怜悧な裁判官は偽の恋人を溺愛する
「仕事お疲れ様。それにしても、こんなところで会うなんて偶然だね」

「は、はい……」

 コスメカウンターと違って、今は人目も少ない。私は恐怖のあまり、固まってしまった。

 裏口からだいぶ離れてしまったため、館内に戻ることは難しい。行き道を塞ぐように木下が立っているため、私は逃げ道を失っていた。

「駅まで歩くの? 良かったら、一緒に行かない?」

 駅までは、徒歩移動ならば五分ほど。五分だけの我慢とも言えるが、自宅まで付いて来られる危険性もある。

 いっそタクシーを呼ぶことも考えたが、この場面でタクシーで帰ると言ったならば、木下に逆上される危険性もある。

 心臓がバクバクとうるさい。私はすっかり、パニックに陥っていた。

 助けて、誰か……!

「高階さん?」

「おや、誰かと思ったら」

 突然、私の後ろから聞き慣れない男性の声が聞こえてきた。

 振り向くと、背の高いダークカラーのスーツを着た男性が、一人立っていた。

「お久しぶりです」

 決して愛想が良いとは言いがたい声色で、彼は言った。
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