雨の闖入者 The Best BondS-2
第三章『外れた歯車は深い沼へと』
第三章『外れた歯車は深い沼へと』


   1


夢を、見ていた。

夢を見ていると知りつつも夢の中に居続けた。

そこは、甘美な幻が跋扈する世界。

蜜のような誘惑の世界。

青い空の下、木々がそよぐ。

木漏れ日がきらきらと小川を反射させ、そこには魚が時折姿を覗かせる。

何処からか漂う花の良い香りに、遠くから聞こえる動物達の鳴き声。

長閑すぎるその景色はそのままお伽話に出てきそうな程、完璧な姿でそこに在った。


「ゼル兄」


聞き覚えのある声が背後から彼を呼ぶ。

この夢の核となる者の名を。

懐かしく思うと同時に痛みを伴う声に、川縁(カワベリ)に腰掛けていたゼルは振り返った。

そこには今はもう世界の何処にも存在しないゼルの弟、ロウウェルの姿。


「……よぉ」


軽く手をあげて答えると、ロウウェルはよく見知った天使の笑顔で近付いてくる。

ふわふわの砂色の髪と、くるくるとよく動く焦げ茶色の瞳。

ただ、ゼルが知る記憶の中の彼よりも、その姿はうんと大人びていた。

まだ本格的な成長期を迎える前の年の頃とはいえ、最後に見た時よりも三十センチは伸びた身長。

あどけなさは残るものの、元々聡明な顔つきだったロウウェルは中性的な雰囲気の青年へと変わりつつあった。

それが、この世を去った時のロウウェルの姿なのだと、ゼルはごく自然に思った。


「おーきくなったなァ」


そう言って、指の先にあった小石を一つ、川へと投げ入れる。

その衝撃で魚が束の間清流の中で踊りを見せる。


「そうかなぁ、まだまだだと思うよ」


ロウウェルは柔らかな声で答え、ゼルの隣に腰を下ろした。

ただでさえ発達した筋肉を備える二十一歳のゼルと、十二歳のロウウェル。

その体躯は二倍も三倍も違うのだから、ロウウェルがそう言うのも頷けた。

だが、ゼルから見れば、本当に大きくなっていたのだ。

人に頼りきることをやめた目は、真っ直ぐに川の向こう岸に向けられていて、そこに宿る生きる意志は強く輝いていた。

そのことが、ゼルの心をほんの少し痛ませる。

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