ヴァージンママのイケメンハイスペ夫は無自覚ストーカー

ヴァージンママは夫と恋をしたい

 ハイスペックエリートイケメンは私の夫。
 5歳上の夫と結婚して元気な子供がいてお金に困らない生活――。他人から見たら、きっと羨ましいと言うだろう。
 でも、本当に私たちの結婚の内情を知ったら、誰も羨ましいなんて思わないんじゃないかな。
 私たちは、親同士が決めた結婚。それは、納得の上で入籍しているけれど、ナシ婚なんだ。

 恋愛もときめきも性交渉もないまま今に至る。
 夫は結婚前から私に対する興味がない。他に好きな人がいるわけでもなさそうだ。
 浮気をしているわけでもない。模範的で真面目な夫は仕事と自分のことだけの人。
 独身時代と何ら変わらない生活をしている。

 でも、子供がいるから、経験はあるんでしょ、と思われると思うけれど――。それは違う。
 最初から人工授精を希望した夫とは、手をつないだこともないし、キスもない。
 自称ヴァージンママ。処女母だ。

 愛情がないとか冷めているというよりは、最初から夫はそういう人だ。
 そう思って接してきた。あくまでいい妻というポジションで。
 一度も私たちの体感温度は温かくなったことがないので、冷めているというより、常温なのだろう。
 そして、夫はそれが普通の結婚生活だと思い、満足している。

 一度くらい手をつないでデートをしたり、偶然触れ合った瞬間に胸キュンくらいしてみたいのに――。
 それは多分この先もないだろう。寝室も結婚する前から別のほうがよく眠れるからという理由で別室だ。

 それに、夫は深夜一人でどこかに出かけることもある。もしかして浮気だろうか? しかし、すぐ帰宅するので、女と行為をしている時間はないようにも思える。そして、極めつけは、掃除している時に最近気づいたカメラのようなもの。これは、防犯カメラ? それとも監視カメラだろうか。監視されているのだろうか? 怖くて聞けないことばかりだった。

 誰から見ても物腰が優しく穏やかで、洗濯物は積極的にやる。家事をやってくれるというか、自分のものは自分で洗いたいらしい。
 潔癖主義で体臭、口臭ゼロのアイドルが目の前にずっといる状態。

 23歳で結婚をした私は、人工授精ですぐに女の子を授かった。そして、出産、育児、家事をするだけで精いっぱいの日々。
 お互いの実家は裕福だし、夫は高収入。この先私が仕事をする必要もないだろう。
 母としてだけで一生が過ぎるの? 
 妻として愛されてみたい。

 子供は一人で充分だと考えている夫は、もちろん何も求めてこない。
 本当にこのままでいいの? 最近私は自問自答する。
 3歳になる娘がこの春幼稚園に通うようになった。土曜日と日曜日は一日英語で生活するという教室に通わせている。
 久々に二人きりの時間ができた。ずっと母であった私が少しだけ母ではない時間が持てる。
 私はまだ27歳。まだまだ女盛りだ。欲求不満だというのも事実だ。

 顔だけはいい夫は休日は基本仕事をしている事も多い。パソコンに向かって作業をしているか、読書をしているか、テレビで映画を見ているか。
 会社の社長の息子であり、仕事ができる夫は仕事が生きがいなのかもしれない。
 でも、彼が心から笑った顔も心から怒った顔も私は見たことがない。
 彼はドラマの中の人のようで、素性を明かさない。
 例えば、ほとんどトイレに行かない。たまにトイレに行ったとしても、1分以内で済ます。一度も自宅で小以外はしていないと思う。
 少女漫画にでてくる排泄をしないイケメンそのものだ。
 彼は完璧にかっこいい人間を演じているのだろうか。
 もしかして、人間じゃないのかもしれない。
 彼の本音が全く見えない。
 これがテレビの中の俳優ならば鑑賞する見た目としては充分目の保養となるが、夫婦であり結婚生活のパートナーとしては鑑賞するだけでいいという訳もなく――。毎日自由だけれど、決まった日常の中で、私は愛を求めていた。


