いつまでも、夢見せる王子じゃいられない
秋から冬へ
Beat Cellarでの「桜影の夜」から、一か月が経った。
秋もすっかり深まり、日中は暖かくても、日が暮れると冷え込むようになっていた。
高校最後のライブを終えたことで、バンドの活動も一旦区切りを迎えた。
早紀と樹里は、それぞれの進路に向けて勉強に取り組み始め、以前のように部室で顔を合わせる機会もめっきり減っていた。
だけど——今、一緒にいる時間が増えているのは、バンドメンバーではなく遼だった。
◇◇
午後の柔らかな日差しの中、真琴と遼はゆっくりと歩いていた。街の銀杏並木はすっかり黄色く染まり、風が吹くたびに葉が舞い落ちる。
「もうすぐ冬かぁ……」
ふと真琴が呟くと、遼がポケットに手を突っ込んだまま、ちらりと横目で見た。
「……寒くなるな」
「なにそれ。天気予報みたいな反応」
「事実だろ?」
「まぁね。でも、銀杏の葉が落ちるのって、ちょっと寂しいよな」
「また春になれば、新しい葉が出る」
真琴は遼のその言葉に、ふっと笑った。
相変わらず、無駄な感傷には浸らないタイプだ。
真琴が遼の顔を見上げると、ふいに遼が手を伸ばした。
真琴の髪にひらりと落ちた銀杏の葉を、そっと摘む。
「ほら、ついてる」
「……」
いつものように、さらっとした仕草。
「……お前、時々ドキッとするようなことするよな」
「どんな?」
「……それは言わない」
頬が熱くなるのを誤魔化すように、真琴は視線を逸らした。
遼はその様子を見ても、特に何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
銀杏の葉を踏みしめる音を聞きながら、歩いていく。
「なぁ、遼」
「ん?」
「……これからも、こうやって、一緒に歩けるのかな」
ふと口をついて出た言葉に、自分で驚く。まるで未来を確かめるような台詞だ。
「お前が ‘一緒にいたい’ って思ってるなら、そうなるだろ」
何の迷いもなく、遼はそう言った。
「うん、そうだな」
真琴は、ゆっくりと遼の腕に自分の手を伸ばし、そっと腕を組んだ。
遼は特に驚くこともなく、そのまま歩き続けた。
秋の終わり、銀杏の道を、二人はゆっくりと並んで進んでいく。
◇◇
カフェの窓際の席。
レジカウンターには、鮮やかに色づいたポインセチアが飾られ、クリスマスがもう近いことを感じさせていた。
真琴はテーブルにミルクティーのカップを置き、目の前のモンブランをスプーンですくう。
遼は、ブラックコーヒーを静かに口に運びながら、いつものように落ち着いた表情で座っている。
真琴はモンブランを一口食べ、
「遼ってさ、大学院に行って研究を続けるって言ってたけど、どんな研究してるの?」
と何気なく尋ねる。
「建築音響設計。コンサートホール、多目的ホール、ライブハウスの設計とか、そういうのを研究してる」
「へぇ、ライブハウスも?」
「観客に最高の音楽空間を提供するのはもちろんだけど、ライブハウスの場合は、周辺の環境を考慮した遮音計画も重要になる。音や振動が外に漏れすぎたら、トラブルにもなりかねない」
「……なんか、難しそう」
「まぁ、簡単ではないな」
遼はそう言って、カップを持ち上げ、ブラックコーヒーを一口飲んだ。
「でも、ライブハウスっていいよな」
ふと、遼が小さく呟く。
「演奏する側と聴く側が一番近くて、音楽の熱量をダイレクトに感じられる場所だ」
「……確かに」
真琴はスプーンを止め、思わず遼の顔を見た。
彼がそんなふうにライブハウスを語るのを聞くのは、初めてだった。
遼にとっては、あくまで“設計する対象”でしかないと思ったけれど、今の言葉には、それ以上の何かが込められている気がした。
「いつか、お前のために、最高のスタジオを設計してやるよ」
遼がふっと笑って言う。
「……なにそれ」
真琴も、思わず吹き出す。
「期待してる」
そう言いながら、スプーンを持ち直すが、内心では、その言葉が嬉しくて仕方なかった。
何気ない一言。
でも、それはただの冗談じゃなくて——
……こいつ、本当にやりかねないな、とも思えた。
ふと、遼が窓の外へと視線を向ける。
つられて真琴も外を見ると、街は夕陽に包まれ始めていた。
緑や橙色の光がガラスに反射し、店内の温かな雰囲気と溶け合う。
「……もうすぐクリスマスだな」
遼が小さく呟く。
「……そうだね」
カップを持ち上げながら、真琴はなんとなく相槌を打つ。
特に意識していたわけじゃない。クリスマスなんて、これまでバンドの練習やライブで忙しくて、あまり気にしたことがなかったから。
そんなことを考えていた矢先——
「お前、何か欲しいものあるか?」
「え?」
遼が、こんなことを聞くなんて意外だった。
「特に欲しいものなんかないよ」
真琴は素直に答えながら、少しだけ考えた。
物として欲しいものは、本当に思い浮かばない。
でも、せっかくのクリスマス——。
「……あ、でも、クリスマスのイルミネーションなんか見てみたいかな」
「イルミネーション?」
「うん。ずっとバンドの練習してたから、ちゃんと見たことなくて」
自分でも少し意外だった。別に、イルミネーションにそこまでの憧れがあるわけじゃない。
けれど、ふと口をついて出た言葉に、心のどこかが少し弾むのを感じた。
「ふーん」
遼は興味なさげにコーヒーを飲みながら、それ以上何も言わなかった。
あれ……スルー?
