いつまでも、夢見せる王子じゃいられない

辻村先生

 軽音部室に入ると、辻村先生と樹里のギター談義が続いていた。

「いやいや、先生、それはねぇ、歪みの深さが違うんよ」
「お前な、オーバードライブとディストーションの違いくらい、いい加減分かってるだろ」
「分かってるっつーの! でも、こっちのアンプ通すとさ……」
 相変わらず、ギターの話になると先生も本気になるんだな。

 真琴は、そんなやり取りを微笑ましく思いながら、部室の奥に進んだ。
 その気配に気づいた辻村先生が、ふと顔を上げる。

 先生は、真琴の顔をじっと見たあと、ニヤリと口角を上げた。
「なんか、最近表情が柔らかくなったな。」
 真琴は、一瞬驚いたように目を瞬かせる。
「え?」
「いや、ちょっと前まではどこか力が入りすぎてたが……今のお前は、なんつーか、肩の力が抜けてる感じだな」
……先生、そんなとこまで見てたのか。
 気づかれるとは思っていなかった。
 でも、そう言われてみれば、確かに最近は "力まない自分" でいられるようになった。

 真琴は、自然と微笑みながら答えた。
「王子様は、ステージだけにしたんです」
 その言葉に、先生は少し目を細め、ギターの弦を軽く弾いた。
「……それは ‘卒業’ じゃなくて ‘兼業’ だな」
 先生は、意味ありげに笑う。
「まぁ、そっちの方がらしいかもな」
その言葉に、真琴はふっと肩の力が抜けるのを感じた。
「兼業王子様、いいねぇ」
横から樹里がちゃちゃを入れる。
「ま、ウチらは協力するだけだけどね」
「ありがと」
 短くそう答えたが、その言葉には心の底からの感謝 がこもっていた。

   ◇◇

「それにしてもさ」
 樹里がギターのネックを軽く指でなぞりながら、ふと話題を変えた。
「まだ噂になってるぜ、真琴の男の話」
「……やっぱ、広まってるか」
「そりゃな。アイドルに熱狂するファン心理と同じっしょ」
 樹里は肩をすくめる。
「"王子様の真琴" は ‘みんなのもの’ だと思ってるやつがいるんよ」
「……そうかもしれない」

 真琴は、再燃した噂が全然鎮火する気配もないことを知っていた。
「最近おとなしくなったのは、男の影響じゃないか」
「遼さんって人が真琴先輩を変えたんじゃ?」
 そんな憶測が飛び交っていることも。

 しかし、先生は特に表情を変えずにギターをポロンと弾いた。
「まぁ、それくらいのことで、お前がバタバタするとは思えないけどな」
 真琴は目を瞬かせた。
「……気にしないでいいってことですか?」
「気にしないでいいとは言ってない。ただ、お前がどうするか次第だな」

 辻村先生は、弦を押さえて音を止めると、目を細めた。
「誰かに決めてもらわないと自分の道を選べないなら、そりゃダメだ」
「……私は、自分で選びました」
「なら、それでいい」
 それだけ言うと、先生はまたギターを鳴らした。
 その音が、何かを肯定するように聞こえた。
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