 一生に一度くらい恋愛だってしてみたい。

「なぜ、私と結婚したの?」
「健康診断書を何人か分みせてもらい、一番健康な君を選んだ。やはり健康は一番だからな」

 表情は変わらず、夫は真面目な顔で答える。せめて、見た目がかわいいからと言ってもらえたらどんなにうれしいか。
 イケメンのダメな姿とかギャップ萌えを味わうことなく日常が過ぎる。
 
「私と結婚したのは親に無理矢理言われて?」
「結婚して子供を持つことは当然だと教育されていた。俺の両親も毎日を淡々と送っていた。結婚は生活だから、母は忙しそうだった。医学的理論に従って子供を作ることは理にかなっているだろう。時間的な無駄がない」

 正論だと眉一つ動かさない夫を見てため息が出る。
 無駄がない。たしかに、時間は大切だし限りがある。
 でも、その無駄な時間に癒しやときめきがあるはずだ。

「育児や家事は大変だ。だから、子供は一人でいいだろう。これも理にかなっているだろう」

 今まで、周囲の言いなりだった私が、重い口を開いたのは自分自身意外だった。
 自己主張をするなんて、今までほとんどなかったから。
 結婚だって出産だって――妻になることも母になることも言われるがまま。
 でも、一度くらいクールと言うと聞こえがいいけれど、感情のない夫の感情を垣間見てみたい。そして、恋愛してみたい。

「自宅にある監視カメラは一体どういうこと?」
 その台詞に驚く夫は開いた口がふさがらないようだった。
 というのも一見カメラには全く見えない形で、とても小さいから、カメラなのかどうかもわからなかった。
 でも、気づいたとしたら夫が別の場所に移動するかもしれないと思い、言わないでいたのだった。

「そんなものはない。というかどこにそんな物騒なものがあるんだ?」

「監視カメラのことを親友達、職場の人に言っちゃうけど、それでもいい? 証拠はちゃんとあるんだから」

「すまない。それだけは勘弁してくれ!! 何でも要求を呑むから」

 珍しく慌てている。

「じゃあ、要求を言うね。今から、私とイチから恋愛しなさい」

 強めの語調に夫の顔が少しばかり変化する。そして、恋愛してほしいという言葉に結婚している夫は驚いたのかもしれない。

「恋愛? そもそも入籍しているんだ。恋愛とは結婚するための道具にすぎないだろ」
「違う!!!!」

 思わず声が大きくなる。自分でもその勢いに驚く。

「私は、ときめいてみたいの。一緒にドキドキしながらデートしたり、手をつないだり、そういったことをしてみたいの」
「ときめきなら映画や小説でも満たされるだろう。お金は常識の範囲で使用してかまわないと言っているはずだ。趣味に時間を費やせばいいだろう」
「私は、あなたとがいいの!!」

 自分でも予想外の反論だった。
 いつも言いなりで人に流されてばかりいた私が、こんなに自己を持って主張するなんて。
 想像以上に母でいることに疲れていたのだろうか。
 年相応のときめきが欲しいと思ったのか理由はわからなかった。

 顔立ちはとても好みで、一般的にもてるであろう雰囲気なのに28歳で独身だった夫。
 その夫が私のパートナーになった。
 普通に考えればその過程に恋愛ドラマがあったはずだ。
 でも、そうじゃなかった。
 ただ、私たちは婚姻届けにハンコを押して提出しただけだった。

 多分、私はこの人が好きなんだ。恋愛経験がないからわからないけれど、多分、この人と恋愛してみたいと思っているんだ。
 
「結婚するために恋愛するものだろう。君はなぜ、そんなことを言うんだ。もう結婚しているじゃないか」
 少しばかり困惑しているような気がする。正直彼の表情はあまり変わらないから読みにくい。