真琴は、少しだけ肩透かしを食らったような気分になりながら、
モンブランの残りをスプーンですくった。
カフェを出る頃には、すっかり夕闇が街を包み込んでいた。
夜風が肌をかすめ、真琴は思わずコートの襟を立てる。
「寒くなってきたね」
「……冬だからな」
「当たり前のこと言わないでよ」
冗談めかして言うと、遼は少しだけ笑った。
「……イブ、空けとけよ」
「え?」
「クリスマスイブ。夜、予定入れるな」
「……まさか」
「まさか、何だよ」
「いや、だって、遼、イルミネーションに興味ないでしょ?」
「俺が見たいかは関係ない。お前が ‘見たい’ って言ったから」
何でもないように言う遼の横顔を、真琴は思わず見つめた。
こいつ、こういうところ……ずるい。
無理に誘うわけでもなく、さらっと約束を入れてくる。
でも、真琴が言ったことは、ちゃんと覚えている。
「……わかった。空けとく」
冷たい夜風の中、さっき飲んだミルクティーよりも、ずっと心が温かくなっていた。
秋もすっかり深まり、日中は暖かくても、日が暮れると冷え込むようになっていた。
高校最後のライブを終えたことで、バンドの活動も一旦区切りを迎えた。
早紀と樹里は、それぞれの進路に向けて勉強に取り組み始め、以前のように部室で顔を合わせる機会もめっきり減っていた。
だけど——今、一緒にいる時間が増えているのは、バンドメンバーではなく遼だった。
◇◇
午後の柔らかな日差しの中、真琴と遼はゆっくりと歩いていた。街の銀杏並木はすっかり黄色く染まり、風が吹くたびに葉が舞い落ちる。
「もうすぐ冬かぁ……」
ふと真琴が呟くと、遼がポケットに手を突っ込んだまま、ちらりと横目で見た。
「……寒くなるな」
「なにそれ。天気予報みたいな反応」
「事実だろ?」
「まぁね。でも、銀杏の葉が落ちるのって、ちょっと寂しいよな」
「また春になれば、新しい葉が出る」
真琴は遼のその言葉に、ふっと笑った。
相変わらず、無駄な感傷には浸らないタイプだ。
真琴が遼の顔を見上げると、ふいに遼が手を伸ばした。
真琴の髪にひらりと落ちた銀杏の葉を、そっと摘む。
「ほら、ついてる」
「……」
いつものように、さらっとした仕草。
「……お前、時々ドキッとするようなことするよな」
「どんな?」
「……それは言わない」
頬が熱くなるのを誤魔化すように、真琴は視線を逸らした。
遼はその様子を見ても、特に何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
銀杏の葉を踏みしめる音を聞きながら、歩いていく。
「なぁ、遼」
「ん?」
「……これからも、こうやって、一緒に歩けるのかな」
ふと口をついて出た言葉に、自分で驚く。まるで未来を確かめるような台詞だ。
「お前が ‘一緒にいたい’ って思ってるなら、そうなるだろ」
何の迷いもなく、遼はそう言った。
「うん、そうだな」
真琴は、ゆっくりと遼の腕に自分の手を伸ばし、そっと腕を組んだ。
遼は特に驚くこともなく、そのまま歩き続けた。
秋の終わり、銀杏の道を、二人はゆっくりと並んで進んでいく。
◇◇
カフェの窓際の席。
レジカウンターには、鮮やかに色づいたポインセチアが飾られ、クリスマスがもう近いことを感じさせていた。
真琴はテーブルにミルクティーのカップを置き、目の前のモンブランをスプーンですくう。
遼は、ブラックコーヒーを静かに口に運びながら、いつものように落ち着いた表情で座っている。
真琴はモンブランを一口食べ、
「遼ってさ、大学院に行って研究を続けるって言ってたけど、どんな研究してるの?」
と何気なく尋ねる。
