いつまでも、夢見せる王子じゃいられない

卒業

 春の気配が感じられる、桜の咲き始めた校庭。
 真琴は卒業証書を手にしながら、緩やかに吹く風を感じていた。

 式は無事に終わり、バンドメンバーとは「これからもよろしく!」と明るく言い合った。
「またすぐに会うだろうし」と笑って別れたが、ふと一人になると、胸の奥にぽっかり穴が空いたような感覚が広がる。

「……本当に、卒業なんだな……」

 この学校に通い、バンドを組み、仲間と音楽を奏でた日々が、今日で一区切りつく。
 それを理解していたはずなのに、いざ現実として突きつけられると、寂しさがこみ上げてくる。
 もう、制服を着て部室に行くことはないんだ。
 そんなことを考えながら、校門を出ると、すぐに見慣れた姿が目に入った。

「……迎えに来た」
 少し低めの落ち着いた声。
 黒のジャケットを羽織り、片手をポケットに突っ込んだ遼が、真琴をじっと見ていた。
「……なんだよ、急に」
「お前が一人でしんみりしてる顔が浮かんだから」
 その言葉に、真琴は思わず笑ってしまった。
「読まれてるし!」
 軽く拳を遼の肩に当てると、遼は肩をすくめて受け流す。

「で、どこ行く?」
「せっかくだし、普段行かないような店にでも行くか。卒業祝いだからな」
「お、卒業祝い?」
「そういうこと」

 遼が自然に歩き出す。
 真琴は、その背中を見つめた後、少し照れながら後を追った。

 遼が連れて行ったのは、少し洒落たイタリア料理の店だった。
 木目調のインテリアが温かみを感じさせる、落ち着いた雰囲気の店内。
 客層もどこか上品で、大人の空間が広がっている。

「遼って、こういう店来るんだ?」
 真琴が意外そうに言うと、遼は軽く笑った。
「まあ、たまにな」
「へぇ……似合わないとは言わないけど、意外」
「俺の ‘研究対象’ でもあるからな」

 遼はメニューを手に取りながら、店内をぐるりと見渡す。
「建築設計の観点から見ても、レストランの ‘空間デザイン’ って面白いんだよ。
 このクラスのレストランになると、単に ‘おしゃれなデザイン’ だけじゃなく、照明の位置、テーブルの高さ、座席の配置、そして音 の響き方まで計算されてる」
「そんなこと考えながら飯食ってるの?」
「研究者の性だな」
 真琴は遼の言葉に「ふーん」と感心しながら、改めて店内を見渡した。

 確かに、程よい距離感で配置されたテーブル、落ち着いた照明、柔らかく響くBGM——。
「居心地がいい」と感じるのも、ちゃんとした設計のなせる業なのかもしれない。
「……面白いな」
「何が?」
「こういう ‘当たり前のこと’ って、意識しないと気づかないけど、実はすごく計算されてるんだなって」
 真琴は感心しながら、ふと考える。
 遼はやっぱり、自分の研究に誇りを持ってるんだな。
 それが伝わるだけで、なんだか嬉しかった。

 注文した料理が運ばれてくるまでの間、2人は穏やかに話し続けた。

「卒業か……なんか実感わかないな」
「まあ、お前らは ‘まだ終わりじゃない’ だろ?」
「うん。専門学校に行っても、バンドは続ける」
「それなら、お前らの ‘これから’ の方が楽しみだな」
「……遼は?」
「ん?」
「これから、どうするの?」

 遼は少し驚いた顔をした後、フッと笑った。
「俺は変わらないよ。建築の研究を続けて、もっと ‘いい空間’ を設計できるようにするだけだ」
「そっか……。」
 遼は、自分の未来をちゃんと見据えてる。それが、眩しい。

 でも、同時に——。私も、そうありたい。
 遼の隣に並んで歩く未来を思い描いて、真琴は小さく笑った。

   ◇◇

「ちょっと付き合えよ」
 遼がそう言って、真琴を連れ出した。

 向かったのは、川沿いの桜並木。
 夜の風が少し肌寒いが、満開の桜が月明かりに照らされ、幻想的な光景が広がっていた。
 遼と並んで歩きながら、真琴はぼんやりと思う。
 ……これから、私たちはどんな未来を歩いていくんだろう?

 そんな真琴の気持ちを見透かしたように、遼がふっと言う。
「……お前、また眉間にシワ寄せてるぞ」
「は?」
「力抜けよ。 ‘女子高の王子様’ からはもう解放されたんだから」
 その言葉に、真琴の胸がじんわりと温かくなる。
 遼は、そんな真琴の手をそっと取った。

「真琴、お前ってさ、ずっと誰かの期待に応えようとして頑張ってきたよな」
「……そう、かもな」
「でも、これからは、もっと ‘自分のため’ に生きてもいいんじゃね?」

 真琴は、しばらく黙って考える。でも、自然と笑みがこぼれた。
「……遼が言うと、なんか説得力あるな」
「まぁな」
 遼は、真琴の指先を軽く握りながら、ふっと息を吐いた。
「俺は、どんな ‘お前’ でも好きだから」

 彼はもう何度も「好きだ」と言ってくれていたけど——
 今この瞬間、桜が舞う夜に、改めてその言葉を聞くと、涙が出そうになる。
「ありがとう、遼」
 そう言って、真琴はそっと背伸びをして、遼の頬に軽くキスをした。

 遼は一瞬、驚いたように目を見開くが、すぐに微笑んだ。
「……それ、反則だろ」
「え?」
「そんな顔で、そんなことされたら……」
 真顔に戻り、真琴をまっすぐに見つめる。

 次の瞬間、遼の腕が真琴の腰を引き寄せた。驚く間もなく、遼の唇がそっと重なる。
 ふわりと桜が舞い、夜風が静かに流れていく。二人の唇が離れ、真琴は頬を染めて遼を見上げた。
「……りょ、遼……?」
「ごめん、驚かせたな」
 視線を逸らす遼を見て、真琴は思わず笑顔になる。
「いや……嬉しいよ」
 そう言って微笑む真琴を見て、遼は再び顔を近づけた。
 二人は互いの背中に腕を回し、より深く唇を重ねる。
 夜風が桜の花びらを舞い上げ、月明かりが二人の影を映し出していた。

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