いつまでも、夢見せる王子じゃいられない
出会い
桜陽女子高の昼休み、中庭では後輩バンドが初めての「お披露目ライブ」をしていた。
春の陽射しの下、ステージに立つ後輩たちの緊張が伝わってくる。
「わあ、初々しいねぇ」
ボーカルの詩音が楽しそうに腕を組みながら呟く。
「頑張ってるじゃん」
真琴もうなずきながら、リズムに合わせて足で軽く拍子を取る。
しかし、ギターのソロに入った瞬間――
「……ん? なんか、ギターの音、変くね?」
ギターの植村樹里が眉をひそめた。
「確かに、雑音が混じっているような」
ベースの泉早紀が冷静に指摘する。
「機材トラブルかもな」
真琴がスティックを回しながら呟く。
「演奏が終わったら確認しよう」
曲が終わると、真琴たちはすぐに後輩バンドに駆け寄った。
「お疲れ! でもさ、ギターの音、ちょっと変だったよな?」
樹里がギターを抱えたままの小田桐香織に声をかける。
「え? やっぱりおかしかった?」
香織が困惑した表情を浮かべる。
「ミキサーの設定を変えてみて」
早紀がアドバイスし、香織が調整するが、状況は変わらない。
「ダメだな……プラグを抜き差ししてみても変わらない」
樹里が試しながら首を振る。
「故障の可能性が高いな」
真琴が腕を組んで考える。
「先生に相談してみよう。機材のことなら何か知ってるかもしれない」
「私も行く!」
香織も不安げに後を追った。
◇◇
職員室に入ると、顧問の辻村真一がコーヒーを片手に書類をめくっていた。
2人の姿を見て、軽く顎を上げる。
「どうした?」
「ポータブルPAが故障したかもしれません」
真琴が切り出す。
「設定は確認したのか?」
「はい、いろいろ試しましたがダメでした」
香織が焦った様子で答える。
辻村は少し考え込んだ後、苦笑しながら言った。
「お前ら、よく使ってるライブハウスがあるだろ。マスターに話を通しておくから、見てもらえ」
「えっ、いいんですか?」
「まあ、PA機材のプロが見たほうが早いだろ。それに――」
「あのライブハウスには ‘いいヤツ’ がいるはずだ」
「‘いいヤツ’?」
真琴が首をかしげる。
「ま、行けばわかるさ」
◇◇
翌日の昼休み、真琴、樹里、香織の3人はライブハウス「Beat Cellar」へと向かった。
「Beat Cellar」は、駅に近い雑居ビルの地下にあり、赤に近いオレンジ色のロゴがロックな雰囲気を醸し出している。
階段を降りて、店に入ると、ステージも客席も静まり返り、夜の熱気が嘘のようにガランとしていた。
「ここ、昼間はこんなに静かなんだ……」
ギターケースを背負った樹里が呟く。
「ライブのときとは全然違うな」
真琴も周囲を見渡しながら、足音がやけに響くのを感じていた。
カウンターの奥から現れたのは、店のマスターだった。
手には磨き上げたグラスを持ち、軽く顎をしゃくる。
「話は聞いてるよ。PAの調子が悪いんだってな」
「はい。昨日、後輩のバンドが使ったときに音が変だったんです」
「なるほどな。まあ、うちの ‘技術屋’ に診てもらえ」
そう言うと、マスターはステージの奥に向かって声をかけた。
「遼! 来たぞ、見てやれ!」
その瞬間、薄暗いバーカウンターの奥から、一人の男が姿を現した。
ブラックジーンズにシンプルな白Tシャツ。
背は高く、鍛えられた体つきがシャツの上からでも分かる。
無造作に見える短髪の黒髪。
鋭い目つきだが、どこか影のある瞳。
一見ワイルドにも、しかし知的にも見える不思議な雰囲気。
「PAスタッフの柊 遼くんだ。東京技術大学の大学生だからな。機材のことは何でも聞いていいぞ」
「……東京技術大学?」
真琴と樹里が思わず顔を見合わせる。
そこは技術系大学の最高峰。名門中の名門だ。
「すごい……!」
香織が感嘆の声を漏らす。
しかし、遼はそれに対して特に反応することもなく、淡々と言った。
「マスター、俺の専攻は電気じゃなくて建築ですよ」
「まあ、お前なら大抵のことは分かるだろ?」
「まあな」
遼は軽く肩をすくめると、真琴たちに向き直る。
鋭いがどこか冷静な瞳が、順番に彼女たちを捉える。
「君たちのことは知ってるよ。真琴君と樹里君だよね?」
「えっ、覚えてくれてたんですか?」
真琴が驚いたように目を丸くすると、遼は淡々と答えた。
「ライブハウスによく来てるだろ? 何度か演奏も聞いたことがあるからな」
「へぇ、ウチらの音、ちゃんと聴いてたんやな」
樹里が腕を組んで口元を緩めると、遼は軽く笑ってみせた。
「で、そっちの君は?」
「あっ、小田桐香織です。真琴さんたちの後輩です!」
香織が少し緊張しながら答えると、遼は軽く頷いた。