「私はあなたが好きなの。順番が逆でもいいでしょ」
 少し沈黙が続く。

「恋愛とは……何だ? 何をするんだ?」
 戸惑いながらの質問だ。実に夫らしい。

「多分……好きな人と、一緒に出掛けたり、手をつないだり、心を通い合うことが恋愛なんじゃない? ドラマとか小説だとそんな感じだと思う」

 改めて言われると正直わからなくなる。好きになるってどういうことだろう。好きにも種類がいっぱいあって――。
 恋愛の好きというのはどういうものなのだろう。ましてや夫婦となると恋愛じゃなくて本来ならば夫婦愛なのかもしれない。

「私たち、恋愛しないで夫婦になって親になってしまった。でも、夫婦愛にいきなり到達するのは難しいと思うの。だから、子供がいない時間は恋人として過ごしてみない?」

 控えめに提案する。でも、夫婦であるからには冷たい夫にも少しは愛情があるはず。妻の頼みを断るような無碍なことはしないだろう。そんな期待とは裏腹に――

「無理」

 考える隙もなく彼は冷たく言い放つ。そんな馬鹿な。目の前が真っ白になる。

「なぜ? 恋愛は無理なの? 私が嫌い? それとも女性が嫌いとか……」

 私の瞳は疑いに満ちていた。

「男の人が好きなの?」

「違う。誤解は困るが、人を好きになるということがとても面倒なんだ。付き合うという交際期間も煩わしいから結婚したのになぜ今更恋愛をしなければいけないんだ。すれ違いで別れるとかよくある話だ。だから、結婚という法的根拠に基づいてだな……」

「結婚しても別れるってこともよくある話でしょ」

「でも、君は俺の扶養に入っているから仕事をせずに専業主婦という立場にある。君は大学は出たが資格を持っていない。手に職を持たず一度も社会人を経験していないような人間がシングルマザーとして生きていけるわけがないだろう」

「手に職がなく、一度も社会人を経験していない女性を選んだのは、離婚をしないだろうという理由だったのね」
 私の眉はひきつる。

「それに、処女であり彼氏がいない健康な女を選んだら私だった。それだけじゃないの?」
 正解だったらしく反論の余地はないようだ。
 ムカつく男だ。

「それに、離婚は双方の合意が必要だ。俺は絶対に印鑑を押さない。だから離婚はできない」
 断固離婚拒否の夫。

「私が浮気をしても離婚はしないの?」
 少しばかり夫の頬が引きつったように思う。

「離婚はしない。社会的にまっとうな人間として家庭を持っていることは最低限のルールだと教えられて育てられたからな。浮気したいならするんだな。万が一離婚しても、君の不貞が理由であれば俺は一切お金を出す必要はないという法律がある。君の実家は実はとても複雑だ。親との仲が悪く実家を頼ることはできないことは調査済みだ。つまり、君は離婚できない」

 実に冷静な言葉と理屈を並べる。

「監視カメラの話をあなたの親や会社の人にしたら社会的信用がガタ落ちね。まさか、盗撮盗聴変態男だなんて」
 夫の顔は青ざめる。

「違う。ちゃんと間違いがないか観察していたんだ」

「3年別居すると離婚は成立するのよ。あなたの同意がなくってもね。監視カメラって離婚に有利かも。証拠はちゃんと探偵を使って保存しているから」
 夫は渋い顔をする。少しばかり考える。

「離婚は困る。俺は好きになる方法がわからないが、君の意向にできるだけ沿ってみよう」
 妥協した夫。こればかりは仕方ないという顔だ。


「これで恋愛ができるわね。よろしく、じょーくん」

「じょーくんだと? 君はそういう性格だったのか?」

「人は見た目で判断できるものじゃないでしょ」

 こうして、私たち夫婦はまず恋愛をゼロからはじめることとなった。

「では、隣に座らせていただきます」

「一体何なんだよ」

 今日は休日だが、子どもは英語教室でほぼ1日いない。
 ソファーに座る夫にぴったりと寄り添う距離で座る。イケメン夫は戸惑う。思えば、この人がクールにしている姿しか知らない。家族なのに、悲しんでいる姿も戸惑っている姿も、恥ずかしそうにしている姿すらも知らない。いつも、何でもできる完璧で表情がかわらない人形みたいな人間だ。体調を崩している姿を見たこともない。もしかして、この人、ロボット? 変に疑ってしまい、じーっと見つめる。

