身代わりの少女騎士は王子の愛に気づかない

【1-3】牢獄にて

「それにしても友好をうたっての晩餐会でまさかの騙し討ちだなんて。こんなことをしてただで済むはずがないのに、いったい何を考えているのでしょう……」

 分厚い石の壁を見上げて、アシュレイは独り言のように呟いた。
 そのままぐるりと頭上や周囲の壁を見回す。どう突破すべきか見当もつかない。

「目的が身代金でないのは確かだ。何せ指示が『餓死させろ』だからな。どうする。三日もすれば腹をすかした俺が君に噛みつくかも」

 どこまでも余裕そうに言って、エグバードが声を立てて笑う。
 ちらりと肩越しに振り返り、アシュレイは溜息まじりに言った。

「ご自由に。私はもはやあなたのものです。肉を喰らうと言うのであれば、その前に首を絞めるなどして命を断っていただけたらとは思いますが。生きたままでは、痛そうなので」

 実際に、逃げられなければそうすべきだ。
 少しでも長く命を繋げられた方が、救出される可能性は高くなる。二人の内どちらが生きるべきかといえば、悩む余地もなくエグバードであると答えは出ていた。

 一方、「うーん」とエグバードは顎に手をあてて少しだけ考える素振りを見せた。
 やがて低い声で呟く。

「俺が妻になれ、妻になれと君の意思を無視して連れてきてしまったせいか、君の自己評価を著しく下げてしまったかもしれないな」
「そんなことはどうでもいいのです。今はここを抜け出ることを考えなければ。護衛として、この状況はあまりにも申し訳なく。……壁、破れないかな?」

 アシュレイは言うなり、壁に近づいて手で探り始める。薄いところ、脆くなっているところはないか。軽く拳で叩いて感触の違いを確認する。
 エグバードは「つれない花嫁だ」と呟いた。
 その緊張感のなさに、アシュレイは過剰な仕草で振り返る。
 相手が王子で夫であることも忘れて、胸に手を当てて強く言い返してしまった。

「私とあなたの結婚は『やむを得ない事情』です。あなたはほとぼりが冷めた頃に、もっと相応しい方を見つけて、『私』とは早急に離縁すべきなのです。無駄に気を遣って頂く必要はまったくありません。ましてやここでは見せつける相手もおりませんので。仲良いふりすら必要ないでしょう」

 結婚してしまったので。
 いきなり離婚するというわけにはいかない。
 ただし二、三年もすれば「子どもができない」など、なんらかの理由で離縁するなり愛人を囲うなりはエグバードの自由だ。
 そのときには、田舎の館に下がらせてもらうふりをして、国を出ようと思っている。

(子どもはできない。これは白い結婚……。体の繋がりを求めることはしないでくれるはず)

 もし求められたら応じないわけにはいかないのかもしれないが、差し当たりその様子もない。
 第一に。
 まずは、ここから出なければいけない……!!

「君の判断力や度胸は、見込み以上だ。なんというか……非常に申し訳なくなってきた」

 エグバードに神妙な声を出され、アシュレイもハッと冷静さを取り戻した。

「巻き込んだことですか? 世間的には夫婦なわけですから、この扱いは当然のことです。むしろ私たちが二人セットで扱われていること自体は成功と言えるわけでして」

 偽装結婚がバレていないということだから。

「それよりも、逃げる算段をしましょう。武器になるようなものはありませんが、このティアラとか……」

 自分の髪の毛を飾っている、宝石の埋め込まれた華奢なティアラを抜き取り、どこかに刃物でも細工されていないか確認する。何もない。がっかりはしたが、今後の課題とすることにした。

(姫様は武芸を嗜んでいなかったけれど、私は護衛騎士として生きてきたのだから、武器があれば戦える。持ち物にはもっと工夫をすべきだな)

 エグバードは音もなく歩み寄ってきて、アシュレイの横に立った。

「目的は、おそらく俺だ」

 片目を瞑って、ちらりと見下ろされる。
 アシュレイは力強く頷いてみせた。

「さすがにわかっていますよ。私の命など狙う価値もありません。といっても、どうして友好国の王子をこんな形で殺そうとしているのかは、わかりかねますが。すみません、政治に疎くて。もう少し真面目に国際情勢を勉強しておくべきでした」

(姫がエグバード様と結婚していた場合、私はそのままお仕えしていたはず。ここに、護衛として同行していた可能性は高い。だとすれば、何かしら問題や危険があることは、事前に把握しておかなければいけなかった)

 結婚の慌ただしさにかまけて、護衛としての本分を忘れ去っていた自分が恨めしい。

「いや、君が自分の不勉強を反省する必要はない。残念ながらここまでの事態は俺も予測できなかった。実は俺はこの国の姫君の縁談を蹴っている。王はそれでお怒りらしい。ここに閉じ込められる前に、これを与えられた」

 言いながら、エグバードは上着の内側からナイフを取り出した。
 柄に赤い宝石が埋め込まれ、鞘の彫りは瀟洒で実用品よりは祭礼品のようにも見える。
 しかし、抜き放って見せた刃に曇りはなく、切れ味は良さそうだった。

「武器を?」

 まだ意味が飲み込めずに首を傾げたアシュレイに向かい、エグバードは重々しく告げた。

「このナイフで君を殺し、『結婚は誤りだった』と認めれば俺の命は救う、と。殺せないのであれば共に餓死し果てろと。君と一瞬引き離された隙に、俺にだけ選択肢が突きつけられていたんだ」

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