自分のことを、空回っているとは思うものの、可哀そうと思ったことはない。
 カイルに助けを求めたいと今現在も考えていないし、このままここに留まることで、少しでも国と国の外交問題が表面化するのを先送りにできるのなら、そうしたい気持ちはある。
 エグバードと可能な限り夫婦関係を続け、穏便に解消し、誰に知られることもなく姿を消す。
 しかし、肝心のエグバード自身はこの結婚をどう考えているのだろうか。

 ――それって『片思い』と言うのではなくて?

(アリシア姫はあんな風に言っていたけど……。私たちは恋に落ちていないはず)

 明確な利害関係で結ばれているだけだ。
 ベッドの上に投げ出していた手に手を重ねられる感触があった。
 乾いていて、あたたかく、少し硬くて大きな手。
 おやすみ、と低い囁き声が耳に届いた。


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