「ねぇ。私の顔が好きだから結婚相手に選んだってことってない? 私、結構モテたんだから」

「顔というよりは、別な観点で選ばせてもらった。家柄や今までの素行だ。一応、処女かどうかは調べさせてもらってるから問題はない。お前は完全に処女だということは把握している」

「っていうかあなた、それじゃストーカーじゃない? 変態!!」
 私は驚きと怒りが入り混じる。思わずクッションを投げつける。

「ストーカーじゃない。結婚のための身辺調査は当たり前のことだろ」
 夫は自らを弁護する。

「いいえ、私の許可なくそんなことをしているなんて、絶対に許しません」
 怒りを露にする私。

「そちらだって、俺の周辺を調査した上で結婚に同意したんだろ? そうでなければ、そんなに簡単に結婚に応じるわけがない」
 当然顔の夫にむかつく。

「私は、あなたの顔が好きだったの。それだけ」
 本当に芸能人並みのスタイルと顔立ち。お金持ちで収入に困ることはない。優良な優良物件そうそうはない。

「顔? それだけ……」
 驚きと呆れた様子の夫は神妙な顔をする。

「俺は、妻となる女性に男性経験がないか。過去に警察沙汰になるような事件や学校生活で問題がなかったか、隅々まで調べていた」
 当然のように名探偵のように話す夫が怖くもなる。

「きもっ。そして、見た目は誰でもいい感じがちょっとむかつく」
 つい出てしまった本音に、夫は珍しく、少しばかり不愉快そうだった。

「妻がアダルトサイトを閲覧すること、自慰行為程度なら許す。心が広いだろ」
 自身を指さして自信満足気味に心が広い男アピール。この夫、実は超変態か?

「もしかして、私がそういった自慰行為をしていないか調べているってこと? 監視カメラが室内に複数あることに気づいているからね」

 開き直った夫は監視カメラを複数つけていることを否定すらしない。

「結婚後は妻の性欲度合いはちゃんと把握しているから、安心しろ」

「結婚後に性欲チェック? はぁ? 私たちナシ婚だよね。あんた空気が読めないの? そんなことをしたら盗撮犯罪よ」

「身内だから、犯罪にはならない。それに、結婚前にも調査したかったが、他人の家に盗撮カメラを取り付けることは難しかったからな。犯罪を犯すリスクは負いたくなかったんでな。本当は全てを把握したうえで結婚したいと思っていた。変な性癖とか困るしな」

「変な性癖って。あんたが言う? あんたみたいな変態男には私がちゃんと恋愛を教えてあげる。今すぐ、盗撮カメラは外しなさいよ」

「でも、浮気されたら困るだろ。証拠がとれないからな」

「私が今まで浮気行為を一度でも行った?」

「していない。でも、結構スマホやパソコンではアダルトサイトを見ているということを俺は把握している」

 一人で快楽に浸っている姿を見られていた? それは、恥ずかしすぎる。頬が真っ赤になる。そして、それを見た夫は何か感じていなかったのだろうか? 例えば、夫の体に変化はあったのだろうか? 結婚してから一度も夫の体が私を見て変化していることを見たことがない。

