甘めなキミに初恋してます。
#1
☕
「お待たせいたしました。カフェラテとキャラメルマキアートになります」
笑顔で女性のお客さまふたりにカップを手渡す。
「「ありがとうございます」」
彼女たちは私にお礼を言って、うれしそうな顔でテイクアウトした。
コーヒーの香りが広がる店内に、ジャズの音楽が静かに流れる。
ここは、「Cafe Bliss」
高級感あふれる空間で、厳選されたコーヒーやスイーツが人気のカフェだ。
ビジネスマンやOLで賑わうオフィスビルの1階にあり、平日の昼間は特に混み合う。
今はランチタイムを過ぎ、少し落ち着いた時間帯。
午後のひとときを楽しむお客さまが多い。
「依久ちゃん、次の注文お願い!」
「はいっ!」
店長の佐藤さんに言われて、次の注文を確認する。
――スプリングプレートセット
春限定のフード、ドリンク、デザートの中から好きな組み合わせができるメニューだ。
これは来月販売予定ということになっているけれど、“たったひとりだけ”先行で注文できるお客さまがいる。
「こんにちは、千倉ちゃん」
落ち着いた声が耳に届き、顔を上げると、そこには五十嵐さんがいた。
五十嵐さんはこのカフェの関係者で、新作メニューの開発にも携わっている。
店舗に足を運んで、実際に販売できるかどうかのチェックをするのも、彼にとって仕事の一環だ。
「五十嵐さん、こんにちは」
私は笑顔であいさつして、五十嵐さんが注文したドリンクを作る。
「お待たせいたしました。スプリングブロッサム・ラテでございます」
ピンクのチョコと桜パウダーで春らしい彩りをプラスして、桜の香りとミルクが溶け合ったラテだ。
「フードとデザートをすぐにお持ちしますので、お席でお待ちいただけますか?」
「わかった。楽しみに待ってるよ」
五十嵐さんを案内してから、私は手際よくフードとデザートを用意する。
「お待たせいたしました。スモークサーモンと菜の花のオーブンサンドとストロベリー&ピスタチオケーキです」
五十嵐さんが注文したのは、春野菜の菜の花とスモークサーモンを合わせた、爽やかでヘルシーなオープンサンドと、しっとりとした苺風味のスポンジに、ピスタチオクリームをサンドしたケーキだ。
「ありがとう。ところで、千倉ちゃんはもう休憩終わったの?」
「いいえ、これからです」
「そうなんだ。じゃあ、休憩がてら、俺といっしょにランチしない? 男ひとりだと寂しくて」
五十嵐さんは、いつも私を昼食に誘ってくれる。
だから、休憩が合えばごいっしょさせてもらうのだけれど、あいにく休憩時間までには少し早い。
せっかくのお誘いなのに、断らないといけないなんて……。
心苦しく思っていると――。
「依久ちゃん、今ちょうどお客さんの足も落ち着いてるし、フロアも余裕があるから、先に休憩行っていいわよ」
「え? でも――」
「ランチタイムのピークも過ぎたし、他のスタッフもいるから大丈夫よ。心配しないで」
佐藤さんの言葉に、私はホッとした。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます。五十嵐さん、すぐにそちらに伺いますね」
「わかった、待ってるよ」
五十嵐さんに軽く会釈をしてから、私はバックヤードへ向かった。
エプロンを外して、少し身だしなみを整えてからフロアに戻る。
すると、五十嵐さんが注文したのと同じメニューが、テーブルに用意されていた。
「お待たせしました。えっと、これは……」
「佐藤さんに頼んで、依久ちゃんの分も用意してもらったんだ」
「いいんですか?」
「もちろん。ここで働く店員さんの率直な意見も欲しいからね」
「ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます」
手を合わせてまずは、スモークサーモンと菜の花のオーブンサンドを一口食べた。
菜の花のほろ苦さとスモークサーモンの塩気が絶妙で、口の中で春の味が広がる。
程よく焦げ目のついてカリッと音がするパンとの相性も抜群だ。
「オーブンサンドは、菜の花のほろ苦さとスモークサーモンの塩気がちょうど良くて、食べやすいです」
次に、スプリングブロッサム・ラテを一口飲む。
桜の香りがほんのり漂い、ミルクのまろやかさと相まって優しい甘さがちょうどいい。
「ラテは甘さ控えめなので、フードともデザートとも合わせやすいと思います」
