十五年の石化から目覚めた元王女は、夫と娘から溺愛される
 夫の手紙の文字が脳裏をよぎった瞬間、カミラは体をひねった。ディアドラめがけて投げつけられたものはカミラの腰に当たり、生温かい液体のようなものがびしゃりと背中に広がる。

 人影が「ちっ!」と舌打ちする中、髪を手放されたカミラはその場に倒れ込んだ。
 その拍子でディアドラが目を覚まして泣き始め、じわじわとした痛みのようなものが背中に広がる中、カミラは娘の体に視線を走らせる。

 大丈夫、ディアドラの体には、あの液体のようなものはかかっていない。

(よかった……)

 安堵しつつもしっかりとディアドラを抱き込むカミラだが、なんだか背中のあたりが異様に冷たい。
 開け放たれたままの窓から吹き込む夜風のせいだけでなく、背中からじわじわと感覚が失われていっているかのようだ。

(……どうしよう。なんだか、ぼうっとする)

 背中にかけられた液体のせいか、だんだん体中の感覚が失われていく。だから自分の周りで人影たちがばたばた走り回る音が聞こえても、あまりよくわからなかった。

 だが。

「……カミラ様!?」

 声が、聞こえた。

 今日はまだ聞こえるはずのない声が、カミラの耳にはっきりと届く。使用人たちの叫び声も聞こえる中、しっかりとした足音が近づいてくる。

「カミラ様! 大丈夫ですか!?」
「……ルーク?」

 この声は。
 最後に聞いたときより幾分低くなっているが、間違いない。夫のルークだ。

 顔を上げようと思ったのに、首が動かない。ルークにディアドラの顔を見せてあげたいのに、腕がぴくりともしない。

 でも、ディアドラは体をじたばたさせながら泣いている。もう首から上しか動かないカミラと違い、元気いっぱいだ。

(……私、ちゃんと、ディアドラを守れたのね)

「ルーク……いるの? 見えない、見えないわ……」
「カミラ様! 私です、ルークです!」

 カミラが体を動かせないと気づいたようで、ルークがしゃがんでくれる――がその直後、カミラのまぶたも固まったように動かなくなり、やがて視界も完全に閉ざされた。

(私……死ぬの? これが、死を前にしたときの感覚なの?)

 は、は、と息を吐き出す唇だけしか、動かない。
 耳も働かなくなったようで、つい先ほどまでカミラの名を呼んでいたルークの声も聞こえなくなった。

『ディアドラに会える日を、楽しみにしています』

「ルー、ク……」

 今にも固まりそうになる唇を必死に動かし、そしてカミラは微笑んだ。

「ディアドラを、お願い……」

 ルークの子をちゃんと守れたから、どうかカミラの代わりに抱き上げてやってほしい。
 たくさんの愛情を注いでほしい。
 これからも、守ってあげてほしい。

 カミラの唇が、微笑みをかたどったまま動かなくなる。
 そしてだんだん意識が遠のいていき、最後には何も考えられなくなった。
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