悪役令嬢の反撃~聖女様の逆ハールートをぶっ潰します
クリスティナの姿を目にした王太子トビアスは瞠目する。
「……クリスティナ、生きていたのか?」
「まるでわたくしが生きていたら、不都合な言い方ですのね」
そう言った彼女は琥珀色の目を細くし、艶やかな唇に不気味な笑みをにじませた。
「そ、そんなことはない。ただ、君は死んだと、そう聞いていたからな」
トビアスは動揺を隠すかのように、慌てて机の上に散らばっている書類を片づけ始めた。
クリスティナは、一歩、彼に近づいた。腰まで流れる艶やかな金色の髪が、さらりと揺れ動く。
「殿下……?」
クリスティナは一年前の十六歳のトビアスしか知らない。同じ学園で共に勉学に励んだ日々。クリスティナも彼の婚約者として恥ずかしくないようにと、懸命に学んだ。将来を生き生きと語る彼は眩しかった。
しかし今のトビアスの顔には疲労の色が濃く表れている。宝石のように輝いていた碧玉の瞳は生気に欠け、輝くほど美しかった銀髪は白髪にも見える。少し頬もこけただろうか。よく見れば、目の下に薄黒い隈がある。
「聖女セーラ様と婚約されたのではないのですか?」
それはクリスティナが目覚めてから、二日後に聞いたこと。
「したよ? 君が死んでしまったと思っていたからね。公爵は何も教えてくれなかった。だから、私と君の婚約はとっくの昔に解消されている。何も問題はないだろう?」
「ええ、それに関しては何も問題はございません。ですが、この現状はいったいなんなのですか!」
クリスティナがバンッ! と勢いよく机の上を叩くと、山積みになっていた書類がざざぁっと雪崩を起こす。その中から、ひらりと落ちきた書類をクリスティナは手にし、ざっと目を通した。
「これは殿下ではなく、殿下の婚約者が処理すべき案件では? 卒業までまだ半年ございます。学園の授業がない時間は、殿下とその婚約者が政務に励む時間ですよね?」
王太子の婚約者。その地位は王族と同列扱いとなる。
「だが、セーラは聖女だからな。彼女は忙しい」
「左様ですか。わたくしがこちらに来る途中、ご学友のユアン様と中庭の東屋で楽しそうにお茶を飲んでいたのを見かけましたが?」
トビアスのこめかみがひくりとうごめいた。
ユアンとは聖騎士団長を父にもち、トビアスの右腕的存在だ。
「さらにわたくしがお聞きしたところ、そのお茶会にはアンドレ様とエスキル様もご招待されているとか?」
アンドレもエスキルもトビアスが信頼をおいている友人である。アンドレは学園理事長の孫で、エスキルは宰相の息子。
「トビアス様は誘われていらっしゃらないのですか?」
「これを見たら、それどころじゃないことくらい、わかるだろ」
「そうですわね。本来であれば、婚約者のセーラ様の姿もここにあるべきなのですが」
またトビアスのこめかみがひくひくっと震える。
そのとき、勢いよく扉が開いた。部屋にぞろぞろと誰かが入ってくる。
「トビアスもいないとつまらないわ。そんなどうでもいいお仕事なんてやめて、一緒にお茶でも飲みましょう。そうよ、休憩。休憩よ」
彼女はいつもねちっこい話し方をしていた。媚びを売るような話し方だ。
「ねぇ? トビアス。ユアンもアンドレもエスキルも招待したというのに、肝心のあなたがいないんじゃ……え? どうしてあんたがここにいるわけ?」
トビアスの姿しか見えていなかったセーラは、クリスティナの姿を目にした途端、その声色を変えた。
「ごきげんよう、セーラ様」
優雅に腰を折るクリスティナの姿に、誰もが目を奪われる。
「死んだんじゃ……ないの? あんた、毒を飲んで死んだはずでしょ?」
馬の尻尾のように結わえている真っ黒い髪を振り乱しながら、セーラは今にもクリスティナにくってかかりそうな勢いだ。
「セーラ様もおかしなことをおっしゃるのですね。わたくしは毒に倒れたのです。セーラ様からいただいたお菓子。どうやらあれに毒が混入していたのでは? という推測ですが、今となっては証拠もないため確認できません。本当に美味しかったのですよ。わたくし、一人で全部食べてしまいました」
おどけるクリスティナに向かって目をぎらぎらと見開くセーラを、三人の男が宥めている。
