いつまでも、夢見せる王子じゃいられない

ライブハウス「Beat Cellar」

 夕刻のライブハウスは、独特の熱気と心地よい音のざわめきに包まれている。
 ライブの開演まではまだ時間があったが、店内にはすでに客が集まり始めていた。

 真琴はカウンター席に座り、コーラのグラスを手にする。
 ステージの準備をしていた遼が、ちょうどこちらに向かってくるところだった。
「珍しいな、お前が客として来るなんて」
「たまには、ね」
 そう言いながら、グラスをくるりと回す。
 本当は、ライブが観たいというのもあったけど――遼と、話してみたかった。
 それが、今日ここに来た一番の理由だった。

「今日の最初のバンド、初めて見るけど、どう?」
「悪くない。テクニックはあるし、グルーヴも悪くない」
「……けど?」
「少し、まとまりが足りないな。個々の音はいいんだけど、全体の流れが揃ってない」
「ふーん……やっぱ、遼って音楽を空間として捉えてるよね」
「そりゃあな。音楽は、空間を埋める"構造物"だ」

 遼の言葉に、真琴はなんとなく納得した。
 この人の考え方は、やっぱり独特で、でもすごくしっくりくる。
 やっぱり、もっと知りたい。

 そんなことを思いながら、グラスを傾けたそのとき――
「お、遼? 何してんの?」
 突然、カウンターの後ろから男の声がした。
 振り返ると、ラフなシャツ姿の二人組の男が、遼を見て近づいてくる。

「ここでバイトか?」
「いや、手伝ってるだけだ」
 遼は淡々と答え、軽くグラスを持ち上げた。
 どうやら、彼の大学の同級生らしい。

 そのうちの一人が、ふと真琴を見て、目を丸くした。
「え、なんだ、男かと思ったら女の子じゃん」
 真琴の眉がピクリと動く。
「へぇー、遼、お前の彼女?」
「……っ」
 真琴はムッとした。
 どういうつもりか知らないが、こんな言い方をされるのは気に入らない。

 けれど――
「違うよ」
 遼は、まるで何の感情も持っていないかのように、さらりと言った。

「それより、お前ら何しに来た?」
「いや、ライブ見に来ただけだけど?」
「なら、邪魔するな」
「え?」
「人の時間を奪うな」

 冷静な一言に、同級生たちは一瞬言葉を詰まらせた。
 それでも何か言い返そうとしたが――

「お前ら、音楽聴きに来たんだろ? それとも、くだらない話しをしに来たのか?」
 たったそれだけの言葉で、空気が変わる。
「……悪かったよ、邪魔したな」
 そう言って、二人組はそそくさと去っていった。

 すご、真琴は思わず遼を見た。
 あんな風に、何も感情を乱さず、冷静に相手を追い返せるものなのか。
「気にするな」
 遼は、まるで何事もなかったようにグラスを傾けた。

「くだらないやつに、時間を使うだけ無駄だ」
「……うん」
 胸の奥に、小さく温かいものが灯る。
 こんなにあっさりと、彼は"私"を守ってくれた。

 同級生が去り、再び二人きりの空間が戻ってきた。
 真琴はグラスを強く握りしめていた。炭酸の泡がシュワシュワと弾ける音が、やけに耳につく。
 ……なんか、モヤモヤする。

 男っぽく見られるのは慣れているし、売りにしてる部分もある。
 男といると茶化されることも、まぁいつものことだ。
 でも――
 あの言い方は、なんか違う。

「……気にしてんの?」
 横から何気なく問いかける声がした。
「え?」
 顔を上げると、遼がグラスを軽く傾けながらこちらを見ている。
「さっきのやつらが言ってたこと」
「ああ、"男かと思った"とか"彼女か"とか? 別に気にしてないよ。男っぽいのはむしろ売りにしてるし、男といると茶化されるのも慣れてる。でも、あの言い方はノンデリだよ」
「……まあな」
 遼は短くそう言って、グラスの氷をゆっくり回す。

「で?」
「……なにが?」
「じゃあ、何でそんなにムスッとしてるんだ」
「……っ」

 思わず真琴はグラスを持つ手に力を込める。
「……ムスッとしてないし」
「いや、してる」
「してないって」
「してる」

 遼はさらりとそう言い切ると、真琴をじっと見つめた。
「お前、"そういうの慣れてる"って顔してるけどさ」
「……」
「本当に慣れてるやつは、"慣れてる"なんて言わない」
「……っ」

 胸の奥に、小さな衝撃が走った。
「……どういう意味」
「さあな」

 遼は軽く口角を上げると、グラスを一口飲んだ。
「ただ、別に無理して慣れなくてもいいんじゃね?」
「……」
「お前は、お前なんだからさ」
「……」
 言葉が出てこなかった。

 遼は別に慰めるわけでもなく、励ますわけでもなく、たださらっと言う。
 なのに、その言葉が真琴の胸の奥に深く落ちていく。
「……そんな言い方ずるい」
 ぽつりと呟くと、遼は少し驚いたように目を細めた。

「何が?」
「……なんでもない」

 真琴はグラスを傾け、炭酸の刺激を感じながらそっと息を吐いた。
 ライブの開演時間が近づいて来る――。
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