「あんた、一度でも私の体に触れた? 私の欲求不満に気づかない? どんだけ空気が読めないの?」
 怒りに震える。

「俺は空気が読める男で有名だ。だから、仕事も友人関係も完璧だ」
 ダメだ、こいつは全然空気が読めていない。KY男だ。

「あんた、恋愛経験あるの? 恋愛に関しては全くのド素人で空気が全然読めないよね。私が教えてあげる」

「でも、おまえだって彼氏がいたことはないだろ。ちゃんと調査はしている。俺以外の男と関係を持った女と入籍なんてありえんからな」

「って、あんたは無自覚束縛ストーカーじゃない。キモイって言われるのがオチよ。それに変な束縛とかいらないし」

「俺は、こう見えてモテるんだ。完璧だからな」

「モテることは知っている。どう見てもモテるけれど、あんたの本当の性格を知ったらドン引きされるのがオチよ。ストーカーさん」

「ストーカーさんだと? 俺は、ストーカーじゃない。エリートと呼ばれる部類の完璧人間なんだ」

「完璧人間って空気が読めないストーカーになるっていうことがよーくわかったわ。あんたみたいな顔だけ男の情けない顔とか絶頂している顔も見てみたいけどね」

「俺は、お前との相性は全て診断した上で結婚を決意した。星座、生まれ年、方角、字画、生年月日……」

「細かく調査実行しているあたり、めちゃくちゃキモイ。やっぱりストーカー。結婚はそんな形だけじゃ決められないんだから」

「でも、俺は……女性と交際したこともないし、はっきり言って経験はない」

 なぜか腰に手を当て堂々と胸を張って童貞主張をされるとこれまた笑える。

「それ、堂々と言う台詞? 開き直ったわね。全てがハイスペックで完璧だったからおかしいと思ったのよ。あんたがイク姿をいつか見てやるんだから。でも、まずは私たちは恋愛初心者。つまり、中学生みたいな純愛な恋愛からはじめなきゃね」

「無理。完璧であるべき俺が、なぜそんなみだらな姿をさらさなければいけないんだ。つまり、みだらな姿を見せたことがないから完璧だろ。俺は、人に恥ずかしい姿は見せられないから、性行為はできない」
 夫は断言する。

「何、その小学生的価値観。その価値観が変態的すぎる。だから、家で極力トイレに行かないの?」

「俺が、臭かったら幻滅するだろ。俺は排泄は極力しないように気をつけている。故に幻滅しないだろ」

「無駄に消臭スプレーが買ってあるし、よく深夜にいなくなると思ったのよ。浮気というよりトイレに行っていたわけ?」
 頬が真っ赤になる夫。トイレに行って排泄することが恥ずかしいって何歳なの?
 この人、価値観がおかしい。でも、ものすごく愛らしい。そう思ったのだ。

「深夜に外のトイレにまで行って、私生活を見せないために別に寝ていたってことね。私がトイレに行くのは幻滅しないんだ?」

 頬が赤い。この人、本気で変な人だ。カメラで監視しようとするあたり、多分束縛が強いはず。検索履歴も知っているなんてストーカー夫じゃない。

「トイレにも一時期監視カメラつけようかと思ったくらいだから、妻に対して幻滅するとかないよ」
 笑顔で言うあたりサイコパスの領域かもしれない。

「私たち、ラブラブになりましょうね」

 そういいながら、夫に嫉妬させるべく私は動き出す。今までの仕返し、という名の復讐だ。

 監視カメラはあえてそのままでいいと告げた。というのも、夫は処女であり彼氏がいない女を選んだ。
 つまり、独占欲が強く、誰かに奪われることが大嫌いだからだ。復讐には丁度いい。


 あえて、書籍をネットで注文する。いつも来てくれる業者の男性は20代で同世代。少しばかり顔がいい。
 その人がいつも来る時間と曜日を狙い品物を受け取った。
 インターホンが鳴ると、同時にマグカップに入っているコーヒーを手に持ちながら受け取る。
 当然ながらコップのコーヒーは配達員の男性の服に飛び散り付着する。
 シミ取り剤を見えるところに置いておき、すぐ取れるからとあえて室内に呼ぶ。
 この配達員は以前から少しばかり世間話をすることもあり、顔見知りだということもあった。
 ノリのよさそうな独身であろう男性は、少しだけならと思惑通りに室内に入る。