「建築音響設計。コンサートホール、多目的ホール、ライブハウスの設計とか、そういうのを研究してる」
「へぇ、ライブハウスも?」
「観客に最高の音楽空間を提供するのはもちろんだけど、ライブハウスの場合は、周辺の環境を考慮した遮音計画も重要になる。音や振動が外に漏れすぎたら、トラブルにもなりかねない」
「……なんか、難しそう」
「まぁ、簡単ではないな」
遼はそう言って、カップを持ち上げ、ブラックコーヒーを一口飲んだ。
「でも、ライブハウスっていいよな」
ふと、遼が小さく呟く。
「演奏する側と聴く側が一番近くて、音楽の熱量をダイレクトに感じられる場所だ」
「……確かに」
真琴はスプーンを止め、思わず遼の顔を見た。
彼がそんなふうにライブハウスを語るのを聞くのは、初めてだった。
遼にとっては、あくまで“設計する対象”でしかないと思ったけれど、今の言葉には、それ以上の何かが込められている気がした。
「いつか、お前のために、最高のスタジオを設計してやるよ」
遼がふっと笑って言う。
「……なにそれ」
真琴も、思わず吹き出す。
「期待してる」
そう言いながら、スプーンを持ち直すが、内心では、その言葉が嬉しくて仕方なかった。
何気ない一言。
でも、それはただの冗談じゃなくて——
……こいつ、本当にやりかねないな、とも思えた。
ふと、遼が窓の外へと視線を向ける。
つられて真琴も外を見ると、街は夕陽に包まれ始めていた。
緑や橙色の光がガラスに反射し、店内の温かな雰囲気と溶け合う。
「……もうすぐクリスマスだな」
遼が小さく呟く。
「……そうだね」
カップを持ち上げながら、真琴はなんとなく相槌を打つ。
特に意識していたわけじゃない。クリスマスなんて、これまでバンドの練習やライブで忙しくて、あまり気にしたことがなかったから。
そんなことを考えていた矢先——
「お前、何か欲しいものあるか?」
「え?」
遼が、こんなことを聞くなんて意外だった。
「特に欲しいものなんかないよ」
真琴は素直に答えながら、少しだけ考えた。
物として欲しいものは、本当に思い浮かばない。
でも、せっかくのクリスマス——。
「……あ、でも、クリスマスのイルミネーションなんか見てみたいかな」
「イルミネーション?」
「うん。ずっとバンドの練習してたから、ちゃんと見たことなくて」
自分でも少し意外だった。別に、イルミネーションにそこまでの憧れがあるわけじゃない。
けれど、ふと口をついて出た言葉に、心のどこかが少し弾むのを感じた。
「ふーん」
遼は興味なさげにコーヒーを飲みながら、それ以上何も言わなかった。
あれ……スルー?
真琴は、少しだけ肩透かしを食らったような気分になりながら、
モンブランの残りをスプーンですくった。
カフェを出る頃には、すっかり夕闇が街を包み込んでいた。
夜風が肌をかすめ、真琴は思わずコートの襟を立てる。
「寒くなってきたね」
「……冬だからな」
「当たり前のこと言わないでよ」
冗談めかして言うと、遼は少しだけ笑った。
「……イブ、空けとけよ」
「え?」
「クリスマスイブ。夜、予定入れるな」
「……まさか」
「まさか、何だよ」
「いや、だって、遼、イルミネーションに興味ないでしょ?」
「俺が見たいかは関係ない。お前が ‘見たい’ って言ったから」
何でもないように言う遼の横顔を、真琴は思わず見つめた。
こいつ、こういうところ……ずるい。
無理に誘うわけでもなく、さらっと約束を入れてくる。
でも、真琴が言ったことは、ちゃんと覚えている。
「……わかった。空けとく」
冷たい夜風の中、さっき飲んだミルクティーよりも、ずっと心が温かくなっていた。