「いい先輩持ったな」
「……!」
思わぬ言葉に、真琴と樹里は一瞬言葉を失った。
"知っている" だけでなく、"認められている" 感覚。
「で、どこが悪いんだ? 見せてくれ」
本題に戻す遼の声に、香織が慌てて説明する。
「えっと、ギターの音が変なんです!」
「入力端子はどこ使ってる?」
遼は香織が指さしたジャックを軽く確認すると首を傾げた。
「……樹里君、ここに差して音を出してみて」
「んー? 了解」
樹里はギターを取り出し、PAにつなぐと軽くストロークを入れる。
しかし――
「あれ?」
違和感はない。音はクリアで、ノイズもない。
「え、普通に出るじゃん?」
真琴も香織も、思わず顔を見合わせた。
「どんな風に変だったんだ?」
遼が淡々と尋ねると、香織が言葉を選びながら答える。
「えっと……ギターの音に、ジリジリとノイズが混じる感じで……」
「……あちゃー」
急に樹里が頭を抱えた。
「どした?」
真琴が覗き込むと、樹里は顔を覆ったまま呟く。
「……ギター」
「へ?」
「ギターが悪い……弦の高さが低すぎるんよ……ウチが気付かなきゃダメっしょ……」
「あっ……」
真琴も思わず口を押さえた。
「つまり?」
「フレットに微妙に触れて、ノイズが出てたんよ。たぶん、昨日は湿気でフレットが上がってたんじゃね?」
「……あー……なるほどな」
遼は軽く腕を組み、納得したように頷いた。
「ちょっとした環境の変化で起こることはある。湿度や温度で音が変わるからな」
「……マジで申し訳ない」
樹里は肩を落とし、ギターを抱えたまま小さくなる。
「まあ、故障じゃなくてよかったな」
遼がさらりと言うと、
「そ、そうだな……」真琴もホッと胸を撫で下ろした。
香織も安堵した様子で微笑む。
「にしても、あっという間だったな。感謝、感謝」
樹里がギターをケースにしまいながら、感心したように呟く。
「俺は、何もしていない。機材の問題かプレイヤー側の問題か、順番に確認すればよかっただけだ」
「それがすぐにできるのがすごいんですよ!」
香織が興奮気味に言うと、遼は少しだけ口角を上げた。
「でも、次からは自分で考えられるだろ」
そう言い残し、遼はさっと背を向けた。
遼の落ち着きと的確な判断。
言葉は少ないのに、必要なことだけを伝える態度。
真琴はその後ろ姿を見ながら、ふと心の奥がざわつくのを感じた。
春の陽射しの下、ステージに立つ後輩たちの緊張が伝わってくる。
「わあ、初々しいねぇ」
ボーカルの詩音が楽しそうに腕を組みながら呟く。
「頑張ってるじゃん」
真琴もうなずきながら、リズムに合わせて足で軽く拍子を取る。
しかし、ギターのソロに入った瞬間――
「……ん? なんか、ギターの音、変くね?」
ギターの植村樹里が眉をひそめた。
「確かに、雑音が混じっているような」
ベースの泉早紀が冷静に指摘する。
「機材トラブルかもな」
真琴がスティックを回しながら呟く。
「演奏が終わったら確認しよう」
曲が終わると、真琴たちはすぐに後輩バンドに駆け寄った。
「お疲れ! でもさ、ギターの音、ちょっと変だったよな?」
樹里がギターを抱えたままの小田桐香織に声をかける。
「え? やっぱりおかしかった?」
香織が困惑した表情を浮かべる。
「ミキサーの設定を変えてみて」
早紀がアドバイスし、香織が調整するが、状況は変わらない。
「ダメだな……プラグを抜き差ししてみても変わらない」
樹里が試しながら首を振る。
「故障の可能性が高いな」
真琴が腕を組んで考える。
「先生に相談してみよう。機材のことなら何か知ってるかもしれない」
「私も行く!」
香織も不安げに後を追った。
◇◇
職員室に入ると、顧問の辻村真一がコーヒーを片手に書類をめくっていた。
2人の姿を見て、軽く顎を上げる。
「どうした?」
「ポータブルPAが故障したかもしれません」
真琴が切り出す。
「設定は確認したのか?」
「はい、いろいろ試しましたがダメでした」
香織が焦った様子で答える。
辻村は少し考え込んだ後、苦笑しながら言った。
「お前ら、よく使ってるライブハウスがあるだろ。マスターに話を通しておくから、見てもらえ」
「えっ、いいんですか?」
「まあ、PA機材のプロが見たほうが早いだろ。それに――」
「あのライブハウスには ‘いいヤツ’ がいるはずだ」
「‘いいヤツ’?」
真琴が首をかしげる。
「ま、行けばわかるさ」
◇◇
翌日の昼休み、真琴、樹里、香織の3人はライブハウス「Beat Cellar」へと向かった。
「Beat Cellar」は、駅に近い雑居ビルの地下にあり、赤に近いオレンジ色のロゴがロックな雰囲気を醸し出している。
