十五年の石化から目覚めた元王女は、夫と娘から溺愛される

ディアドラのために

『お母様』

 まどろみの中で、誰かがカミラに呼びかけている。

『お母様、起きて』

(……誰?)

 カミラは、もやのかかる意識の中で応じる。

 カミラのことを『お母様』と呼べるのは、愛娘のディアドラだけだ。だが娘はまだやっと「かーた」と言えるようになったくらいだし、こんなに大人びた声も出せない。

『お母様、お母様。……助けて!』









 はっと、カミラは覚醒した。飛び起きるようにベッドから体を起こし、濃い夜の色に包まれる寝室の天井を見上げる。

 妙な夢で、目が覚めた。だが悪夢を見たときのように全身汗びっしょりだとか、心臓がどきどき高鳴っているとかというわけではない。
 ただ、漠然とした不安。

『助けて!』

「……ディア?」

 無性に不安な気持ちになり、カミラはそっとルームシューズを履いた。

 三日前に晩餐会が終わり、あと四日ほどでルークが帰ってくる。夫の帰宅まで何もなければ、それでいい。ディアドラの無事な寝顔を見てから、もう一度ベッドに入ろう。

 子ども部屋は、屋敷の二階角部屋だ。女主人の部屋や夫婦の部屋の反対側にあり、一番日当たりがいい場所だ。ルークにも、この部屋をディアドラのために使っていると手紙で教えていた。

 子ども部屋の鍵はカミラと執事が持っており、もう一つは子守のメイドたちが使えるよう鍵付のケースに入れられている。

 カミラは鍵を差し込み、そっとドアノブを回し――
 薄暗い部屋の中、ベビーベッドを囲むように立つ黒い人影を目にして、悲鳴を上げた。

「ディアドラ!?」
「……っ!? おい、王女が来たぞ!」

 人影はさっと、こちらを見た。そのうちの一人が手に医療用の注射器のようなものを持っていることに気づいた瞬間、驚きやら恐怖やらが一気に吹っ飛んだカミラは走りだした。

「ディアドラに触れないで!」

 がむしゃらに突撃して黒い影を突き飛ばし、ベビーベッドからディアドラをさっとかっさらう。ディアドラはすやすや眠っており、ざっと見た限りは肌に注射針を刺された形跡はない。

 突然現れたカミラがディアドラを奪ったからか、人影がチッと舌打ちする。

「邪魔が……!」
「おい、薬は?」
「だめだ」

 人影たちのやりとりで、カミラの足からふっと力が抜けた。
 よかった、間に合っていた。

 だが依然カミラの胸にはふつふつと煮えたぎる怒りが満ちている。

「あなたたちは……誰? 私の娘に何をする気!?」

 ディアドラを奪われまいと胸に抱え込んだカミラが叫ぶと、人影たちは躊躇うように距離を取った。
 部屋をよく見ると、窓が開け放たれている。夜間、窓から侵入したのはいいがまさかカミラがやってくるとは思っていなかったようだ。

 やがて人影のうちの一人が、前に進み出た。

「……カミラ王女。悪いことは言わないから、その娘を差し出せ。そうすれば、おまえだけは生かしてやる」
「お断りよ。娘を差し出してまで、私は生きたくない!」

 燃える瞳で、カミラは叫ぶ。

 本当は、死にたくない。カミラだって、長生きしたい。

 だが娘を差し出すことで生きながらえるくらいなら、死んだ方がましだ。

 かわいい、世界でたった一人の愛おしい娘、ディアドラ。

『ディアドラに会える日を、楽しみにしています』

(大丈夫よ、ディアドラ。あなたとお父様を必ず、会わせるから……!)

 萎えそうになる両足にむち打ち、カミラは立ち上がって駆け出す――が、後ろからぐっと髪を引っ張られて痛みでのけぞった。

「いっ……!」
「おい、どうする。王女ごと殺すか?」
「やむを得ない」
「娘優先だ!」

 人影の中で結論が出たようで、一人が上着の中から何かを出した。

(あれは……?)

 カミラがそれをはっきり見るよりも早く、人影が手の中のものを投げつけてきた。……髪を引っ張られて動けないカミラが抱きしめる、ディアドラめがけて。

『ディアドラに会える日を、楽しみにしています』

(ルーク……!)
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