そして最後に、ストロベリー&ピスタチオケーキにフォークを入れた。
ふわっとした苺風味のスポンジに、アクセントとしてピスタチオクリームを加えている。
「ケーキは苺の酸味とピスタチオの風味がすごく合っていて、甘すぎず後味がさっぱりしているので、最後まで美味しくいただけます」
私が一生懸命に感想を伝えると、五十嵐さんは満足そうにほほ笑んだ。
「なるほど、やっぱり千倉ちゃんの感想は参考になるよ。ありがとう」
「いいえ、こちらこそ。こんな美味しいものをいただいて、ありがとうございます」
それから、私は五十嵐さんと会話をしながら食事を楽しんだ。
それにしても、スーツ姿の五十嵐さんがコーヒーを飲んでいるところは絵になる。
スラリとした高身長に、整った顔立ちだから、つい目で追ってしまう。
「そういえば、千倉ちゃん就職先が決まったんだって?」
「はいっ!」
この春、大学を卒業した私は、Cafe Bliss――つまり、このカフェへの就職が決まっている。
Cafe Blissは、働きたい人が多い人気のカフェだ。
だから、アルバイトの募集は滅多に出ないのだけど、もともと常連だった私は、ある日、店長の佐藤さんにスカウトされ、運よくアルバイトを始めることになった。
大学を卒業したら、このCafe Blissで働きたい。
そう思っていたけれど、毎年の新卒採用は驚くほどの高倍率だ。
アルバイトとして経験を積んでいたとはいえ、それが採用に直結するとは限らない。
だから、諦めて別の就職先にしようと思っていたとき、五十嵐さんが私の相談に乗ってくれた。
「やってみれば? 結果がどうなるかなんて誰にもわからない。でも、挑戦しないのは、一番もったいないよ」
五十嵐さんに背中を押されて、私はCafe Blissを受けることに。
面接を終えて数日後、私のところに採用のメールが届いて、大学を卒業してからもCafe Blissで働けることになったんだ。
「五十嵐さんのおかげで、大学を卒業してからもここで働けることになりました。ありがとうございます」
「そんなことはないよ。採用されたのは、千倉ちゃんの実力だから」
社会人の先輩である五十嵐さんにそう言われると、なんだかとてもうれしい。
「まぁ、もしうまくいかなかったとしても、俺がどうにかしてたけどね」
五十嵐さんがボソッとつぶやく。
「五十嵐さん、何か言いました?」
「いいや、なんでもないよ」
そう言いながら、ラテを飲む五十嵐さん。
何か大切なことを聞き逃してしまったような気がしたけれど、私は何事もなかったかのように流した。
☕
新人研修が終わり、正社員として本格的にCafe Blissで働き始めて数週間。
アルバイトの頃よりも任される仕事が増えて、責任の重さを痛感する日々だけれど、それでもここで働く楽しさは変わらないままだ。
「依久ちゃん、次の注文お願いね」
「はい、わかりました」
『ブリスプレートセット』と書かれた電子伝票を確認して、手際よく用意する。
ブリスプレートセットは、じっくりローストしたチキンとフレッシュハーブを挟んだオープンサンドに、自家焙煎の特製ブレンドを使用したラテがセットになったCafe Bliss特製のメニューだ。
「佐藤さん、用意できました」
「ありがとう。それじゃ、これを社長室まで持っていってくれるかしら?」
「社長室ですか?」
「ええ、そうよ。ついでに、社長にあいさつするといいわ」
「わかりました」
佐藤さんに頼まれて、ブリスプレートセットを社長室へ運ぶことになった。
エレベータに乗りこむと、スーツ姿の人たちが書類を手に時計を確認しながら、次々と乗り降りしている。
Cafe Bliss以外のフロアに初めて来たけど、カフェのリラックスした雰囲気とはまるで別世界だ。
きびきびと働く人たちを見ると、無意識に背筋が伸びる。
そういえば、社長にお会いするのは初めてだな。
どんな人なんだろう……。
頭の中では、スーツをビシッと着こなした、少し近寄りがたい雰囲気の人を勝手に想像してしまう。
今から私が作ったブリスプレートを評価されるのかと思ったら――。
心臓が口から飛び出そうなくらい、ドキドキしてきた。
緊張しながらエレベータを降りて、静かな廊下を歩いていく。
するとしばらくして、“社長室”と書かれたプレートが見えた。
どうかうまくいきますようにっ!