「ですがセーラ様。わたくし、毒に倒れている間、変な夢をみました」
「夢?」
セーラが目をすがめる。
「えぇ。日本と呼ばれる国で、女子高校生? になった夢です。そこには乙女ゲーム? が大好きな五反田星羅という名前の女子高生がおりました」
トビアスもユアンもアンドレもエスキルも、何を言っているんだ? と目を丸くする。
「偶然にもセーラ様と同じ名前でしたので、夢の中のわたくしも興味をもちまして。星羅が大好きなゲームというものをやってみようと思いました」
セーラの片眉がぴくぴくと動いている。
「そちらのゲームは、聖女と呼ばれるヒロインが国を救うお話なのですが。そこにはなぜかトビアス様もユアン様もアンドレ様もエスキル様もおりまして……とても変な感じがしました」
「クリスティナ……もしかしてあんたも転生者なの?」
「転生者? よくわかりませんが、わたくしは夢の話をしているだけです。ただ、夢をみてわかったことがあります」
そこでクリスティナはセーラを冷たく睨みつける。
「セーラ様にとってわたくしは邪魔な存在。だから、毒を飲ませて殺害しようとした。その後、トビアス様の婚約者の座におさまり、ユアン様もアンドレ様もエスキル様も手玉にとって、逆ハールートを攻略するつもりなのでは? と」
「逆ハールート?」
耳慣れぬ言葉に、トビアスも聞き返す。
「はい。たくさんの男性にちやほやされる結末のようです」
「まあ、よくわからないが。だが、それでなぜクリスティナを殺害する必要がある?」
「単純にわたくしが邪魔だと思われたのでは? 当時はまだ殿下の婚約者だったわけですし。本来であれば、わたくしが婚約者候補のところからゲームがスタートするようなのです。ですから、セーラ様はわたくしと親しくなった振りをして近づき、毒入りのお菓子を食べさせようとしたわけです。そのくらい、聖女の力を使えば容易いことでしょう? 実際に、わたくしもセーラ様をご学友だと思っておりましたから、食べてしまったわけですけど。それに、とても美味しかったものですから、つい……」
油断しました、とクリスティナは肩をすくめる。
「ただ、わたくしたちのような人間は、幼いころから毒に慣らされております。幸い、死に至ることがありませんでしたが、目覚めるまで二か月、このように動けるようになるまで十か月もかかってしまいました。父は再びわたくしが狙われるのを心配し、生死については公表しなかったはずです。理由も病によるものとされていたはずですが? それなのに殿下もセーラ様も、わたくしが死んだものだと、なぜそう思われたのでしょう? 毒によって倒れたことを、どうしてご存知なのでしょう? 不思議でなりません。やはり、あのお菓子に? 証拠もありませんが」
「私はセーラからそう聞いたんだ!」
トビアスが叫んで立ち上がると、また書類の束がざざっと崩れた。
セーラは悔しそうに唇をかみしめているが、彼女の後ろにいる男三人は、あきらかにクリスティナに敵対心を向けている。
「五反田星羅さん? ゲームの中のわたくしは悪役令嬢という立ち位置のようですね。聖女が国を救うのを妨害する役割。挙げ句、トビアス様を奪われ、嫉妬に狂って聖女を殺害しようとする役目」
そこでクリスティナは腕を組んだ。
「わたくしもやられっぱなしで黙っているような性格ではありませんし、このままではこの国の将来が心配です。ですから、セーラ様のお望み通り、悪役令嬢になってさしあげます。そしてあなたが望む逆ハールートをぶっ潰してあげましょう。あなたがその結末を望むことで、彼らの婚約者がどれだけ悲しんでいるか、わかっていらっしゃらないのでしょう?」
大きく身体を震わせたのは、ユアンとアンドレとエスキルだ。彼らにも結婚を約束している女性がいる。だが、セーラが彼らを振り回していることで、婚約者の彼女たちは胸を痛めているのだ。
クリスティナがまだ学園に通っていた頃、彼女たちは幾度となく相談をしてきた。
「それではみなさん、ごきげんよう。セーラ様。悪役令嬢のわたくしは、あなたをバッドエンドに導いてあげますわ。首を洗って待っていらしてね?」