階段を降りて、店に入ると、ステージも客席も静まり返り、夜の熱気が嘘のようにガランとしていた。
「ここ、昼間はこんなに静かなんだ……」
ギターケースを背負った樹里が呟く。
「ライブのときとは全然違うな」
真琴も周囲を見渡しながら、足音がやけに響くのを感じていた。
カウンターの奥から現れたのは、店のマスターだった。
手には磨き上げたグラスを持ち、軽く顎をしゃくる。
「話は聞いてるよ。PAの調子が悪いんだってな」
「はい。昨日、後輩のバンドが使ったときに音が変だったんです」
「なるほどな。まあ、うちの ‘技術屋’ に診てもらえ」
そう言うと、マスターはステージの奥に向かって声をかけた。
「遼! 来たぞ、見てやれ!」
その瞬間、薄暗いバーカウンターの奥から、一人の男が姿を現した。
ブラックジーンズにシンプルな白Tシャツ。
背は高く、鍛えられた体つきがシャツの上からでも分かる。
無造作に見える短髪の黒髪。
鋭い目つきだが、どこか影のある瞳。
一見ワイルドにも、しかし知的にも見える不思議な雰囲気。
「PAスタッフの柊 遼くんだ。東京技術大学の大学生だからな。機材のことは何でも聞いていいぞ」
「……東京技術大学?」
真琴と樹里が思わず顔を見合わせる。
そこは技術系大学の最高峰。名門中の名門だ。
「すごい……!」
香織が感嘆の声を漏らす。
しかし、遼はそれに対して特に反応することもなく、淡々と言った。
「マスター、俺の専攻は電気じゃなくて建築ですよ」
「まあ、お前なら大抵のことは分かるだろ?」
「まあな」
遼は軽く肩をすくめると、真琴たちに向き直る。
鋭いがどこか冷静な瞳が、順番に彼女たちを捉える。
「君たちのことは知ってるよ。真琴君と樹里君だよね?」
「えっ、覚えてくれてたんですか?」
真琴が驚いたように目を丸くすると、遼は淡々と答えた。
「ライブハウスによく来てるだろ? 何度か演奏も聞いたことがあるからな」
「へぇ、ウチらの音、ちゃんと聴いてたんやな」
樹里が腕を組んで口元を緩めると、遼は軽く笑ってみせた。
「で、そっちの君は?」
「あっ、小田桐香織です。真琴さんたちの後輩です!」
香織が少し緊張しながら答えると、遼は軽く頷いた。
「いい先輩持ったな」
「……!」
思わぬ言葉に、真琴と樹里は一瞬言葉を失った。
"知っている" だけでなく、"認められている" 感覚。
「で、どこが悪いんだ? 見せてくれ」
本題に戻す遼の声に、香織が慌てて説明する。
「えっと、ギターの音が変なんです!」
「入力端子はどこ使ってる?」
遼は香織が指さしたジャックを軽く確認すると首を傾げた。
「……樹里君、ここに差して音を出してみて」
「んー? 了解」
樹里はギターを取り出し、PAにつなぐと軽くストロークを入れる。
しかし――
「あれ?」
違和感はない。音はクリアで、ノイズもない。
「え、普通に出るじゃん?」
真琴も香織も、思わず顔を見合わせた。
「どんな風に変だったんだ?」
遼が淡々と尋ねると、香織が言葉を選びながら答える。
「えっと……ギターの音に、ジリジリとノイズが混じる感じで……」
「……あちゃー」
急に樹里が頭を抱えた。
「どした?」
真琴が覗き込むと、樹里は顔を覆ったまま呟く。
「……ギター」
「へ?」
「ギターが悪い……弦の高さが低すぎるんよ……ウチが気付かなきゃダメっしょ……」
「あっ……」
真琴も思わず口を押さえた。
「つまり?」
「フレットに微妙に触れて、ノイズが出てたんよ。たぶん、昨日は湿気でフレットが上がってたんじゃね?」
「……あー……なるほどな」
遼は軽く腕を組み、納得したように頷いた。
「ちょっとした環境の変化で起こることはある。湿度や温度で音が変わるからな」
「……マジで申し訳ない」
樹里は肩を落とし、ギターを抱えたまま小さくなる。
「まあ、故障じゃなくてよかったな」
遼がさらりと言うと、
「そ、そうだな……」真琴もホッと胸を撫で下ろした。
香織も安堵した様子で微笑む。
「にしても、あっという間だったな。感謝、感謝」
樹里がギターをケースにしまいながら、感心したように呟く。
「俺は、何もしていない。機材の問題かプレイヤー側の問題か、順番に確認すればよかっただけだ」
「それがすぐにできるのがすごいんですよ!」
香織が興奮気味に言うと、遼は少しだけ口角を上げた。
「でも、次からは自分で考えられるだろ」
そう言い残し、遼はさっと背を向けた。
遼の落ち着きと的確な判断。
言葉は少ないのに、必要なことだけを伝える態度。
真琴はその後ろ姿を見ながら、ふと心の奥がざわつくのを感じた。