そう念じながら、私は大きく深呼吸して社長室をノックした。
「はい」
中から男性の声が聞こえた。
「失礼します」
私はゆっくりと社長室に入る。
「お待たせいたしました。ブリスプレートセットです」
軽く一礼して、紙袋に入った注文の品を渡そうとした――そのとき。
目が合った人物に、私は思わず目を見張った。
「千倉ちゃん、いらっしゃい」
笑顔でこちらを見たのは、五十嵐さんだった。
「えっ、五十嵐さん!? どうしてここに……」
私、社長室に来たはずなのに。
部屋、間違えちゃったのかな。
「驚かせてごめんね。実は俺……この会社の社長なんだよ」
「えぇっ!?」
驚きで目が点になる。
五十嵐さんが、この会社の社長!?
今まで気さくで優しい社員さんだと思っていたから。
あまりにも予想外な事実に、理解が追いつかない。
「ということは、Cafe Blissも五十嵐さんが経営をされているってことですか?」
私の質問に、五十嵐さんは首を縦に振った。
「本当は面接に顔を出す予定だったんだけど、別件の仕事があったんだ。でもその反応を見る限り、俺は来なくて正解だったね」
確かに。
五十嵐さんが社長として面接官にいたら、頭が真っ白になって何も話せなかったかもしれない。
「そうだったんですね。それじゃ、佐藤さんも五十嵐さんが社長なのはご存じだったってことですか?」
「そうだよ。佐藤さんには言わないように口止めしてたんだ」
「なるほど」
いつも五十嵐さんが発売前のメニューを先行で頼んでいた理由が、ようやくわかった。
「それと、千倉ちゃんに言い忘れてたことが“もうひとつ”あるんだけど」
私に言い忘れてたこと?
「なんですか?」
「千倉ちゃんは俺の専属スタッフってことになってるから」
えっ!?
私が五十嵐さんの専属スタッフ!?
「ど、どうして私なんですか?」
ほかにも優秀なスタッフさんたちはいるのに。
たとえば、佐藤さんとか……。
「どうしてって……俺が千倉ちゃんのことを独占したいからだよ」
「えっ?」
五十嵐さんの突然の言葉に、思わず戸惑う。
「そ、それって……いったいどういう意味ですか?」
独占したいって……。
深い意味はないよね?
だって、五十嵐さんは社長なんだから。
私に特別な感情を持っているわけではないだろうし。
「……俺が千倉ちゃんのこと気になってるから」
――ドキッ。
五十嵐さんの真剣な瞳に、心臓が音を立てる。
「そんなこと言われたら……私、勘違いしちゃいますよ」
「いいよ、勘違いじゃないから」
五十嵐さんが私の腰に手をまわし、そっと引き寄せる。
頬が触れ合う距離に、私の心臓が激しく高鳴った。
「これから、キミのこと全力で口説くから。覚悟してね、依久ちゃん」
ふいに名前を呼ばれて、顔が赤くなっていくのを自覚する。
頭の中でぐるぐると反芻する、五十嵐さんの告白。
それに戸惑うばかりだけど、それを嫌だと思っていない自分がいた。
この先、私の心臓は持つのだろうか――。