そう挨拶したクリスティナは、艶然と微笑み、部屋を出ていった。
【一話おわり】
「……クリスティナ、生きていたのか?」
「まるでわたくしが生きていたら、不都合な言い方ですのね」
そう言った彼女は琥珀色の目を細くし、艶やかな唇に不気味な笑みをにじませた。
「そ、そんなことはない。ただ、君は死んだと、そう聞いていたからな」
トビアスは動揺を隠すかのように、慌てて机の上に散らばっている書類を片づけ始めた。
クリスティナは、一歩、彼に近づいた。腰まで流れる艶やかな金色の髪が、さらりと揺れ動く。
「殿下……?」
クリスティナは一年前の十六歳のトビアスしか知らない。同じ学園で共に勉学に励んだ日々。クリスティナも彼の婚約者として恥ずかしくないようにと、懸命に学んだ。将来を生き生きと語る彼は眩しかった。
しかし今のトビアスの顔には疲労の色が濃く表れている。宝石のように輝いていた碧玉の瞳は生気に欠け、輝くほど美しかった銀髪は白髪にも見える。少し頬もこけただろうか。よく見れば、目の下に薄黒い隈がある。
「聖女セーラ様と婚約されたのではないのですか?」
それはクリスティナが目覚めてから、二日後に聞いたこと。
「したよ? 君が死んでしまったと思っていたからね。公爵は何も教えてくれなかった。だから、私と君の婚約はとっくの昔に解消されている。何も問題はないだろう?」
「ええ、それに関しては何も問題はございません。ですが、この現状はいったいなんなのですか!」
クリスティナがバンッ! と勢いよく机の上を叩くと、山積みになっていた書類がざざぁっと雪崩を起こす。その中から、ひらりと落ちきた書類をクリスティナは手にし、ざっと目を通した。
「これは殿下ではなく、殿下の婚約者が処理すべき案件では? 卒業までまだ半年ございます。学園の授業がない時間は、殿下とその婚約者が政務に励む時間ですよね?」
王太子の婚約者。その地位は王族と同列扱いとなる。
「だが、セーラは聖女だからな。彼女は忙しい」
「左様ですか。わたくしがこちらに来る途中、ご学友のユアン様と中庭の東屋で楽しそうにお茶を飲んでいたのを見かけましたが?」
トビアスのこめかみがひくりとうごめいた。
ユアンとは聖騎士団長を父にもち、トビアスの右腕的存在だ。
「さらにわたくしがお聞きしたところ、そのお茶会にはアンドレ様とエスキル様もご招待されているとか?」
アンドレもエスキルもトビアスが信頼をおいている友人である。アンドレは学園理事長の孫で、エスキルは宰相の息子。
「トビアス様は誘われていらっしゃらないのですか?」
「これを見たら、それどころじゃないことくらい、わかるだろ」
「そうですわね。本来であれば、婚約者のセーラ様の姿もここにあるべきなのですが」
またトビアスのこめかみがひくひくっと震える。
そのとき、勢いよく扉が開いた。部屋にぞろぞろと誰かが入ってくる。
「トビアスもいないとつまらないわ。そんなどうでもいいお仕事なんてやめて、一緒にお茶でも飲みましょう。そうよ、休憩。休憩よ」
彼女はいつもねちっこい話し方をしていた。媚びを売るような話し方だ。
「ねぇ? トビアス。ユアンもアンドレもエスキルも招待したというのに、肝心のあなたがいないんじゃ……え? どうしてあんたがここにいるわけ?」
トビアスの姿しか見えていなかったセーラは、クリスティナの姿を目にした途端、その声色を変えた。
「ごきげんよう、セーラ様」
優雅に腰を折るクリスティナの姿に、誰もが目を奪われる。
「死んだんじゃ……ないの? あんた、毒を飲んで死んだはずでしょ?」
馬の尻尾のように結わえている真っ黒い髪を振り乱しながら、セーラは今にもクリスティナにくってかかりそうな勢いだ。
「セーラ様もおかしなことをおっしゃるのですね。わたくしは毒に倒れたのです。セーラ様からいただいたお菓子。どうやらあれに毒が混入していたのでは? という推測ですが、今となっては証拠もないため確認できません。本当に美味しかったのですよ。わたくし、一人で全部食べてしまいました」
おどけるクリスティナに向かって目をぎらぎらと見開くセーラを、三人の男が宥めている。
「ですがセーラ様。わたくし、毒に倒れている間、変な夢をみました」
