取引婚をした彼女は執着神主の穢れなき溺愛を知る
 二十九歳で振袖を着るのはありかなしか。
 ハルトンホテルのロビーで父について歩きながら根古間優維(ねこま ゆい)は考える。

 未婚女性が着る衣裳だから独身の自分はセーフだろうか。若い女性が着るものだと言われれば二十九歳の自分は微妙な気がする。だけど今は昔とは違うから普通だろうか。
 水色の地に古典柄の着物、金糸をたっぷりと使った帯。華やかだが窮屈だ。巫女装束は着慣れているが、振袖はなんだか仰々しくて息苦しい。

 振袖を着ろと言った張本人、父の直彦はご機嫌な様子だった。
 吹き抜けのロビーは自動演奏のピアノの落ち着いた曲が流れている。ダークトーンの床に上品なインテリア。そこにいるだけで自分まで上級な存在だと錯覚しそうだ。

 ラウンジのスタッフに待ち合わせだと告げると、こちらへどうぞ、と静かに案内される。
通りがかった席ではかしこまった男女が初対面らしく名乗り合い、探るようにぎこちなく会話をしている。結婚紹介所で知り合ったふたりなのだろう。

 そうして、と自分を思う。
 きっと今日はだまし討ちのお見合いだ。

 父は根古間神社の宮司であり、優維はひとり娘だ。高校時代に母を亡くして以来、父はそれまで以上に頑張って優維を育ててくれた。
 今は会社員をしているが、恩に報いるためにも神社を継ぐつもりだ。が、父は内心でそれをよく思っていないのを知っている。

 だからきっと、と優維はげんなりと暗い色の床を見る。
 婿をとらせて、その人に神社を継がせたいんだろうな。
「ねえ、知り合いに紹介って嘘よね」
 父について歩きながら、彼女は言う。
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