【警告】決して、この動画を探してはいけません!
◆第三十一話『狭まる輪』
2022年9月18日(日) 午前3時10分/祖父の家
夜の闇は、ひたすらに深かった。
外では、カエルや虫の鳴き声が響いている。
けれど、その音がどこか遠く感じる。
まるで、私たちのいる"この場所"だけが、異なる空間に取り残されているような——そんな感覚。
私は布団の中でじっと息をひそめていた。
窓の外から聞こえた"あの音"が、まだ耳の奥にこびりついている。
——キッ……キッキッ……。
(……やっぱり、終わってないんだ)
社に封じたはずの狒々が、まだここにいる。
どこかで"封印が破れた"のだ。
そして、それが"私たちのすぐ近く"に迫っている——。
私はそっと布団をめくり、体を起こした。
部屋の中は暗いが、目が慣れたせいか、物の輪郭はぼんやりと見えている。
隣の部屋の裕也も、すでに目を覚ましている気がした。
廊下に出ると、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
まるで、"見えない何か"がこの家の中を徘徊しているような気配。
「……裕也」
私は襖を静かに開けた。
裕也は布団の上に座り込み、スマホを握りしめたまま、じっと動かずにいた。
「……起きてたんだ」
「……寝れるわけねぇだろ」
裕也は低く呟く。
その顔色は悪く、明らかに何かを感じ取っているようだった。
「お前も……聞こえたか?」
私は無言で頷く。
言葉に出したくなかった。
それを認めてしまったら、もっと"近づいてくる"気がして——。
「……なあ、夏美」
裕也が低い声で言う。
「今、玄関の方……なんか、音しなかったか?」
その言葉に、私は背筋を凍らせた。
(……玄関……?)
じっと耳を澄ませる。
——シン……とした静寂。
だが、その"静けさ"が逆に不自然だった。
まるで、家の外が"何か"によって完全に包み込まれているような、そんな感覚。
「……確認してみる?」
裕也がそっと立ち上がる。
私は躊躇ったが、このまま布団に潜っていても、ただ恐怖に苛まれるだけだった。
意を決して、祖父の家の奥にある"玄関"へ向かうことにした。
足音を立てないように、廊下を進む。
祖父の家は古い木造の家で、床が軋む音がやけに大きく聞こえる。
(……こんなに家って暗かったっけ?)
いや、違う。
暗いんじゃない——"影が濃すぎる"。
玄関へ続く廊下の奥は、まるで光を吸い込むように黒く沈んでいた。
月明かりはあるはずなのに、その先だけが"闇に飲み込まれている"ように見える。
私は無意識のうちに裕也の袖を掴んだ。
「……ヤバくね?」
裕也も喉を鳴らしている。
——その時だった。
——コン……コン……コン……。
玄関の扉が、小さく"叩かれた"。
心臓が跳ね上がる。
(……誰?)
こんな時間に、来客なんてあるはずがない。
ましてや、村の人がこんな夜更けに訪ねてくるとは思えない。
「……じいちゃん、起きてる?」
裕也が小声で言うが、祖父の部屋からの反応はない。
まるで、"この家の中には私たち二人しかいない"かのように——。
「……開ける?」
裕也が私を見た。
私は、ギュッと拳を握りしめた。
——その時。
——カチリ。
玄関の"鍵が勝手に回った"。
第三十二話『開かれる扉』
2022年9月18日(日) 午前3時25分/祖父の家
——カチリ。
静寂を切り裂くように、小さな"金属音"が響いた。
(……今の音……鍵?)
私は息を呑んだ。
裕也も、まるで凍りついたように動かない。
——誰も、扉には触れていないはずだった。
それなのに、"勝手に" 玄関の鍵が回った。
ギリ……ギリギリ……と、ゆっくりと錠が解除されていく音。
まるで、"向こう側の何か"が、自分で入る準備をしているような——。
——カチャン。
鍵が、完全に開いた。
裕也が、息を呑んだまま動かない。
私も、全身がこわばっていた。
「……開けちゃ、ダメだ」
私は、震える声で囁いた。
当たり前だ。
こんな時間に、勝手に鍵が開くなんて——"まともな現象"なわけがない。
裕也も、そのことは十分理解しているはずだった。
「……いや、でも……」
裕也は玄関の方を睨みながら、唇を噛んでいる。
「このまま放っておいたら……どうなる?」
私は答えられなかった。
これまでの経験上、"何かが外にいる"のは明らかだった。
そして、それは"ここへ入ろうとしている"。
(でも、入れない……?)
ふと、違和感がよぎった。
もし、"向こう"が本当に家の中に入れるのなら——。
なぜ、まだ扉を開けてこない?
鍵を開けることはできるのに、その先の行動をしない理由は?
誘っている?
それとも、からかって楽しんでいる?
私は喉を鳴らした。
その考えに至った瞬間、全身に鳥肌が立った。
——どのような理由にせよ、開けちゃダメだ。
——コン……コン……。
ノックが響く。
それは、異様なほど"ゆっくり"だった。
トン……トン……と、"待っている"かのようなリズム。
誰かが訪ねてきた時のような普通のノック音。
けれど、それがこの状況では異様でしかなかった。
裕也が、小声で言う。
「……誰かいるのか?」
私は思わず裕也の腕を掴んだ。
(馬鹿、何で聞くのよ!!)
声に出さなかったが、そう叫びたかった。
すると——
——ギィ……。
今度は、扉がわずかに開いた。
私は悲鳴を押し殺した。
裕也も、肩をこわばらせながら、じりじりと後ずさる。
——スゥ……スゥ……。
扉の隙間から、"冷たい夜気"が流れ込んでくる。
同時に、"何かの匂い"が鼻を掠めた。
土の匂い。
獣の匂い。
そして——
"生臭い、血の匂い"。
「……いる……」
裕也が、かすれた声で呟いた。
私も、わかっていた。
そこに"何か"がいる。
それは、"じっと"こちらを見ている——。
私は必死で目を逸らした。
(……ダメ……見たら……!)
以前、社で狒々を目撃したときのことを思い出す。
目を合わせた瞬間、"襲われた"。
そして、動画を見た人間が次々に"消えた"のも——"狒々と目を合わせたから"。
(つまり……"見なければ"……!)
私は震える手で裕也の袖を掴んだ。
「……絶対に、見ちゃだめだよ……」
裕也は、ゴクリと喉を鳴らした。
「でも……どうすんだよ……」
「とにかく、閉めるの……」
裕也と私は、視線を合わせないまま、ゆっくりと扉へ手を伸ばした。
だが——その時だった。
——ギギギ……ギィ……。
扉が、"向こう側から"さらに開いた。
風が巻き込み、部屋の空気が一気に冷たくなる。
私は目を閉じたまま、恐る恐る声を出した。
「……そこに、誰かいるの?」
返事はなかった。
ただ——
"それ"は、確実にそこにいた。
——キッ……キッキッ……。
耳の奥で、狒々の鳴き声が響いた——。