 最初は、胸のあたりについたコーヒーを一生懸命ふきんにシミ取り剤をしみこませて叩き落とす。優しくトントンと胸をノックする。
 当然ながら距離は近い。夫は仕事中だろうから、後から録画された動画を見るだろう。

「すみません。私ドジで、コーヒーをこぼしてしまって。シミ取り剤で落ちなければクリーニング代くらいお出しします」
 見上げるように男性に近づく。

「大丈夫です。作業着なんで、替えもいくらでもありますし」
「こんなところにもシミがついてしまいましたね」
 作業員の股間近くにもシミ取り剤をあえてつけて優しくトントンする。

 配達員は戸惑いながら、平静を装う。私達は世間話を少しばかりする。

「いつも暑い中、寒い中、お疲れ様です。色々なお客様がいて大変な仕事ですよね」
「そうですね。もしかして、ロックがお好きなんですか?」
 
 あえて、配達員が好きそうなロックの音楽雑誌を置いておく。
「いつもDVDとか雑誌とか注文してるんですよね。ありがとうございます」

「お客さんで、話せる人っていないんで俺、うれしいっす」

 見た感じ、この手のタイプは音楽ネタが鉄板だ。ちょっと茶髪で高校生時代はヤンチャだったタイプ。
 彼女に不自由しないでフリーターしていたようなタイプだ。
 自宅で話が盛り上がるなんて、まるでアダルトビデオの展開のようだが、時計を見る。
 もちろん相手も時間内でのノルマがあり、申し訳なさそうに次があるからと急いでその場を去る。

 シミは完全には取れなかったけれど、夫の嫉妬のシミができたことは確実だ。

 私は微笑んだ。そして、近々娘の担任の幼稚園の若手イケメン先生が家庭訪問に来るということも計算の内だった。


 夫が帰宅する。
 絶対に動画を見ているはずだ。スマホから見ることができるらしいことは探偵に調査済みだ。
 少しばかり不機嫌そうだ。

「今日ね。私がコーヒーこぼしたせいで、若い配達員の人に迷惑かけちゃったの。クリーニング代出すからって言ったけれど、ロックの音楽の話で盛り上がっちゃった。やっぱり世代が近いと盛り上がるのよね」

「……」
 夫は無言だ。相変わらず、娘をあやしながら夕ご飯を食べ普通の完璧なイケメン夫を演じている。
 前髪も決して乱れない。部屋着もおしゃれで手を抜くことはない。

 娘が寝た後「嫉妬した?」
 わざという。
「何が?」知らんぷりの夫。
「配達員のイケメン男性結構好みだったんだよね。股間の近くにもコーヒーが飛び散ったから、ちゃんとシミ取り剤でトントンしたけど、完璧に取れなかったんだ」

 夫は、一旦外出して(外のどこかのトイレに行って)そのまま就寝したらしい。
 やはり、自分のありのままを見せたくないらしい。
 もっと嫉妬するかと思ったけれど、案外顔に出ないのは面白味がないと思う私。でも、不機嫌なのは確かだ。
 手応えはある。次はイケメン幼稚園教諭だ。

 娘の幼稚園の担任は若手イケメン教師でとても母親たちに人気がある。
 アイドル系の甘い顔立ちだ。物腰も穏やかで子どもにも保護者にもいつも優しい。
 母親たちの目の保養と言われている人が娘の担任とはラッキーだ。しかも、家庭訪問ときた。
 つまり、家庭内に堂々と招き入れ、一定時間親密に話ができるということだ。
 そして、夫の嫉妬心をかき乱す。これこそが、今までストーカーのように監視していた夫への復讐だ。
 ストーカーという監視カメラを逆手に取った嫌がらせをしてやる。
 今まで、一度も愛してくれない。それなのに、ただ私物として監視だけなんて許せない。

