いつまでも、夢見せる王子じゃいられない

夏休み明けの桜陽女子高

 フェスの熱気が少し落ち着いた頃、学校が始まった。

 カフェテリアに入ると、すぐに後輩たちの話し声が耳に入る。

「ねえねえ、フェス見た!? 桜影、めちゃくちゃかっこよくなかった!?」
「真琴先輩、ちょっと心配してたけど、王子様も健在だったし、むしろさらにかっこよくなってた……!」
「やっぱり真琴先輩がNo.1だよね!!」

 学校のあちこちで、フェスの話題が上がっている。真琴は自然と笑みを浮かべた。

 ふと、遼の言葉が蘇る。
 ——「もっと楽しめよ。"王子様" なら、ファンを夢中にさせるくらいの勢いでな」
 もう、"王子様"に縛られているわけじゃない。
 "演じなきゃ" じゃなくて、今は"楽しんで王子様をやれる"。

 それに——。
 あのライブで、桜影の"王子様"が変わってしまうのでは、という不安は払しょくできたようだ。
 一部の生徒はまだ動揺しているかもしれない。それでも、真琴は大多数は"変わらない"自分を受け入れているという感触を得ていた。

   ◇◇

 昼休みが始まる頃、部室に向かっていた真琴は、部室から整備を終えて部室から出てきた遼を見かけた。
 軽音部の機材メンテナンスのため、辻村先生が知り合いの「詳しい人」に手伝いを頼んでいると聞いていたが、それがまさか、遼だったとは……。

 真琴と遼は、気づけば校門の外まで一緒に歩いてきていた。
「……で、どうだったの? 機材の調子は」
「悪くない。ただ、長く使うなら手入れがもう少し必要だな」
「ふーん、そっか。……まさか、先生が遼に頼むとは思わなかったよ」
「マスター経由で話が来た」
 遼が肩をすくめる。

「まぁ、お前の学校なんじゃないかって、なんとなく察したけど」
「察したなら、前もって言ってくれよ」
 真琴は呆れたように言いながらも、どこか心地よかった。
 学校の外で会うことはあっても、こうして"こっちの世界"に遼がいるのは、なんか不思議だ。
 ふと、そんなことを思っていた、そのとき——。

「——真琴先輩!!」
 鋭い声が、背後から響いた。
 ……やべ。
 真琴が振り向くと、そこには篠原凜花を先頭にした数名の後輩女子たちが立っていた。

「何してるんですか、こんなところで……!」
「それに、この人……!」
「真琴先輩、お願いです! 私たちのところに戻ってきてください!」

 真琴は小さくため息をついた。
「戻るって……私はどこにも行ってないだろ?」
「違うんです! 私たちの王子様として……ずっといてほしいんです!」
「男の影響で変わるなんて……そんなの、嫌です!!」

 ——まるで言い聞かせるように、後輩たちは一斉に口々に言った。
 ……面倒なことになったな。

 真琴は少しだけ目を伏せる。

 ここで何を言っても、彼女たちの思いは簡単には変わらない。
 遼は隣で腕を組み、静かに様子を見ていた。

 だが、後輩たちの言葉がさらにヒートアップし始めると、彼はゆっくりと口を開いた。

「……フェスは見たろ?」
 後輩たちは、一瞬戸惑ったように顔を見合わせる。
「君たちの ‘王子様’ は、最高だったろ」
 その言葉に、凜花をはじめとする後輩たちは、ぎゅっと唇を噛む。

 確かに、フェスの真琴は圧倒的だった。
 今まで以上に堂々と王子様を演じ、観客を魅了していた。
「だったら、それでいいじゃないか」
 遼は、それだけ言って肩をすくめた。

 真琴は、ゆっくりと後輩たちに向き直った。
「私は、これからもステージでは ‘王子様’ でいるよ」
 その言葉に、後輩たちの顔が明るくなる。

 ——が、その次の言葉で、彼女たちは息をのんだ。
「でも、ステージを降りたら、私は ‘普通の女子高生’ に戻る」
 静かながらも、はっきりとした声。
 後輩たちは、その言葉の意味を理解し、動揺する。

「えっ……?」
「そんな……」
 凜花が、不安げに真琴を見つめる。

「私が ‘桜影の王子様’ であることは変わらない。でも、それは ‘ステージの上’ だけ」
 真琴は、少し笑った。
「だから ‘私生活’ にまで、王子様であることを求められても、応えられないんだ」

 後輩たちは、言葉を失ったまま、視線を落とす。
 遼は、真琴の強い意志を感じ取り、それ以上は何も言わない。
「……そう、ですか」
 凜花が、小さな声で呟く。
「……真琴先輩が、そう決めたなら……」
 ほかの後輩たちも、次々にうなずき、静かにその場を離れていく。
 真琴は、彼女たちの背中を見送りながら、ふっと息を吐いた。

 静かになった校門前。
「……ふぅ」
 真琴は、ため息をつきながら、スティックを回す。
「……ありがとな」
「俺は何もしてない」
「いや、してる。ずっと……支えてくれてる」
 ふっと笑いながら、真琴は遼の顔を見上げた。

 そして、ぽつりと言う。
「だから、私も遼のことが、好き……」

 遼が短く息をのむ。
 しかし、驚いたのは一瞬だけ。
「そりゃ、よかった」
 そう言いながら、遼は真琴の肩をそっと抱いた。

 真琴は、一瞬、戸惑いの表情を見せた。
 けれど、その腕の温かさに包まれた瞬間、ふっと力が抜け、遼に寄りかかった。
 ……私は、この人にずっと支えられていたんだ。

 そっと目を閉じ、遼の腕の中に身を預ける。
 王子様の真琴も、素の真琴も、もうどちらでもいい。
 そのどちらも、ちゃんと"私"だから。

 遼もそれを分かってくれている。
 だから——。これで、いいんだ。
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