「夢?」
セーラが目をすがめる。
「えぇ。日本と呼ばれる国で、女子高校生? になった夢です。そこには乙女ゲーム? が大好きな五反田星羅という名前の女子高生がおりました」
トビアスもユアンもアンドレもエスキルも、何を言っているんだ? と目を丸くする。
「偶然にもセーラ様と同じ名前でしたので、夢の中のわたくしも興味をもちまして。星羅が大好きなゲームというものをやってみようと思いました」
セーラの片眉がぴくぴくと動いている。
「そちらのゲームは、聖女と呼ばれるヒロインが国を救うお話なのですが。そこにはなぜかトビアス様もユアン様もアンドレ様もエスキル様もおりまして……とても変な感じがしました」
「クリスティナ……もしかしてあんたも転生者なの?」
「転生者? よくわかりませんが、わたくしは夢の話をしているだけです。ただ、夢をみてわかったことがあります」
そこでクリスティナはセーラを冷たく睨みつける。
「セーラ様にとってわたくしは邪魔な存在。だから、毒を飲ませて殺害しようとした。その後、トビアス様の婚約者の座におさまり、ユアン様もアンドレ様もエスキル様も手玉にとって、逆ハールートを攻略するつもりなのでは? と」
「逆ハールート?」
耳慣れぬ言葉に、トビアスも聞き返す。
「はい。たくさんの男性にちやほやされる結末のようです」
「まあ、よくわからないが。だが、それでなぜクリスティナを殺害する必要がある?」
「単純にわたくしが邪魔だと思われたのでは? 当時はまだ殿下の婚約者だったわけですし。本来であれば、わたくしが婚約者候補のところからゲームがスタートするようなのです。ですから、セーラ様はわたくしと親しくなった振りをして近づき、毒入りのお菓子を食べさせようとしたわけです。そのくらい、聖女の力を使えば容易いことでしょう? 実際に、わたくしもセーラ様をご学友だと思っておりましたから、食べてしまったわけですけど。それに、とても美味しかったものですから、つい……」
油断しました、とクリスティナは肩をすくめる。
「ただ、わたくしたちのような人間は、幼いころから毒に慣らされております。幸い、死に至ることがありませんでしたが、目覚めるまで二か月、このように動けるようになるまで十か月もかかってしまいました。父は再びわたくしが狙われるのを心配し、生死については公表しなかったはずです。理由も病によるものとされていたはずですが? それなのに殿下もセーラ様も、わたくしが死んだものだと、なぜそう思われたのでしょう? 毒によって倒れたことを、どうしてご存知なのでしょう? 不思議でなりません。やはり、あのお菓子に? 証拠もありませんが」
「私はセーラからそう聞いたんだ!」
トビアスが叫んで立ち上がると、また書類の束がざざっと崩れた。
セーラは悔しそうに唇をかみしめているが、彼女の後ろにいる男三人は、あきらかにクリスティナに敵対心を向けている。
「五反田星羅さん? ゲームの中のわたくしは悪役令嬢という立ち位置のようですね。聖女が国を救うのを妨害する役割。挙げ句、トビアス様を奪われ、嫉妬に狂って聖女を殺害しようとする役目」
そこでクリスティナは腕を組んだ。
「わたくしもやられっぱなしで黙っているような性格ではありませんし、このままではこの国の将来が心配です。ですから、セーラ様のお望み通り、悪役令嬢になってさしあげます。そしてあなたが望む逆ハールートをぶっ潰してあげましょう。あなたがその結末を望むことで、彼らの婚約者がどれだけ悲しんでいるか、わかっていらっしゃらないのでしょう?」
大きく身体を震わせたのは、ユアンとアンドレとエスキルだ。彼らにも結婚を約束している女性がいる。だが、セーラが彼らを振り回していることで、婚約者の彼女たちは胸を痛めているのだ。
クリスティナがまだ学園に通っていた頃、彼女たちは幾度となく相談をしてきた。
「それではみなさん、ごきげんよう。セーラ様。悪役令嬢のわたくしは、あなたをバッドエンドに導いてあげますわ。首を洗って待っていらしてね?」
そう挨拶したクリスティナは、艶然と微笑み、部屋を出ていった。
【一話おわり】