 先生が来る日はとびきり胸元の開いたブラウスと短めのスカートで対応だ。
 しかも、その時間は娘は習い事がある。というかその日を狙って家庭訪問日にした。
 化粧はばっちり。結婚が早いから他の保護者よりも普通に若い。
 私は、世間的に独身でもおかしくない年齢だ。
 先生は独身で彼女がいないという噂だ。

「先生、おまちしておりました」
 ばっちりな笑顔で決める。

「いつもお世話になっております。さぁどうぞ」
 わざと後ろ向きになり、スリッパを用意する。
 つまり、スカートが短ければ、太ももがかなりの割合で見えるということだ。

「いえ、こちらこそお世話になっております。どうぞおかまいなく」
 先生は誠実そうな対応でリビングに上がる。
 夫の監視カメラはばっちりある。
 復讐開始。

「先生って、もしかして27歳だったりして? 私もなんですよ」

「えっ。保護者で同じ歳ってそうそういませんよ。お若いですね」

「だから、親近感湧いていて、一度ゆっくりお話ししたいと思っていました」

 紅茶とクッキーを出す。

「出身が○○町ってきいたのですが、私も実家が同じ町なんです」

「じゃあ、同じ中学だったとか?」

「残念ながら私はずっと私立の女子校で、先生みたいな素敵な男性とは縁がなかったんです。もしも、同じ中学に入っていたら、何かしらのご縁があったかなぁって思うと後悔です」
 少しばかりぶりっ子をする。上目遣いだ。

「でも、ヤンチャで有名な○○中のタクヤ君の噂は聞いていたよ。当時手をつけられないヤンチャぶりだったとか」

「タクヤって俺のダチっすよ。ってまずい。タメ語になってるな」

「いいよ。タメなんだから」
 誘導成功。

「でも、俺は幼稚園の先生であって、同級生ではないし」

「幼稚園の先生って結構大変でしょ? 保護者のクレームとか要望とか。子どものケガにも要注意だから、神経使うし、すごいと思うよ」

 わざと親近感のあるタメ語で、相手の相談に乗ってみる。この家庭訪問は最後の時間を取った。
 つまり、次の家がないから少しくらい時間オーバーしても引き留められるように。全ては計算だ。

「まぁ。俺は中学でヤンチャしていたけど、先生になりたいから、勉強してこの仕事やっているけど、男が少ないからやりづらい部分も多くて。ちなみにタクヤはあぁ見えて大学に行ってから、高校の先生になったんだよな」
 計算通り。タメ語作戦成功。

「ドラマみたいでかっこいいじゃない。ヤンチャやってた人が先生なんて。私、ヤンチャ系って好きなのよね。まぁ、うちの旦那はヤンチャとは真逆で息苦しいから、たまには息苦しくない人と話したいなぁって思ってたところ」

「あぁ、今日は娘さんの普段の様子を話さなきゃ」
 資料を取り出す。

「この資料、読んでおくし、娘は何も幼稚園で困ってないから。話し相手になってよ」

「俺で良かったら……」

「保護者の相談に乗るのも仕事でしょ。ちなみに夫とはレス婚なんだ。一度もしないまま子供だけ生んだの」

「一度もしないままって?」

「つまり、人工授精。夫は寝室も別で一生手も触れないって言ってるの。離婚したほうがいいかな」

「なんで、こんなにきれいでかわいい人なのに」

「そんなこと言ってもらうとうれしいな。夫は何もする必要がないっていうけど、結婚ってそういうものなの? 親同士が決めた結婚だけどさ」

「俺は違うと思う。ちゃんと奥さんを思いやってずっと愛してあげると思う」

「だよね。妻が求めたら拒否するなんてありえないよね」

「俺なら何度でも抱く」

「先生、かっこいい」
 胸元を強調させる。

「もっとこれからも色々相談にのってくれる?」

「もちろん」

「寂しい時は、慰めてくれる?」

「もちろん」
 イケメン先生も意外とちょろいなぁ。恋愛経験はないけど、私って意外と恋愛才能があるのかもしれない。

「連絡先交換しよ。もちろん、プライベートの」

「何かあったら相談にのるから」

 連絡先を交換する。

「そろそろ、時間だ。戻らないと怒られるな」

「ざんねーん。もっとゆっくりお話ししたかったなぁ」

「時間が15分程度だからさ」

 わざとよろける。先生が抱くような形になる。つまり、二人は至近距離で見つめあう。
 少しの沈黙が漂う。
「すみません。ありがとうございます」
 彼に異性として意識させる目的が達成された。今日の私の目的はこれで成功だ。

 深夜子供が寝静まった後――

「どういうことだ。担任教師と連絡先交換なんて」
 珍しく夫が口出しする。

「お互い干渉しないんでしょ。彼はイケメンで優しいの。同じ歳だし気が合うのよね。やっぱり監視カメラで見てたんだ。変態ストーカーね」

「どうせおまえは、あの男が汗臭かったり、トイレに行く姿を見て幻滅するに決まってる」

「私、汗のにおいも好きだし、トイレに行ったから幻滅するような人間じゃありませんけど。だいたい、一緒に夫婦で寝ないのもおかしいって思うし」

「夫婦の話を他人にするな」

「監視カメラのことは言わないけど、それ以外のことを言わないとはいってないし」

「でも、一緒に寝たら、いびきとか歯ぎしりとか思いもしない音が出てしまったら完璧じゃないだろ」

「あんた、馬鹿なの? それで、今まで一緒に寝ていなかったってこと?」

 少しばかり沈黙のあと、こくりとうなずく。

「じゃあ、今日から一緒に寝る?」

「それは、ハードルが高いだろ」

「今、モヤモヤしてない?」

「モヤモヤってどんな意味だ?」
 ハイスペイケメンは恋愛に相当疎いらしい。


「つまり、なんで俺以外の男と親しくしてるんだと感じ、許せないっていうこと。嫉妬というものよ」
 説明しなきゃわからないなんて馬鹿な人。

「まぁ、無きにしもあらずかな」
 嫉妬を認めたわね。

「そりゃそうよね。いっつも監視カメラで監視しているくらい私を愛するストーカーなんだしね。私のスマホの履歴も見て知っているという無自覚ストーカー。でも、夫でもあるから難しいところ」

「無自覚ストーカーって言い方がひどいな」

「あなたは顔だけがいい体裁を取り繕う人。だから、愛せない。私の名前も呼べないくせに」

「愛せないとかいうな。名前なんぞ呼ぶ必要がないだろうが」
 苛立っている。中学生レベルの恋愛観の夫には昼間の嫉妬は大きいらしい。

「愛してほしいの? だったら、手をつないで一緒にいて。私の名前を呼びなさい」

「手をつないでって、君の言う中学生みたいな恋愛っていうやつか。ありすさんとでも呼べばいいのか」

「ありすでいいの。私はあなたのダメなところをみても幻滅しない。心のモヤモヤは嫉妬ってことよ。頭はいいのに、理解できないのね。つまり、あなたは私を愛しているってこと。とりあえず、一緒の部屋で寝ようか」

「でも、俺、寝てるとき完璧を演じられない」
 自信なさげなイケメン夫。

「完璧じゃなくていい。だらしなくてもあなたはあなた。私は、結婚相手を簡単にきらいにならない。たとえ、あなたが変態ストーカーだとしてもね」

「隣で寝るだけだから。別に何もしないけど」

「いいよ。ありすって呼べる?」

「……ありす」

 その晩、ただ隣で寝た。私たちに何かが起こったわけじゃない。でも、精神的に満たされた。
 確実に私たちの心にある何かが変わった。
 まず、手をつなぐことから始めていく私たちの恋愛なのだから。その後の事も少しずつ進めていくんだ。
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